第二章 ベアトは脱出を試みるが……

第8話 ルーヴェントは剣歯虎と素手で戦う ♥

*後半部分に性的描写があります。苦手な方は閲覧をご遠慮ください。



岩の多い荒野を疾走する、二匹の獣かと思えた。


 傭兵団の拠点ロンバルディアを出て東の王都エフタルとは正反対のほうへ行くと、荒野が広がりやがて山岳地帯となる。


 草はあまり生えておらず、地面は乾いたところが多い。

 重厚な鉄の鎧を着こんだ男は傭兵団長ルーヴェント。軽く、しかし硬い黒革のジャケットにハーフパンツ姿の女は副官のカシスだ。


 巨大な岩がいくつも積みあがった丘の中腹でルーヴェントは疾走を止めると、呼吸をととのえ携帯していた水筒の水を飲んだ。

 やや遅れて到着したカシスは前かがみになり、両膝に手を置く。肩が上下に揺れ、荒く乱れた呼吸を整えようとしている。

 ルーヴェントはカシスの腹に蹴りを入れると、彼女が倒れた横に水筒を置いた。


『長駆(ちょうく)』

 行軍や、戦場での距離を移動する戦いに対応するための訓練である。

 重量のある装備を背負い、周囲の状況に警戒し、長い距離を、誰よりも速く駆ける。

 団長ルーヴェントのレベルでこの訓練を遂行できる団員はいない。ギリギリついてこれるのがディルトと、いま一緒にいるカシスの二人だ。


「いつまでも呼吸を荒くしているんじゃねえ」

「はっ、はぁ、は……い、すみ……ません」

 わずかな汗を額に浮かべるルーヴェントの足元で、カシスの漆黒のショートヘアから、汗がしずくのように流れ落ちている。



 ルーヴェントは石積みをつくると、枯れ枝をあつめ焚き火の準備をする。この丘には、樹木もいくらか生えており、木陰をつくっている。

 持参した兎の肉を五本の串に刺し火にくべる、すぐに脂がしたたり落ち始め、炎の勢いが増す。

 二本目を食べ終わったとき、呼吸をととのえたカシスが、体を寄せ隣に腰をおろした。


 女の汗の匂いがしている。彼女のジャケットの中は、下着まで汗に濡れて重くなっていた。

 

 ルーヴェントはカシスが来ると思いだしたように、香辛料を懐から取り出し兎肉の串に振った。

 焚火の小枝がパチパチと音を立て、兎肉とにくの匂いが周囲に漂よってきた。


「お前、体力ついてきたな」

「そんな。誰だって何度も繰り返していれば体力はつきます。こんな頻繁に団長と訓練していれば、……誰だって」

 わずかに頬を赤くし喋りはじめるカシスを、ルーヴェントは焚き火を見つめ続けたまま無視する。

 木陰で火を焚いているが、いぜん日射しは強いままだ、少しだけ乾いた風が吹いた。


「焼けてるぞ、食え。もう少し水も飲んでおけ」

 ルーヴェントはカシスのほうを見ようともせず、脂がたれる兎肉の串を差し出した。しかし、彼の意識は風にむけられた。鋭い顔のつくりの中の鼻と耳がかすかに動く。


 ルーヴェントは、丘の中央を見上げるように腰から上体をひねり、視線をひとつの岩に据えた。

 同時に、カシスの鋭く切れあがった目も、ルーヴェントを見据えていた。

「団長……、いますね。単体というか」



 +++



 空と流れる雲が、なぜか俺(=ルーヴェント)の視界に入ってきた。

 鼻につく獣の匂いが風に混じり、小石がパラパラと転がり落ちて来る。


 瞬間、カシスを斜面の下の方に蹴り飛ばし、重心を低く軸脚に力を込めた。

「遅えんだよ、反応がぁ」

 カシスを怒鳴りつける、しかしあそこまで落ちれば『獣』の射程からは外れるだろう。

「カシス、そこでじっとしてろよ」


 低く分厚い唸り声。

 緊張をそのままに、視線をスライドさせていく。


 カシスの座っていた位置には、巨大な獣が姿勢を低く構えていた。

 縦長の瞳孔、目が合う。堂々たる体躯に肩の筋肉が隆起している。白く長い牙からは、唾液が湯気をあげて流れている。

「野生の剣歯虎ザベルティガか、……まだいたのかよ」


 俺は笛のように呼吸音を響かせると地面を蹴り、砂利の斜面に一度着地する。そこから二歩跳び足場の良い岩場へと立つ。こぶしをかまえた。

 剣は持ってきていない。


(なぜ、今アイツを思い出す?)


 ふと昨夜、風呂場で拳をかまえていた全裸のベアトリーチェを思い出した。くだらねえ、すぐに頭から振り払う。


(野生の剣歯虎ザベルティガ、まだこのあたりには、相当数の個体がいるに違いない)


 この周辺の剣歯虎ザベルティガは、すでに訓練がてら五匹ほどを倒しており絶滅させたと思っていたが、どうも違うらしい。剣を持ってこなかったのは、どう考えても俺の油断だ。


「よう、兎の肉はお前にやる……って、標的はやっぱ俺か」


 確かに最初は兎の匂いに釣られたのだろうが、いまは興味を示さない。

 腹を更に地面すれすれにまで低く、その背中に肩甲骨をくさびのように隆起させる。耳を伏せ、鼻筋に皺をよせ、先ほどに増して牙をむき姿勢を低くしている。


 手のひらを、丘の斜面の下へ向ける。

『勝てる』『援護不要』『隠れていろ』

 目線は獣からそらさず、そこにいるであろうカシスに手の平を動かし合図をおくる。二人の間に細かい合図が決まっているわけではないが、通じている確信はある。


 獣が掻くように前脚をうしろに動かす。瞬間、視界上部にあったのは獣の腹部。無意識のうちに腰を落とし、飛びかかってきた牙をかわしていた。


(かわすだけでは終わってはダメだろ)


 岩を踏み全身をバネにし、上を越えてゆく獣のやわらかい下腹部に拳を突き上げた。

 長駆のために重厚な鎧を着こんでいたのが幸運だった。鎧と全身の重みを乗せた拳が獣の脂肪のある下腹部を通し、内臓を破壊した。


 濁った呼吸音。

横腹から砂利の上に落ちた獣は、空気が破裂するような咆哮を上げ、喉元から血を吐いた。俺も犬歯を見せ、全身に闘気を充填してゆく。


剣歯虎ザベルティガ……、俺も、そう呼ばれているんだよ、俺が本家だ」


 ふと、獣は斜面の下を見た。ゴツッ‥‥…小さな音。音だけでわかる、どこからか投げられた拳大の石が地に落ち転がっているのだろう。


(カシスの野郎か)


 視線を外した獣。その隙をつくように渾身の一撃をその眉間に打ち込んだ。叩きつけた右拳が手首から砕ける。しかし、獣の頭蓋骨も脳まで打ち砕いた感触がある。

 俺は威嚇するように、空を仰ぎ空気を震わせ鋭く吠えた。

 獣の背中にまたがり、首に腕を回すと肘をきめ獣の頸椎(首の骨)を折った。


 のたうち回る獣。鎧に覆われた体を、その体重ごと地面に繰り返しぶつけられる。丘の岩だらけの斜面を、骨が砕けるような衝撃を何度も食らい、土煙を上げ獣と共に落ちていった。


 □


 「熱い……」

 降りかかる返り血を顔に浴びていた。

 斜面を転がり落ちたところに飛び込んできたカシスが、獣の頸動脈を短刀で掻っ切ったのだ。


「何が『勝てる、隠れていろ』ですか、……ったく世話が焼ける」

 カシスは呆れたような顔つきで俺を見下ろしている


 ゴロリと転がり剣歯虎ザベルティガから離れる。獣の下になっていた右手を引き抜く。

「……っ」

「ああっ、大丈夫ですか?」

 表情を崩したカシスが俺の砕けた右手を両手で包み込んで、周囲の地面を見渡した。彼女の手に包まれると、皮膚の下の骨が砕けているのが実感できた。

 カシスは枝を拾い添え木をしようとしゃがみこむ。その時、彼女の黒いジャケットの襟から、適度に膨らんだ胸が視界に入った。


 強い情欲と共に、浴びた獣の血の熱さをふたたび感じた。

 汗の乾いていない漆黒のショートヘアーを左手で乱雑に掴むと、払いのけようとするその手を、激痛のはしる右手ではらった。

 そのまま無理に顔を引き寄せ、唇を合わせ強く吸う。


「ちょ、ちょっと、手当てが先です」

「あとでいい、脱げ。待っていたんだろ?」


「待って……ないです」

 カシスは唇をすこし咬み、手にしている包帯と木の枝を地面に落す。

立ち上がると、そのまま黒革のジャケットを前から開き、両手で黒のハーフパンツを下ろした。

 下着は飾り布ひとつないグレーで、色気より動きやすさを重視したもののようだ。手を掛けると、まだ吸った汗で濡れており脱がしづらくなっている。無理に掴み、両膝まで力任せにずり降ろした。


 日射しも強いままで肌を刺し、風はいつものように乾いたものだった。


 四つ這いにされ、後ろから硬いものに貫かれ続けるカシスの姿は、これもまた獣の姿だった。

 呼吸を激しく乱し咆哮を繰り返すカシスの背中を、愉しみながら眺めた。

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