第29話 ベアトはカシスに復讐する

 □引き続きベアトリーチェの視点で物語が進行する



 館の傭兵団員は全員がホールで、朝と夕の食事をとっている。


 傭兵団の館のホールは、木の匂いがする。


 何時に集合して一斉に……という堅苦しいものではなく、だいたいの時間にそれぞれの都合で集まって来るのだ。

 ちなみに酒の持ち込みは、トラブルの元になるので決まった日以外は禁止されている。


 テーブルにつくと給仕係の者が、調理場から食事を運んでくるシステムになっていて、この給仕係はロンバルディアの街の女性達がアルバイトでやっている。

 ただ、今週にかぎって傭兵団長とマピロ、マハマ、ディロマトという三人組が『罰』として給仕の作業をしている。

 今週アルバイトの女性達は顔を出すだけで給料は支払われ、傭兵団長と三人組は無料奉仕ということになっている。


 

 夕食。


 私(=ベアトリーチェ)は、早めに夕食をすませる。

それからカウンターの隅で、ユキとお酒について話をし時間を潰していた。

 時折、顔を出したアルバイトの女性と話したりしたが、当然ながら誰も私が元・エフタル王女ベアトリーチェとは気づかない。


 どこからかは分からないが、板に釘を打ち付けるような、金槌の音が聞こえてくる。

 「ったく誰よ、こんな夕食時に。壁のどこかが壊れていたのかな、後から修繕費を請求して来るってパターンだな、これ」

 そう言うと、ユキはまたお酒の話に戻す。



 ふと、寒気を感じた。

 ホールに入って来る、黒豹のような気配を感じ取る。


(来たわね)


「カシス姐さん、お疲れ様です!」

「カシス姐さん!」

 気づいた団員達が立ち上がって挨拶をする。

 カシスは、タイトなワイシャツとパンツ(ズボン)で上下とも黒の姿だった。挨拶をくれる団員に軽く手を振りコホンと咳をすると、空いたテーブルへと座ったようだ。


「ユキさん、行ってきます」

 ユキにはある程度、復讐のことを話していた。


 私はカウンター席から立ち上がり、悠然とホールを歩く。

 足元は作業靴のため、静かに木の床がしなる。

 団員達が自然と私に注目するなか、カシスの座るテーブルへと歩み寄った。


 カシスの向かい側、木の椅子を引き彼女の正面に座る。


 ホールがざわつく。目線だけを動かし周囲を見まわすと、団員達が驚きや心配といった表情をうかべ私をみている。


 ひとつのテーブルで向き合う私とカシスに、食堂の雰囲気は緊張感をともなう異様なものになった。


「何を考えているの、……今すぐ私の前から消えて」

 研ぎ澄まされた刃物を思わせる目つきで睨みつけ、カシスは怒気を滲ませつつも静かにつぶやいた。


 調理場のほうから、調理や食器を洗う音が聞こえてくる。

 窓も空いているのか、風もわずかに入ってきている。


 カシスは目線を外してこない。

 私も目線を外さない。


「よよ、横から失礼します、夕食を置きますね」

 カシスのぶんの夕食を運んできたディロマトが、緊張に震えながらも皿を並べていく。しかし、カシスはディロマトを完全に無視しているようだ。



「消えて……と言ってるのが聞こえないのかしら? 小便くさい奴隷が視界にいると、食事がまずくなるのよ」

 カシスはそういうと、漆黒のショートヘアをかきあげる。しかし、未だ目線を外さぬままジャガイモのスープを皿ごと腹に流しこんだ。


「まずっ、本当にまずく感じるものなのね、吐き気まで催すわよ……」


 睨みつけたまま、唇を手の甲で拭うとカシスは顎を突き出すように首をかしげる。ようやく目線を外すと、もう一度つぶやく。

「これは、本当に吐き気を催すわ」


 カチャリと音がした。


「……って、マジでテメエ消えねえかぁ!」

 後ろの壁にグスッと音を立ててフォークが刺さる。

 私の顔面に向けて投げられたフォークを、首を傾けかわしていた。

 

 団員達の心臓の音、それが空間に聞こえてきそうな静寂。

 調理場の食器を扱う音だけが、異常にやかましく空間に響いている。

 空気もろとも何もかも、食堂の団員達は完全に呼吸を忘れたかのごとく凍り付いた。


 ユキがカウンターで立ち上がるが、私は手で合図をおくり静かに制した。そのまま、少し首を傾け、顔の片側をゆがませて睨みつける。


「ねえカシスさん。貴女は、私が来てここに座った以上……、自分はがなかったのかしら? 傭兵団長にきいたんですけど、怒りは感覚を狂わせるらしいわよ、それはそれは、まずいスープだったでしょうね」


面白くてたまらない。

私は最高の笑顔で、カシスに微笑んだ。

ふいに彼女は目線を宙に泳がせる。そこから、刃のようだった表情が曇りはじめた。


「カシスさん、単刀直入に聞くわね。……おなか、大丈夫ですか? 冷や汗かいてません?」

 冷静なカシスの表情が、次第に青ざめてゆくのがわかり最高に楽しい。


「ベアトリーチェ、き、貴様……」

 カシスは下腹に手をあて、額に血管を浮かべると、音を立てて歯を食いしばった。


「さすがのカシスさんでも、怒りに我を忘れるとスープに『牛用の下剤』が入ってても、すぐに気付かないものなのね、とっても勉強になりました」


 私が言い終わらないうちに、姿勢を低くしたままカシスは床を蹴りホールを後にした。


(行くところは、ひとつしかないんですけど)


 私はゆっくり立ち上がると、後を追う。

 今頃になって、傭兵団長が調理場から出て来てこちらを見ているのがわかった。





「きぃ、き、貴様、何をしている……のだ!」

 廊下の端の方からカシスの叫び声が聞こえる。 


 トイレの前にマピロがいた。マピロが入口の扉に打ち付けられた板を、大工道具を使って外しているのだ。


「カシス姐さん、『誰か分からない』けどトイレの扉に板をうちつけた奴がいるんです。これじゃトイレに入れないから、俺が板を外しているんですよ」

「こ、殺されたい……のか?」

 カシスは腹を押さえながら、顔をゆがめると中腰でマピロを恫喝した。声の恐ろしさに反して、その姿勢は滑稽だ。


「あわわ! だ、だから俺は板を外しているんですって! あと五分待ってください」

「あごっ、五分……だとぉ?」


 私はカシスに背後から悠然と歩み寄り、蹴りを数発入れる。

「油断するんじゃない、仮にもお前は傭兵団の副官だろうが」


 「へぇう、あひえぇっ」

 カシスは普段からは考えられないような間抜けな声をあげ、床にうずくまった。顔は床に伏せられ、身体を丸めてガクガク震わせている。


「貴女は、試合で目つぶしという卑怯な手をつかった上に、私の事をさっき『小便くさい奴隷』とさげすんだわね…………」

カシスを見降ろした。


「このわきまえぬ無礼者がっ!」

 マピロから角材をもらうと、数発打ちこんだ。


(これはマハマ達のぶんよ)


「が、……へう、へうぅ」

 カシスは声すら上げられずに、涙と鼻水をながしながら、打たれた痛みと下腹部の苦しみに歯を食いしばっている。普段の彼女の聡明な表情は、もはや見る影もなかった。


「あらあら可哀そうに。騎士道の情けよ、ここには誰も来ないように手配しているわ。掃除用具と貴女の着替えも準備してるから……」

 私は手のひらを合わせると、三回打ち鳴らした。


「さぁ、恰好つけず出しちゃって、スッキリするわよ」


 カシスの限界がきているのが見てとれた。獣のような野太い叫び声を何度かあげると、小さく体をまるめた。


「頑張らなくていいから」

 彼女が押さえている下腹部を、つま先でつつく。


 小刻みに体を震わせると、一度だけ娘のような小さい声をあげた。


 私は窓を開け、匂いがこもらないようにする。

 カシスは、呼吸をみだし脱力したまま時折けいれんしている。


 私は、その惨めな姿をしばらく観察し溜飲を下げると、傭兵団長に報告するためにホールへ戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る