第三章 ベアトとルーヴェントは盗賊団と戦う

第16話 ベアトは侍女ロザリナが捕らわれていると知る

まだ昼間だが、俺(=ルーヴェント)は窓を閉めていた。その閉められた窓の外を眺めていた。


 紅抹香べにまっこうの甘い香りが部屋を覆っている。

 広いベッドではカシスが、白くしなやかな肢体をだらしなく横たえ呼吸を乱している。


 午前の訓練を終え軽食と着替えを済ませたベアトリーチェを、俺の部屋へ来させた。ベアトリーチェは亜麻色の長い髪を後ろでまとめ、白と茶色を基調とした商人風の作業着を着ていた。

 ユキに命じて用意させた服だが、代金は俺の給料から引かれるらしい。

 一日中娼婦用のドレスを着せておくのもいいが、今の恰好もなかなか様になっている。見方によっては、若い美青年のやり手商人といった感じに見える。


「私は、貴様の着せ替え人形ではないのだが……、そして何だ、この具合が悪くなるような匂いは」

 生意気な口調が彼女の口を突いて出た。剣術の訓練で気力が戻ってきているのだろう。死んだように無気力でいられるよりは余程良い。


「そう文句を言うな、その恰好も悪くないぞ」

 そう言うとベアトリーチェは、わざとらしく顔を背ける。視線がベッドでいまだ呼吸を乱しているカシスをとらえ、また俺のほうへ視線をもどす。


「焚いている香は紅抹香べにまっこうというものだ、王宮育ちのお前では見たこともないだろう。これには催淫効果があるらしくてな、娼館でも気分を出すために遊女が使ったりもする。お前も『欲しくなってきたら』いつでも相手をしてやるぞ」

「けだものが! ……その香を嗅がせるために、わざわざ私を呼んだのか?」



「ちがう」

 言うと俺は目線を外し、いったん天井を眺め、ふたたびベアトリーチェの目線に戻した。


「ベアト……、お前の侍女だが、あの輿入れの時、お前と入れ替わろうとした。俺は名前は知らないんだが……」

「ロザリナよ」

「そのロザリナは死んでいない。盗賊団に捕らわれたままで生きている」

「なんだと!」

 叫ぶベアトリーチェの目線が、さらに強く俺を捕えた。

 その声を聞いたカシスが息を整えながら物憂げそうに体を起こし、濡れたままの部分を隠そうともせずあぐらに座りなおすと壁にもたれた。


 事の次第をベアトリーチェに説明した。

 俺は、盗賊団が輿入れ行列を襲撃した際、良い動きをしていた一人の若者に目をつけていた。この若者を黒鷲傭兵団に引き抜こうと『忍びの者』を通して交渉していた最中に、若者が侍女の存在を教えてくれたという。


 手を三回打ち鳴らした。

 天井裏から『忍びの者』は「おりますよ」と声を返してきた。


「元王女のこの奴隷に、侍女の件を説明してやれ」

 ベアトリーチェの目を見ながら、天井裏に声をかけた。

「はい。盗賊団は捕えた王女、これは侍女ロザリナですけど。いまだに本物の王女と思っているようです。侍女ロザリナの演技に盗賊どもも騙されておりますな」

「説明を続けろ」

「はい。しかし、あっけなくエフタル王国が王女の死亡を宣言し葬儀までとり行ったため、盗賊団は捕らえた王女、つまりは侍女ロザリナですな、これをどう扱ってよいか考えあぐねているようです」

「うむ」


「おいっ、ロザリナの傷は? ロザリナは大丈夫なのか?」

 並みの女なら天井裏に『忍びの者』がいる状況そのものに驚く所だろうが、ベアトリーチェは驚くどころか忍びの者に問い詰めた。


「はい。斬り合いの際に派手に血が出ていたようですが、傷自体は浅かったのでしょう。……でも、無事ではございません。盗賊どもの傷の処置は適当なものでして、じわじわと傷が化膿しはじめ高熱を出しております。もって数日の命かと……」


 突如、ベアトリーチェは懐から短刀を抜き飛びかかってきた。

 俺は動かない。

 すでにカシスがベッドから跳躍し、体を当てて取り押さえている。


(短刀はユキが護身用に渡したに違いない。素手でも団員数人と渡り合えるのに、短刀などいらないと思うが)


 カシスに取り押さえられながらも、ベアトリーチェは藍色の目を大きく見開き短刀を俺に向け叫んだ。

「傭兵団長、ロザリナを救助しろ!」

 カシスが短刀を手刀で弾いて床に叩き落とす。ベアトリーチェは背中に腕をまわされ、肘の関節をきめられた形になった。


「うががぁっ」


 俺は椅子に座ったまま、ベアトリーチェとの間にある木のテーブルを蹴り飛ばし彼女にぶつけていた。カシスがしっかりと押さえて立っているので、ベアトリーチェは倒れない。


「おいベアト、お前、相変わらずの馬鹿だな。世間知らずもここまで来ると立派だ。お前のものの頼み方は『命令』しかないのか? いや、それとも俺を殺って侍女を助けに行くつもりだったか……、いや流石に、それはないか」

 手で合図をおくり、カシスに手をはなさせる。ふいに体が自由になったベアトリーチェはよろめいた。


「頼む、お願いだ。ロザリナを助けてくれ、このとおりだ、お願いだ」

 ベアトリーチェの目力は強いが、ついに声は震え始めていた。


 必死の懇願だった。

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