第26話 カシスは罰として鞭で打たれる ♥♥

 玄関を開けたらすぐに広がるホールは、朝晩は食堂として利用している。


『管理不行き届きの懲罰』として夕食の準備と片付けをユキから命じられた俺は、夕食を終えた団員の食器を片付けては洗っていた。苛立ちを隠そうともせず食器を運ぶ俺に、ホールで食事をとる団員達は凍り付いている。


「あ、あのう団長、俺らも手伝います」

 そう声をかけて来たのは三人組のリーダー格・マピロだった。


「はあ? お前らはベアトを助けようとして逆にカシスに打ちのめされたじゃねえか」

「いや、俺たち三人がかりでもカシス姐さんを止められなかった。ベアト師範を守れなかったんです。……それが悔しくて」


 俺は少し頬の筋肉が緩むのを感じた。

「あのな、お前達の気持ちもわからんでもない。ただ、大事なのはじゃねえんだぞ。ベアトを守れるように強くなるのが大事なんだよ」


「団長、わかってます。でも、団長を見ていると申し訳なくて」

 マピロがそう喋っている間にも、残る二人が手早く作業をすすめ始めている。


「ああ、わかったよ。手伝ってくれると俺も助かる。あとは頼むぜ」

 俺は、ユキがこの場にいないことを確かめるとホールを後にした。


(どこか俺自身も、気が緩んでいたのかもしれねえ)



 日が暮れた訓練場へ行く。

 館の騒々しさが伝わって来るものの、静かな夜の闇に包まれようとしている。

 隅っこに置いてある鉄の棒を手に取った。


 鍛冶屋に特別に注文して作らせた大人の背丈ほどある太い鉄の棒で、三十キロほどの重さがある。

 両手で持ちあげ地面に打ち付けると、砂の地面は大きくえぐれた。これを百回ほど繰り返した。


  次に、片手で持ちあげ地面に打ち付ける。これも片側で百回ほど繰り返した。腕の筋肉にわずかに痛みが走る。


(心のどこかが、ぬるくなっている)


 自分自身を叩き潰すように地面を打った。


 無心で鋼鉄の棒を振ることで、力がみなぎると同時に、全身から汗が噴き出してくる。

 ここから心気を研ぎ澄ませ、気迫を全て体の芯に収めた。


 振り上げた際に、闘気というものを体の芯から鉄の棒に流し込み、打ち込むところで体と棒を一体化させる。決して闘気は外に逃がさない。


 一歩も歩いていないのに、足元は踏みしめられ、深くえぐれていく。


 闘志を体の内側に蓄えるように、静かに心を研ぎすますように、鉄の棒を振り続けていく。


 やがて吹き出した汗は止まり、足元では虫が鳴きはじめていた。訓練場は一面の砂地ではなく、背の低い草が生えている所もあった。


 見上げると満月が輝いており、灰色の雲が乾いた風に流されていた。


 □



 訓練場を後にし、館にもどるとホールではユキが神妙な顔をして待っていた。

「ユキ、地下牢に行くぞ」

「くっ、ホント嫌な役どころだな、これ。でも、僕の代わりになってくれる団員もいないだろうし」

 ユキに布袋を投げてよこす。布袋には鞭屋で買った一本鞭が入っている。



 念のため地下に作っておいた牢獄を兼ねた拷問部屋だが、まさか最初の使用者がカシスになるとは思ってもいなかった。

 暗い牢獄だが、定期的に空気杭から風をおくり、掃除もやらせておいたので衛生状態はとても良い。


 ランプに灯りをともすと、カシスは黒のレザースーツのまま両手を天井から鎖で吊るされていた。

「やれ」

 目で合図を送るとユキがバケツに汲んだ水をカシスにかけた。


「そんなことしなくても起きています」

 濡れた漆黒のショートヘアの前髪、カシスはその隙間から睨みつけるように目をあけた。

 カシスの側によると頬を三回ほど平手で打ち、髪を掴んだ。足元を見るとそこも鎖でつながれており蹴りを警戒しなくてもよいようだ。


「おいテメエ、よくも俺の大事な奴隷をやってくれたな」

「奴隷……違いますよね? 『ベタベタに惚れちまった小娘』って言いなおしてくださいよ」

 顔を近づけ髪を掴んで睨む俺に対し、カシスは挑発的な言葉で返してくる。


「あのう二人とも、ここで痴話喧嘩はやめてよね。カシスさん、とりあえず傭兵団内部でのは規則に従ってきびしい懲罰の対象なんです。たとえ副官のカシスさんでもそうなんです」

 ユキは俺たちふたりを前に、なんとも形容しがたい顔をしている。


「死ななかったの? アイツ、もうすこし急所を打っておけば良かったわ」

 かっときて殴りつけようとする俺をユキが制する。

 カシスのレザースーツには背中側にファスナーがあり、それを一気に足元に降ろすと邪魔な部分をナイフで切り落としてゆく、グレーの下着だけの姿に剥きあげた。


 そのグレーの下着も汗を吸っており、濃い色へと変わっていた。



 ユキが袋からカシスにわかるように一本鞭を取り出した。それを見て俺もカシスに聞いてみる。

「おいカシス、罰をあたえるぜ。どれくらい打ってほしい?」


「お好きに……貴方の、気が済むまでどうぞ」

 髪を掴んだまま、額が触れるかの距離まで顔を近づけると、カシスは目を閉じた。


「ちなみにな、これで百回打つと、ほとんどの人間は発狂して気が触れるらしいぜ」


「百回、打ってください」

 両腕を鎖で天井に吊るされ目を閉じたままで、カシスはそう答えた。



「いいぜ、いいぜ、おまえ良い根性しているじゃねえか」

 俺は犬歯をむき出すようにして笑いながら言った。

 そして言い終わる前に乾いた音が響き、最初の一振りがカシスの背中を打ち据えていた。


「打たれたら回数をカウントしろ。ユキも数えるのが大変だろうからな」

「はい」

 従順にカシスは答えた。


 再び乾いた音が響き、次の一振りがカシスの腿を打っていた。

「二回目……」


「おう、良いじゃねえか。あと九十八回だ、せいぜい頑張れよ。ユキあとは頼んだ」

 俺は片手をあげ、カシスに背を向け牢獄を後にしようとする。


「団長? 最後まで、私が打たれる姿を見てもらえないんですか?」

 俯いたままで、カシスはそう言った。


 それは今までのカシスとは違い、どこか媚びるようでもあり、情念をふくんだ女の声だった。ユキが目線で『絶対に帰るな』と言っている。


「ちっ、面倒くせえ」

 俺は腰を下ろすと、地下牢の壁に背を預けた。床面も壁も、冷たく硬いものに感じられる。


「ぐっ、三回目……」


 立てた膝に手を置く。鞭をふるうユキと、打たれ続けるカシスを交互に見た。


 カシスの体に赤い線が刻まれ、白肌の体が汗に濡れてゆく。

 呼吸が乱れ始めると、ともに体も震えはじめる。やがて、膝や腰の動きが大きくなり、折れるように背中を反らしたりするだろう。


 回数を数える声も、次第に聞きとるのはむずかしくなり、ただただ獣の吠えるような声に変っていく。


 鞭が体を打つ音。カシスが、絶叫の混じる息を、体の奥底から吐き出す。

 


 それでも俺は姿勢をかえず、カシスの姿を冷静に眺めていた。

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