第9話 ベアトは悪夢を見る

「お帰り団長、早い帰りだね……って、うわああ!」


 本拠地ロンバルディアの館に戻ると、ホールのカウンターにいた金庫番のユキが目ざとくやってきた。少女っぽい外見に丸縁眼鏡をかけたユキは、俺が担いできた剣歯虎サーベルタイガーにおどろき腰を抜かしてへたりこむ。

 いつもは直接に街の商人に引き渡していたが、今日は早く館に戻りたかった。


「失礼します」

 一緒に館に帰ったカシスは、目すら合わせずに挨拶をすると自室へと戻った。


 ユキはすこしカシスの様子を気にしたが、すぐに剣歯虎サーベルタイガーに近づくと興味深そうに眺めている。

「ユキ、こいつは若い団員に商人のとこへ運ばせておけ、利益はお前が考えて分配しろ」

 床に獣の死体を無造作に置く。床がかなり汚れるが、ユキが後で団員に掃除させるだろう。


「それで、あいつ……ベアトの野郎の具合はどうだ?」

「あ、ああ王女いや……ベアトだけど、医師にみせたら風邪みたいだ、やっぱ。いろんなことがありすぎたからさ」

「そうか、世話になったな」

 ポンポンっと頭を撫でると、ユキは嬉しそうな感じを全身から出した。


「今は団長の部屋で、薬をつかって寝かせてる」

 俺は、わかったという感じで、布をグルグル巻きにされた右手をあげた。

「ええっ? なにその手」

 ユキがまた叫ぶが、無視した。



 俺に奴隷として買われた昨夜、散々凌辱されたあとベアトリーチェは発熱し寝込んでいたのだ。



 □ここからはベアトリーチェの視点で物語が進む□


 暗い。


 目が開かない。

 ひどく寒い。

 体中が痛く、重く、動かすことが出来ない。


 すごく怖い夢を、立て続けに見たように思う。

 ひとつめは、盗賊団に襲われて死ぬ夢だった。

 次の夢では、傭兵団に捕らわれて……私は辱めを受ける。


 最悪だわ。

 口に出して呟けたかどうかも分からない。

 また、眠気が襲ってくる。



 気が付くと、明るい空の下に私はいた。

 見覚えのある芝生に、花壇がある。


(そうか、ここは城の中庭だ)


 コツン!

 木剣が私の頭を打っていた。

「姫様、稽古中によそ見とは珍しい」

 声の方をみると、武官長であり剣術師範のライアンが腰に手を当てている。私の両手も木剣を握っているようだ。


(ライアン先生、身長伸びた? 髭がない、白髪染めたのか?)


「おかしいなあ、私はよそ見などしてはおらぬ!」

 口と体が勝手に動き、構えをとるライアンに力の限り剣を叩きつけていく。


 気づくと私の体が思いきり小さい。背も低く、手足も短い。

 そうか、これは夢だ。

 子供の頃の夢を見ているのだ。


 叩きつけた木剣は、三回に一度はライアンの体をとらえた。

「うぐう、姫様。お上手ですぞ!」

「ライアン、油断してはならぬ。隙があるのが丸見えだぞ」


(違う、ライアン先生、わざと打たれている)

今の私の目には、それが良く見える。わざと私に打たせて、自信をつけさせようとしているのだ。


 私は腰に手を当て、胸を張った。ライアンの息があがっているようだ。

「十歳でこれほどまで剣を極められるとは、姫様はライアンの誇りでございます」

「私は剣術の天才なのだからな。だが、勉強は苦手だ。だから、この国を守る騎兵団の総帥になり軍を率いる。ライアンは片腕として側に置くから、よく励むのだぞ!」

「は、ありがたき幸せに存じます」

 ライアンが片膝をつき、礼をとる。


「姫様、お茶とお菓子をお持ちしましたよー。パティシエの新作『甘栗のタルト』です」

 ニコニコしながら向かってくるのは、侍女のロザリナだ。


(ロザリナ! 若いなあ!)


「うわあ、ライアン『甘栗のタルト』だって!」

「ははは、私は甘いものは苦手ですゆえ、私のぶんもお食べください」

「い、いいのか? 愛しているぞライアン!」

 侍女ロザリナが、抱えて来た喫茶道具と青いマットを芝生に置く。ロザリナは、私より五歳年上で、今のロザリナの姿は十五歳だ。


(ロ、ロザリナ……私は、お前に何かを……告げねば)


 大事なことを、思い出せない。ロザリナに謝らないといけないことがある気がする。


「おいロザリナ、その頬の痣はどうしたのだ?」

 ライアンが気づいたように言うと、ロザリナの顔がわずかに曇る。自分で言っておきながらも『しまった!』という顔をするライアン。


「いやあ、ぼ~っとしていたら柱にぶつかっちゃって」

「あはははっ、ふつう柱になんてぶつからないよ、ドジだなロザリナ」

「えへへ姫様、そうですよね……」


(違う! 柱ではない、兄上がロザリナをぶったに違いない、何故わたしは気づけないんだ!)


 城の中庭でスイーツを食べ、私とにこやかに談笑するロザリナとライアン。

「「あっははははは」」

ライアンが身振りをつけて言う当時流行っていたジョークに、私とロザリナは思いきり笑った、その時。


 私は大事なことを思いだす。


(八年後の未来。ロザリナ、お前は……私の身代わりとなり……盗賊団に斬られ……)




 私は目をひらいた。

 夜のようだ。

 臣下の者のベッドに寝ているのだろうか、ここは自分の寝室ではない。

「目が覚めましたか?」

 侍女の一人が声をかけてくる。あまり聞かない声だな。


「気分はどうですか?」

「悪夢を連続して見た、最悪だ……はあっ? 誰だお前は!」


 王宮に入った新入りの侍女はかならず紹介される、この者は知らない顔だ。

 もう一度首を動かし部屋の様子をうかがう。違和感がある、ここは本当に城の一室か?

 侍女の制服も見たことがない独特なものだ。

「おいっ、お前は誰だ! そして、ここはどの部屋だ!」


「ちょ、ちょっと、落ち着いてってば」

 丸縁眼鏡をかけたボーイッシュな侍女は、私をなだめるように肩に両手を置く。

「僕はユキ、ほらお風呂場で体を拭いた、あ~、やっぱ憶えてないよね」


「ガタガタうるせ~ぞ、ここは俺の部屋だろうが」

 獣の気配がした。ベッド脇の床から、逞しい体の男が起き上がって来る。いままで床に寝ていたというのか。

 その声とともに、忌まわしい記憶が戻って来る。


(こ、この男は)

 瞬間、下腹部の奥にうずくような痛みを感じた。


「うぐぅ、おええぇ」

 吐き気を催し、口に手を当てる。胃が痙攣するが、胃液すら上がってこない。

 

 気づくと涙が出ていた。

 すべて夢ではなかった、最後に見たものを除いて。

 全身に震えが走り、同時に強い倦怠感(=けだるさ)を感じた、体が動かない。


「まだ、良くないみたいだね」

「おい、大丈夫か? 喉は乾いていないか?」

 丸縁眼鏡の侍女が心配そうな顔をし、男がたずねてくる。

 気のせいに違いないが、男の顔はどこか優しい。


「何も、いらない」

 そう言うと、再び意識がとおくなって、暗い闇の中に沈んでゆく。


「ユキ、林檎をすりおろしてこい、ひとサジずつ飲ませるんだ」

 薄れてゆく意識の中で男の太く低い声がかすかに聞こえる。

 体の奥の深いところ、子宮のあたりがジンジンと痺れた。


 夢で、全てが夢であって欲しい。

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