第17話 ベアトは半泣きで懇願する

「頼む、お願いだ。ロザリナを助けてくれ、このとおりだ、お願いだ」

 ベアトリーチェの目力は強いが、声は震え始めていた。 


 俺は椅子に腰かけたまま、足をゆっくり組んだ。

 窓を閉めたままの部屋には、紅抹香べにまっこうの匂いが淫気と化して満ちていた。


「なあベアト、何が『ロザリナを助けてくれ』だ。俺はお前の侍女を助けてやる理由などひとつもないんだ。王宮の侍女など、身内でも何でもないんだからな」


 カシスは、そう言い合っている俺を相手にせず、しらけたようにグレーの下着を身に付け始めている。


「俺たちだって盗賊団と事をかまえるにはリスクが伴う。どうして、危険を犯してまで傭兵団の利益にならない事をやらないといけないんだ」

 

 ベアトリーチェはグッと唇を引き結んだ。息を飲み込むと、動きをとめて両手の拳を強く握りこんで震えている。


(ベアトの野郎、正論を言われて、どうしていいか分からないか……)


ベアトリーチェの肩が緊張であがり、歯がガチガチと噛み鳴らされる。

「だから、……だからこうして頼んでいるんだ。ロザリナを助けてくれ」

「助けてくれ、だと?」


 凄みを効かせた俺の返しに、ベアトリーチェはハッとしたように首を左右に強く振る。

「ロザリナを、た……助けてください。助けたいんです」

 彼女は、そのまま膝を折り、木の床に両手をついた。


「何でもする、私をどうしてもいいから、好きにあつかって……かまいませんから」

 ベアトリーチェは目を閉じて、額を床にこすりつけた。


「ほう、たかが侍女ひとりに元・王女様がそこまで……、殊勝な心掛けだこと」

 カシスは冷たい笑顔をつくり、吐き捨てる。下着姿でベッドに立膝をついて座り、ベアトリーチェのみじめな姿を見下ろすように眺めた。


「お前の言った事は立派だ。だがなベアト、お前は元々から俺の奴隷なんだ。お前なぞ、最初からどうしたっていいだし、言われなくてもそうするつもりなんだよ」

「……ロザリナ……」

 ベアトリーチェのついた両手の近く。乾いた木の床に、涙の粒が幾つも落ちた。涙をすする音も聞こえる。


「傭兵団長……お願いします。いま頼れるのは、貴方だけしか……いないんです」


 そういうベアトリーチェの顔が跳ね上がり、キッと充血した藍色の目で俺を見据えた。

すばやく髪留めをとくと顔を左右に振り、亜麻色の長髪をおろす。服の裾に手をかけると一気に脱ぎあげ、上半身の白い乳房をあらわにした。


「やめろ、……いいだろう」 


 俺は踏み出し彼女の肩に手を置くと、これ以上の動きを制止した。充血した目に涙をため、懇願するように見つめるベアトリーチェを、さらに強く睨みつけた。


「服を着ろ、お前を抱いている時間はない。これから俺の言う事をよく聞いて、自分で考えて答えろ」

「……」

「何度も言っているが、お前は俺に買われた奴隷だ。言われたことには口答えせず、すべて従順に従え、従順にだ!」

「……はい」

「俺はお前の主人だ。言葉遣いに気をつけろ」

「……はい、わかりました」


 カシスが、クククと笑い声を押し殺している。

 俺は言う前から横を向き、窓の外の空を眺めていた。ベアトリーチェがどのような表情をしているかはわからない。


 俺は手を四回打ちならす。

「どうしましたぁ?」

 部屋の扉の向こうにユキが駆けて来る。


「おうユキ、確かお前、メイドをうちで一人雇いたいと言っていたな」

「ああ、言った」

「俺は今から『個人的な用事』で外出する。騎馬を六頭すぐに準備しろ!すぐにだ!」

「なんで?」

「黙ってすぐやれ。化膿止めと解熱剤は常備してあるよな?あと包帯、出しとけ」

「あいよ」

「腕のいい医師と、教会の治療師ヒーラーと俺好みの修道女を、館に呼んで泊まらせとけ。金に糸目はつけるな」

「ああ、団長の給料から引いておく」

「以上だ、いけ!」

 ユキは扉の前から駆け去っていく。


 ふたたび手を三回打ちならす。

「はい」

 天井裏から声がする。

「盗賊団長は本拠地にいるのか?」

「おります、夜はほぼ間違いなく酒場にいるかと」

「例の若者に今から『女を救助に行く』と伝えてくれ、あと『お前も引き取る』と。以上だ」

「かしこまり」

『忍びの者』の気配は、すぐに天井裏から消えた。


 机の三段目の引き出しから、金貨袋を取り出した。


「カシス支度をしろ、行くぞ」

 ベッドにすわり、成り行きを観察するカシスを誘う。

「嫌です! 馬鹿じゃないですか? 行くわけないでしょ」


「俺は、お前がいないと駄目だ」


 金貨袋をさぐり、藍色の宝石をぶつけるように投げると、カシスは顔の前で素早く掴む。

「ああ、もうっ……最低!」


 カシスが下着姿で急ぎ部屋を出ていく。

俺の前には、目に涙をうかべ上気したように顔を真っ赤にして立つベアトリーチェがいた。


「どうした? お前、頬を赤くして。……いい表情してるじゃないか。お前ともあろう者が、紅抹香べにまっこうの淫気にやられたか?」

「……は、はい、そうかもしれません」


 俺はベアトリーチェに並び、肩を抱きながら声をあげて笑った。

「お前、時々だけど、すごい冗談のセンスがあるよな」

「……いえ」


「おいコラ、シャキッとしやがれ! あの馬鹿三人組を呼んで『出撃』だと伝えろ」

 ベアトリーチェの額を拳で軽くつつく。

 つづけざまに胸の前に拳をおろして、気合を入れるように強く突いた。

「麗騎ベアトリーチェ! 馬は準備した、行くぞ」

「わ、わかりました」


「侍女ロザリナを助けに行く、俺についてこい!」

「はいっ!」

 ベアトリーチェの顔に覇気がみなぎる。


 実にわかりやすい女だ。

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