第四章 ベアトリーチェとカシスの戦い

第25話 カシスはベアトをボコボコにする

□視点はふたたび、ルーヴェントへと戻る



 自室の壁に掛けてある木製の時計を見ると十時を回っていた。

 机の上には、書類、報告書、手紙などが山積みにされている。


 ユキが持ってきた経理の書類と業務連絡に一通り目を通した後、ボトルに移し替えて持ってきていたコーヒーを飲んだ。


 ボトルを手に窓の空をぼんやりと眺めた。朝の訓練の軽い疲労なのか、すこし体が気だるいようにも思う。

 手にはまだ、ベアトリーチェの柔らかい部分の感触が残っている。


 昨夜、街の屋台で酒を飲んだ男装のベアトリーチェはみごとに泥酔した。少しだけ優しく扱ってやると、酔っているせいだろうか俺を求めて来た。

 そのまま館には戻らず、近くの宿に連れてゆき乱暴に抱いた。彼女も体の奥底に溜まったものを吐き出すかのように、自分の体を開き差し出した。


(まあベアトの野郎、昨日の自分の乱れた姿は憶えていないだろうがな)


 あの凛々しくも勇ましい姿のベアトリーチェとはまったく違う、俺しか知らない一面を見た。


(しかし、酒に弱いという弱点があっては困る。少しづつ鍛えてやらないといけないな)


 ふたたび、業務連絡の書類に目をやった時、団員がドタドタと廊下を走ってきてノックもなしに入って来た。


「ああああ、大変だ! ベアトさんが、大変だ、団長!」

「おい、何だよ。『ベアト』が『どう』大変なんだ、俺が理解できるように喋ってくれないか」

 血相を変えた若手団員は呼吸を荒げ、ひどく取り乱している。

「カシス姐さんが、ベアトさんを無茶苦茶やってるんです、訓練場で!」

 俺に取りつくと腕を引っ張り、訓練場へ連れて行こうとする。


「わかった、行くから落ち着け」

 今日のベアトの訓練は、ディルトが不在のためカシスが行っていた。悪い予感が無い訳でもなかったが、甘く考えていた。


(カシスの野郎め)

 

 おそらく訓練と称してカシスがベアトリーチェにを加えたのだろう。


 訓練場に行くと、カシスが、倒れた訓練着のベアトリーチェを木剣で滅多打ちにしていた。急所はあえて外し、なぶるように打ち据えている。ベアトリーチェは意識があるのかも分からず、ぐったりとしている。

 三人組は救助に飛び込んだのだろうが、返り討ちにされ倒れていた。その他、数名かけつけた団員は手出しが出来ず、青ざめたまま遠巻きに取り囲んでいる。


 俺が近づくと、黒いボディスーツを身に着けたカシスは俺に木剣を構える。その顔つきはいたって冷静なものだった。黒髪ショートヘアから覗く切れあがった目は、どこか笑っているようにも見える。

「あの、訓練の邪魔をしないでもらえますか?」

「おいカシス、これが訓練って言えるのかよ」


「訓練です。集中力を欠いた状態で剣を取り、戦場に出るとどうなるか? これを教えているにすぎません」

「理屈はあっているが、お前はやり過ぎだ」

 俺は間合いを詰めると、手刀でカシスの木剣を撃ち落とし、背後に回ると首に腕をかけ絞め落とした。


「もおー、何やってんのさあ」

 ユキが大声で叫びながら、数人の団員たちと走って来る。ユキは連れて来た団員で、のされたベアトリーチェと三人組を取り囲むと液体ポーション(回復薬)を飲ませた。打撃の跡が目立つ箇所には直接かけた後、軟膏型のポーションを塗りこんでいる。

 そしてベアトリーチェと三人組は、そのままユキの指示で館に運ばれていった。


「カシスも本ッ当に馬鹿なんだから、団長……コレどうすんのさ?」

 ユキは、締め落とされて意識を失っているカシスを困ったような目つきで見ている。

「地下牢に吊るしとけ」


「……だってさ」

 ユキが目で合図を送ると団員数名が、カシスを抱えて運んで行った。


「団長も団長だよ、ここんとこのカシスを見ていたら、こうなるって予想できたじゃんか!」

「ああ、……俺の管理不行き届きだ」


「団長は管理不行き届きの罰として、金貨二枚の罰金ならびに夕食の準備と片付けを一週間やってもらうからね」

「ちっ、仕方ねえ」

「カシスの罰については金貨二枚と、後は団長に任せる。カシスに恨まれたくはないんだよ」


「わかった、考えておく」

 そう言って、ユキの尻を蹴り飛ばした。三回ほど転がってユキは地面に寝そべった。そのまま俺が場を去ると、団員数名がユキの救助に駆け寄っていく。


 □


 ベアトリーチェは一時間もすると、意識を取り戻した。


 体の怪我はポーションの力で、ほぼ回復している。傭兵団では、教会から高額で売られているポーションを常備しているのだが、確かに値段に相当する効果を発揮するシロモノだった。


「あ、あの、ずっと側にいてくれたんですか?」

 俺のベッドに横になっていたベアトリーチェは、申し訳なさそうに、そう聞いてきた。


「ああ、ユキの野郎はヤボ用で忙しそうでな。側にいるといっても、俺はここで仕事の資料を眺めていたんだ、お前に何かしてやった訳ではない」

 椅子に座って資料を手にしたままで、そう言った。


「あ、痛たた」

 起き上がると、ベアトリーチェはベッドの端に腰を下ろし、全身をさすっている。


「ベアト、今回の件は俺の監督不行き届きだ、すまない」

「えっ、そ、そんなことないですよ」

 俺が謝るとは思ってもいなかったのだろうか、ベアトリーチェは予想以上に慌てたような態度をとっている。


 

それと、俺には疑問に思う点があった。


「なあベアト、俺はお前の剣の強さを知っている。カシスの野郎には勝てないかもしれないが、お前があそこまでボコボコにされるとは納得がいかないんだ」

「は、はい……実は、最初はどうにか守りに徹してやり過ごしていたんですが、投げられた砂が目に入って……」

 話を聞いてみると、カシスはしゃがみ込んだ際に砂を掴み、至近距離で顔に投げつけてきたという。


「目つぶしをされたのか」

「は、はい。油断していた私も悪いのですけど……」

「まあ、確かになぁ」


「でも、三人組まで巻き込んでしまって……。他の団員さん達の前で、こんな情けないやられ方をして……。わたし、悔しいんです」

 そう言うと、ベアトリーチェは前かがみになると涙をポタポタと床にこぼす。今まで我慢していたのだろうか、一気に声をあげて泣き出した。


 俺は立ち上がると彼女の前にしゃがみ込み、ポンポンと手の平を頭にのせた。

「なあ、ベアト。プライドの高いお前のことだ、泣くほど悔しいのはよくわかる」


「……」

 鼻水をながしながら、ベアトリーチェは俺の目を見る。


「だがな、国と国の勝負でお前が負けたら、国は滅ぶんだ。相手の卑怯な手を食らった時点で負けなんだよ、お前は簡単に負けていい人間じゃねえんだ」

「そんなことくらい、わかってます!」

ベアトリーチは、下を向くと少し反抗的に答えた。


「分かってねえからこうなったんだ!」

 俺は少しだけ厳しく言った。

「ベアト、勝つためには、どんな手でも使うときは使うんだ。かしらの負けは組織の負けだ、俺たちみてえなもんは絶対に負けちゃならねえんだよ」

「……はい」


「かと言っても、剣術の試合には一応ルールって奴があるからな」

手は、まだ彼女の頭に乗せたままだった。もう一度ポンポンと軽くたたいた。


「ユキには俺が話をつけておく……ベアト、私闘を許そう。お前の悔しさを晴らせ、三人組の仇を討つんだ。先にふっかけたのはカシスだ、卑怯な手を使っても良いぞ」

 そう言って、背中を思い切りひっぱたいた。


「ぎゃあっ、痛い」

ベアトリーチェは猫が二階から落ちたような声をあげた。


「わかったのか?」

「はい、わかりました」


「よおし、これからは俺がお前に、この厳しい世界の戦い方って奴を教えてやろう」

「はい」

 今度は通るような気合の入った声だった。涙を袖で拭うと、藍色の目をらんらんと輝かせベアトリーチェは顔をあげた。

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