第10話 ベアトは脱走する

 □第10話の前半はベアトリーチェの視点で語られる□


 窓際に小鳥が飛んできている、外は明るい。

 朝なのか、それとも昼に近いのか、時間がはっきりと分からない。

 目がクッキリと開いた、体もスッキリとした感じがある。


「お、気づいた? 今はお昼過ぎだよ。もう大丈夫みたいだね」

 横を見ると、丸渕眼鏡で赤髪ボブヘアーの侍女がニコニコと微笑みかけている。


「ここは……? (やっぱり)」

 周囲を見渡す、やはりあの部屋に私は寝ている。どれくらい私は眠っていたのだろうか。体の調子は良いものの、気持ちは深く重たい。


「一週間、ベアトさんは風邪で倒れてたんだ……きつかったね。今までの疲労もあったと思うし、団長が無茶やったから」

 丸渕眼鏡の侍女は、服を放るように投げた。ただ、乱暴な投げ方ではない。

 布団のなかで手を動かし体に当てると、下着の上に薄い肌着を着ているだけだった。


「僕はユキ。ベアトさんの看病をするように言われている。ほら、着替えて、服も準備してあるよ。起きるときには、これを着せるように言われてるんだ」

 見ると娼婦が身に着ける青を基調としたドレスだった。男の目を引くような体の線を強調したドレスだったが、けして下品なものではなかった。


「私にこんなものを着ろと? 売春婦の着る服ではないか!」


「―――ッ!」


 気が付いた時には首筋に短刀を突きつけられていた。ニコニコと笑みを浮かべていたユキの形相が厳しいものに変わっている。

「言葉に気をつけろ。あれだけされていまだに自分の立場が理解できないのか? キミの気持ちもわかるが、まずは自分の置かれた状況から判断して喋るんだ。団長の指示がなければ、そのまま風邪をこじらせて死んでいたんだぞ」


「わ、わかったわ、ユキさん……看病ありがとう」

「うん。汗はかいていない? お腹は、すいていない?」

 刃をおさめたユキはいつもの笑顔にもどっていた。ユキの態度は確かに私を強く脅していた。でも不思議と怖くもなく、嫌でもなかった、本気で私のことを心配しているのが伝わったからだ。


 肌着が少し湿っている感じがある、お腹はすいていない。

「少し汗をかいていたみたい、お腹は……大丈夫」

「そっか、でも何か食べとかなきゃな。あとは、よ~し、特別にお風呂に湯を張ってあげるよ」

 ユキは机に行き、柄のついた手持ちベルを二~三回振った。ドタドタと足音がすると一瞬のうちに若い男が三人やってきた。


「「「御用でしょうか!」」」


「あ~、マピロにマハマに、え~君は新入りのディロマトか、ほんっと忙しいときに悪いんだけど、湯船にお湯を張って欲しいんだ」

「「「はい!」」」


 そしてまた、一瞬のうちに若い男たちは走り去った。

(なんて素早い業務の遂行だ。王宮の侍女の十倍は早いぞ)


「ね、ユキさん、貴女は侍女頭なの?」

「いやいや、僕はこう見えてもこの傭兵団の金庫番さ、副官二人の次に偉いんだよ。看病したのは団長から頼まれたからだ。まあ、ガサツなうちの団員達にキミの看病は無理だろうからね」

「そ、そうなんだ……(だからメイド服を着ていないんだ)」

「さて、僕はフルーツでも取って来るか」


 体をベッドから半分おこし、肘を曲げ伸ばししてみる。

「うっ」

 肘関節が固まったように動きが悪く、思うように動かせない。

「あたたっ」

 曲げた腰もギシギシに痛い、流石に一週間も寝込めばこうなるのか。

 首を左右に倒してみる。ものすごい骨の鳴る音がした。


「おーいベアトさん、ほら、美味しいイチゴだよ。食べたくなってきた?」


(えっ? 早っ)

 いつの間にかイチゴが盛られた皿をユキは手にしていた。私が起き上がり、関節を鳴らしている間に取ってきたのだろう。

 真っ赤なイチゴに、白い砂糖がたっぷり乗っている。


(……甘くて、美味しそう)


「ね、ベアトさん、とりあえず食べて元気を出そうよ!」

「うん、ありがとうユキさん」

 私はイチゴをひとつつまみ、口に入れた。

 歯応えの良いイチゴは、私の予想通りの味だった。


 さてと……、私はユキの目を盗み、周囲をじっくりと観察した。



 □ここからは傭兵団長ルーヴェントの視点で物語が進行する。

 


 昼間は商工ギルドでの会議が行われた。


 名目上、俺(=ルーヴェント)は議長になっている。発展を続けているここロンバルディアでは、日々、内側からも外側(外交や侵略など)からも様々な問題が発生している。

 我が黒鷲傭兵団はロンバルディア内部では武力をもった警察として、外側に向けては百人という規模だが、自治領の自警軍として部隊化し常駐させている。


 会議を終え、商人たちと娼婦の話で盛り上がっていたところへ団員が真っ青になって駆けつけて来た。団員はペコリとその場にいた者たちに挨拶をすると、俺に耳打ちした。


「おう、わかった」

 俺は商人たちに挨拶して、急ぎ館に戻った。


 扉を開ける。ホールは静まり返っており、テーブルがすべて隅に片付けられていた。隅の方に腰を下ろしていた団員が、急ぎ立ちあがり俺に挨拶をする。

 ホール中央に団員三人が正座して恐怖に震えあがっていた。俺に気づいたユキがカウンターからビクビクしながらやってくる。


「おいユキ、ベアトの野郎が逃げただと?」

 ベアトリーチェの体調が起き上がれるまで回復したことは、連絡されて知っていた。しかし、こんなにも早く脱走されるとは思ってもおらず、俺の怒気がホールにみなぎった。

「す、すみません。監視の数を増やしておくべきでした。三人つけていたのですが。ぼ、僕の責任です」


(正座してるそこの三人の眼をくぐって、アイツは逃げたのか?)


 俺から殴られるのを恐れてか、ユキは目を合わせようともしない。

 正座している団員をよく見ると、ボコボコにやられた形跡がある。


「おい、あの三人はお前がやったのか?」

「いいえ、入浴していたベアトさんを『見張り役』だからと言って覗いていたんです。そこを彼女に見つかって……、あのザマです。そのまま逃走をゆるしました。すみません、僕の教育不足でした」

「馬鹿がっ!」

 ユキの尻を蹴飛ばすと、派手にころがり壁に大きな音をたててぶつかった。正座をしていた三人が目をつぶる。隅っこにいた何人かの団員がユキに駆け寄る。


 そこから俺は三人の前にしゃがみ込むと、睨みつける。

「おい、マピロにマハマ、え~、お前は新人のディロマトだっけか。俺の大事な『奴隷』の裸を無料タダで鑑賞した上に、ボコボコにされて逃がしてくれたんだってな? コレどうしてくれるんだ」

「すぐに探して連れ戻します!」

「とっ捕まえてきます」

「見つけて、やっちまいます」


「一対三でベアトの野郎にボコられておいて、オメーらが連れ戻せる訳ねーだろ」

 わざとらしくため息をつくと、立ち上がり腕を組んだ。

「けっ、お前ら三人の罰は『二週間、街の西地区の清掃』だ。日の出前にやれ! いいか」

「「「はい」」」


「以下は訓告だ。お前たち三人がかりにもかかわらず、女のベアトにやられたことを恥ずかしく思え、もっと鍛えろ! いいか」

「「「はい」」」


「風呂を除いたことは男の性分サガだから仕方ない、次からはバレないように上手くやれ! 以上だ」

「「「はい」」」


さて、ユキを睨みつけながら、頭には拳骨をゴツゴツくらわせた。

「ユキ、お前の罪はベアトを逃がしたことも大きいが、団員三人に『見張り役』だという曖昧な指示しかださなかった、あげくに自業自得とはいえ怪我を負わせたことだ」

「団長の言うとおりだよ」

「ユキ、罰として、お前は今月四回、娼館で客を取れ。売上は団の金庫に入れろ。娼館長のヴィオラには俺から連絡を入れておく」

「……わかりました」

 聞いていた団員の数名が色めきだった。


 このように理由をつけて、ユキには娼館で『男娼』として働かせることもある。


 カシスがとっているような女性を相手にする『普通の男娼』と違い、ユキはいわゆる『男の娘』として相当に人気がある。

 団員の中にもユキに惚れている男は多い。売上そのものとは別に、ユキ本人に小遣いをくれる客までいる。

 また、ユキ自身も表面上は嫌がっているが、本心はそうではない。


 これは罰どころか、ご褒美にちかい。


「さてと、ユキ。行くぞ!」

「行くってどこにさ」

「ベアトの野郎をとっ捕まえに行くにきまってるだろう! 早く支度をしろ!」

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