第31話 ベアトは衝撃の報告を受ける~W-NTRS
ロンバルディアの街。
黒鷲傭兵団の館、商談室。
「美味しいーっ!」
室内に、ベアトリーチェの楽し気な声が響いていた。
盗賊団長マティウスは、顔の端まで目を垂れさげると、揉み手をしている。
ルーヴェントも、女性盗賊団員のユーナギを隣にすわらせ静かに飲んでいる。
「ぷはーっ」
ベアトリーチェはグラスに残ったぶんを一気に飲み干した。
マティウスが慣れない手つきで、ソーダ水と氷で次の一杯を作っている。
「深い! いや、これは何という深い味わいだ、マティウスよ。それでいて澄んだものがある、この酒は剣だ、ああっ、黒き剣の切れ味よ!」
いかにも分かったふうに一人うなづくベアトリーチェは、完全に上機嫌だ。
「さすがは銘酒『黒騎士』よ。このような美味いものが、この世界にあったとは感激したぞ」
しきりに酒の味を褒め、これまた土産物であった乾燥チェリーを美味しそうに口にしている。
「マティウスも食うがいい!」
さらには、マティウスの肩にしなだれると、乾燥チェリーをつまみ彼の口に押し込んだ。
「あわわわっ、あへえぇ、黒鷲傭兵団で絶賛されたと伝えれば、ベラヌールの酒屋主人も喜ぶことでしょうね~」
マティウスはどう対応してよいのか困惑しつつも、必死に言葉を返す。
「しかし、このような美味い酒が、ベラヌールまで出向かなければ飲めぬとは……、そうだ! マティウス、このロンバルディアに店を構えベラヌールの特産品を売るのだ。そうすれば私はいつでも『黒騎士』が飲めるではないか?」
そういうとベアトリーチェは、ルーヴェントのほうを見る。
マティウスの垂れ目は大きく縦に開くが、すぐにまた垂れる。
ルーヴェントは、変わらずに女性盗賊団員ユーナギの肩に腕をまわし静かに飲んでいた。
ユーナギもまんざらではない感じで、愛嬌よくお酌をしている。そのあざとい感じにベアトリーチェは小さく舌打ちする。
「そうだな、ベアト。遠くの街の特産品を売るというアイデアは面白い。商工会に話はつけてやるから、盗賊団員と話合って店をやってみるがいいさ」
そういうとルーヴェントは、ユーナギの肩から手をまわし小ぶりな胸をガッツリと掴んだ。ユーナギは「あっ……」と小さな声をあげたが、唇をかむと頬を赤らめ下を向いた。
「あ、ありがとうございます、傭兵団長」
ベアトリーチェは、あからさまにユーナギに対して激しい悋気を放ったが、傭兵団長には、作り笑いをし礼の言葉を述べた。
*悋気(りんき 嫉妬心)
「あ、あのう~、殿下が楽しく飲んでいらっしゃる時に申し訳ねえんですが、一応あげとかないといけない情報が幾つかあるんで、報告させてもらいやすね~」
マティウスは、ほろ酔い加減のベアトリーチェに対し、文字通り申し訳なさそうに垂れ目を縦に開いた。そして、ポケットの中から『報告』と書かれた小さなノートを取り出した。
「ああ、苦しゅうない。私も知っておかねばならぬことは、あるであろうからのう~」
そう言ってユーナギを睨み牽制すると、再びグラスに口をつけた。
そしてマティウスは、いくつかの報告を読み上げていく。
―――数分後
「どっ奴隷献上だとぉ! エフタルからガシアスに……」
叫んだベアトリーチェの体から天を
マティウスはその気迫に弾きとばされると後ろに倒れ、ユーナギは演技かわからないが、またあざとくもルーヴェントにしがみ付いた。
ただルーヴェントひとりが、何も変わらずに『黒騎士』を飲み続けている。
マティウスの報告によると、エフタル王(つまりベアトリーチェの兄)グスタフは、ガシアス帝国へ完全服従の証として今度は、領内から奴隷千人を献上するらしいのだ。
「へえ、襲撃したガシアス貴族のお抱え商人がそう言っていました~。ガシアス帝が要求したわけでもないのに『エフタル側が、みずから尻尾をふってきた』と」
マティウスは垂れ目の甘い顔を、いつものようにグニャリとひしゃげた。
ベアトリーチェは、ふうぅっと獣が威嚇するような呼吸をしている。
「まあベアト、落ち着け」
ルーヴェントはグラスからベアトリーチェへと視線を移した。
「エフタル領から奴隷千人集めるにしたって、今日明日の話じゃねえんだ。仮にもガシアスへの献上品なら、適当な囚人や病人を送り込むわけにもいくまい。村々から徴発するにせよ、奴隷狩りをするにせよ、準備に数ヶ月はかかるだろうよ」
そういうルーヴェントに、マティウスは同意するように首を何度も縦にふり、次にベアトリーチェを伺うように上目遣いで見る。
しかし、冷静にさとすルーヴェントとマティウスに対して、ベアトリーチェは完全に激高していた。
「領民を奴隷として差し出すとは……兄王は
ルーヴェントがイラついた表情をみせる。
「おい、テメエあまり騒ぐんじゃねえ。ここで酒飲んでいることがバレるだろうが」
吐き捨てたルーヴェントは、グラスに片手でなみなみと『黒騎士』を注ぐ。胸を掴まれたままのユーナギは「あっ」と声を出した。
ベアトリーチェは、ルーヴェントをひと睨みした。そして、マティウスの前に立つと、肩を掴み激しく揺さぶった。
彼は面白いくらいに揺れた。
「マティウス、百人の盗賊団を貸せ。エフタルに攻め入り、王国の実権をとりもどすのだ。馬鹿げた政策を打ち砕かねばならぬっ!」
「ええっ? えぐぅあ」
マティウスは肩を揺さぶられながら、顎をガクガクさせ意味不明な返事をする。
「馬鹿が……」
ルーヴェントは静かに呟くと、しがみつくユーナギを払いのけ、マティウスからベアトリーチェを引き離す。睨みつける彼女に、平手打ちを数発見舞うと、グラスの酒をビシャリと顔面に叩きつけた。
「……っ」
ベアトリーチェはアルコールでひりついた顔をぬぐう。
「お前が指揮をとった所で、百人の盗賊団じゃあ何も出来ねえよ。罪のない盗賊たちが無駄死にするだけだ、冷静になれ」
それでもベアトリーチェは怯まなかった。
全身に気迫をたたえ、澄んだ藍色の目で懇願した。
「傭兵団長、傭兵団の兵を出してください。盗賊団と合わせて二百の兵になります。報酬は国の費用から三倍額で払いますから。私と貴方が先頭に立てば、たとえ十倍のエフタル王兵でも打ち破れましょうぞ」
その馬鹿げた訴えに、ルーヴェントの目は刃のように鋭くとがった。
ベアトリーチェに近づくと足を蹴り飛ばし、床へと這いつくばらせた。更に数回蹴りをいれて天井を向かせると、馬乗りになった。
乾いた音が商談室に響き続いた。
ベアトリーチェの頬が平手で打たれている。
「相変わらず冗談が面白い奴だな、元・王女ベアトリーチェ。俺にとっちゃ王族の誇りもエフタル領民の苦難も全然関係ないし、興味がねえんだよ」
マティウスとユーナギが、尻もちをつき、更に口を半分開けて混乱している。
「そのクソ虫みたいな兄王に
あわわわっ、という声がしてマティウスが傭兵団長にしがみ付いていた。
「ルーヴェント団長、もうその辺で勘弁してやってくだせえ。仮にも
「……ふん」
ルーヴェントは馬乗りになるのをやめ、寝そべるベアトリーチェの傍らにあぐらをかき顔を覗き込んだ。涙をうかべ頬を腫らし、口の中が切れたのか一筋の血を唇からながしていた。
「なあ……頭を冷やせベアト。怒りに身を任せれば、周囲が見えなくなる。今までもそうだが、これからも俺の奴隷である以上、お前の自分勝手な行動は一切許さん」
そう言うとルーヴェントは、マティウスとユーナギのほうへ顔をむける。
「ユーナギ、俺はお前が気に入った。今夜は、俺の部屋に泊まっていくがいい」
ユーナギは、「は、はい……私みたいな田舎者の小娘でよろしければ」と小さな声で返事をする、そしてまた顔を赤らめて下を向いた。
その所作はルーヴェントからすると、どことなくだが手慣れたようなものにもみえた。
「小娘だろうが構わん、お前は好みの顔立ちだ。今夜は、よく励めよ」
ルーヴェントはわざとベアトリーチェに聞こえるように言う。
同時に、怒りをこらえるような、ベアトリーチェの歯ぎしりの音が聞こえてくる。
ルーヴェントは立ち上がり部屋を後にしようとする。
「いくぞ、ユーナギ。そうだ……盗賊団長マティウス、今夜はそこに寝そべっている女をお前の部屋に泊めろ。俺のベッドは埋まっちまったんでな」
「へ……へえっ?」
「その元・王女、お前のみたいな男がタイプらしいぞ……肌に触れるくらいなら許してやろう、服を脱がしてもいい。じゃあ、よろしく頼むぜ」
「あわうぇい」
意味不明なマティウスの返事が聞こえた。
ユーナギがチラリと床に寝そべるベアトリーチェを見て、部屋を出るルーヴェントの後に続いた。
残されたマティウスは、連れていかれるユーナギの後ろ姿を思い出す。
床には、傭兵団長にきつく打ち据えられたベアトリーチェが寝そべっており、口をだらしなく半分開けている。
その顔は色気をはらむように、涙とかけられたグラスの酒で濡れていた。
マティウスは得体の知れない情欲が、体の中に立ち上るのを感じていた。
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