第19話 ベアトは酒場に乗り込む
落雷かと、街の者は思ったという。
ベラヌールの酒場の入口、その開き扉が男の蹴りで粉砕された。
ステージまである酒場は石造りの建物で三十人ほど収容でき、その屋根は高かった。壁には白い布が、ドレープ(ひだ)のあるカーテンを模して張ってあり、さらに木の柱には色とりどりの花も数多く飾られている。
しかしその華やかな酒場にいた荒くれどもは、扉を粉砕した男の放つ狂暴な獣の気配に圧倒される。
―――
ステージに立つ、流しの歌うたいが必死に声を絞り出した。
しかし、その
白く輝く鎖帷子に、高貴なるダマスカス鋼の剣を履き、亜麻色の長髪には白銀のサークレットが輝く。
刃のような気迫をまとった女は、獣の匂いを放つ剣歯虎ルーヴェントと従者三名を従え、酒場にある十台ほどのテーブルを見まわした。それぞれのテーブルの中央の燭台には灯りが灯され、白い布がかけてある木製のテーブルには酒や豪華な料理が盛ってあった。
「おい、盗賊の団長はいるのか? 王女様がお話があるそうだ」
ルーヴェントは、凄みを効かせて酒場にいる連中を見渡す。
中には三十名ほどの荒くれ者がいたが、恐怖に固まっているのか身動きひとつとれないでいる。
ルーヴェントは一番近くにあった木の椅子を、座っていた男ごと掴み三十メートル先のステージに投げつけた。木棚に並べられていた全ての酒瓶が大きく揺れ、いくつかは床に落ちて割れる。
「盗賊団長はいるのかってきいているんだ」
怒気を孕んだ声が、一同をさらに震え上がらせた。
「お、俺の酒場で、好き勝手やってくれるじゃねえか、何なんだお前らは」
一番奥の席で、ややガタイのよい男が立ち上がる。赤、緑、黄色のカラフルな衣装を身に着けているが、下品でもない。襟には青いスカーフを巻いている。
その顔つきは、やや垂れ目ぎみで鼻筋の通った美男子でもあった。
しかし、ベアトリーチェの気迫に押されているのか、表情はかたく額には汗をかき始めている。
ベアトリーチェは悠然と足音を響かせ、酒場の奥へと歩を進める。立ち上がった男に近づきダマスカス鋼の剣を抜き、その煌めく刃を眼前に突きつける。
「余はエフタル王国王女にして王軍総帥ベアトリーチェ。エフタル国王女ベアトリーチェ・ラファン・エフタルである。まあ、私は法律上は死んだというから……正確には『元』王女だな」
美しく澄んだ、しかしどこまでも力強い声が酒場に響き渡り、その空間を支配した。
「か、かはひぃ?」
剣を突きつけられた盗賊団長は恐怖と緊張のあまり、奇妙な声をあげた。
「男、貴様の名は?」
「とと、盗賊団団長のマティウスだ」
「そうか、盗賊団長マティウスとやら。今日は余の輿入れ行列の報復と、捕らわれの侍女ロザリナの奪還でわざわざ自ら……出向いてやったのだぞ」
マティウスは顔をしかめると、腹を据えたのか口をやや尖らせて息を軽く吐いた。
「捕らわれの侍女ロザリナ? そうか、やはり俺らが捕らえたエフタル王女は替え玉だったのか。しかし、王女ベアトリーチェ、生きていたとは……正直、驚いたぜぇ」
言い終わるや刹那、マティウスは左手で腰の短剣を抜き、眼前に突きつけられていた剣を弾いた。さらに右手に短刀を持ち替えて、ベアトリーチェの腹を突く。
ベアトリーチェは表情もかえない。足さばきだけで、マティウスの攻撃を余裕をもって交わしていた。
姿勢を低くしたマティウスの蹴りがサラリとかわされ、顔面に向かって打ち込まれた拳も軽くいなされていた。
マティウスは三歩後ろへ飛び、ベアトリーチェとの間合いをはかる。
テーブルについていた盗賊団員の気配が変わり、全員が立ち上がった。短刀、手斧、棍棒、武器がないものは酒瓶を割ると、それを手にした。
それぞれが武器を身構え、ベアトリーチェ達に対する攻撃の覚悟を固めたようだ。
(ほう、頭の動きに合わせた良い連携だ。ここにいるのは子飼いの部下連中なのか)
ルーヴェントはそう考える。
そして、盗賊の意気に合わせるように、ルーヴェントをはじめマピロ達従者三人も剣に手をかける。
しかし、マティウスは先ほどの全力の攻撃を余裕をもってかわされた時点で、戦闘能力のベアトリーチェとの圧倒的な差を叩きつけられていた。
マティウスの口元がわずかに横にひらく。彼は、たいして口を開かずに喋るようだ。
「や~めろ、お前ら。エフタルの麗騎ベアトリーチェに、護衛は
そういうと空いている手の人差し指で頬を掻いた。
「なあ王女様、俺と決闘してくれないか? 誓って卑怯なことはしねえさ。あぁ、わかっているよ、あんたには勝てないってことくらい。……だから、その、部下たちの命はだけは見逃してくんねえか?」
ベアトリーチェは首を縦におろし、さらに盗賊団長マティウスを見降ろした。
「お前の命ひとつで、私に詫びをいれるというのか? いいだろう、受けてたとうじゃないか」
―――剣をおさめよ。
ベアトリーチェは右手のひらを横向きに、後ろに控えるルーヴェント達にかざすと静かに下へ動かす。
「短けえ夢だったなぁ、た~のしかったぜ、お前達と無茶出来て。ほらほうら、お前ら武器をしまえ」
マティウスは団員一人一人の顔を眺めると、三歩下がる。そのまま短刀を顔の高さに構えるとユラユラと揺らした。
団長の言葉を受け、盗賊団員もそれぞれの武器をとりあえず収めた。そのまま律儀に盗賊団員はテーブルを隅に片付けはじめた。
その片付けの合間にルーヴェントは、歩み出てステージ上の歌手と、カウンターに隠れているマスターに迷惑料として、それなりの金貨をつかませている。
「『麗騎ベアトリーチェ』に酒場で殺られるってエンディングか、俺としては……悪くねえよっ」
盗賊団長マティウスは鋭く通る声で叫ぶと、ベアトリーチェに大きく斬りつけた。
短刀の刀身が酒場の照明を照り返す。
それは水の中を泳ぐ魚の鱗のように、幾度も光り輝いた。
光は弧を描き、流線を描き、何度もベアトリーチェに迫った。
しかしマティウスの、気迫の光るその攻撃が届くことは叶わなかった。
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