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「なるほど。橘川さんがこの界隈で評判がいいのはそういうわけか」
と融は独り言を言う。寧月の記憶の部屋を見た以上、私は心を決めていた。
「協力しましょう、寧月さん」
私は寧月の手元にある婚姻届けに手を重ねる。
「もう少し、口説き文句を用意していたんですが」
「あなたも言いましたよね。挑文師同士なら、言葉は必要ありません」
「時と場合によりますよ」
寧月が婚姻届けを渡してきたので、テーブルに書類を広げ記入していく。保証人の部分には既に本局の人間の名前が書かれていた。用意周到だ。
一通り書き終わったところで、私は寧月の挑文師の名前を聞く。
「ミミズクです」
「私はニオ」
「ところで、指輪はいつ買いますか?そして同居する家はどうしますか?クリニックに隣接の住居でかまいませんか?」
と寧月は聞いてきた。畳みかけられる言葉に困ってラウンジの窓の外に目を向けたら、白い靄を見つける。
「漠(ばく)」
私が言うと、寧月もまた窓の外を見た。私たちは目を見合わせ、頷きあう。
漠を片付けてからにしましょうか、と寧月は書類をたたんで、コンシェルジュに預けた。私もまた持ち物を預ける。
「愛玩物は?」
そう聞かれたので、私は後ろ髪をかき上げて、耳の後ろの刺青を見せた。扇の絵を模した刺青だ。ややいびつな形をしているのはご愛敬だった。
漠に飲み込まれないようにするには、自分にとって一番思い入れのある愛玩物を手にしている必要がある。思い入れのある記憶が漠に対抗する唯一の方法だからだ。
耳の後ろの刺青をなぞって見せると、
「なるほど身体に刻んでしまうのは便利ですね。それに、色っぽい」
とコメントして、寧月はロビーの入り口から出ていく。私も後を追った。
寧月は左右の手の指を絡める。手の中から紅い紐で編まれた網を出してきて、広がっていく漠に向かって放った。私もまた耳裏をなぞり緋扇を取りだし、扇を煽って漠をかき集めた。
「これが終わったら、結婚しましょう」
寧月が言うので、私は「よろこんで」と答える。
私たちの任務上の業務結婚はここから始まった。
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