第9話 あいうえおのおまじない
ミミルはおまじない屋の女の子です。
おまじない屋は、町のはずれ、森の入り口にあります。
赤い屋根の、きのこみたいな形をしたおうちです。
おまじないが必要な人に、おまじないをかけてあげています。
ミミルは、ときどき町へ出かけます。
子どもだからです。
子どもだから、学校に行くのです。
ミミルは学校に行かなくてもいいから、うらやましいな、と思っていた、そこの君。
ミミルだって、ちゃんと学校に行くのですよ。
ときどきね。
バスケットにお弁当を入れて、お出かけです。
でもその前に、やることがあります。
「ミミルミルミル、ミミルミル。学校に行くときのおまじない。忘れちゃいけない、あいうえお。あいさつ、いい姿勢、うそはつかない、えがお満点、お弁当」
そうそう、忘れ物のないように、しっかりおまじないしてね。
「あら?いは、いちごだったかしら?」
ミミルは、お弁当にいちごも入れました。
「危ない、危ない。忘れ物するところだったじゃないの。これでよしっと。あれ?えーっと、うは、うずらたまごだったかしらね?」
キッチンを探してみましたが、うずらたまごはありませんでした。
「わたし、うずらたまごは食べないわ。だって、うちでうずらは飼っていないもの」
うずらたまごは諦めて、出かけることにしました。
「うーん、でも、なんか忘れ物があるような気がするのよね。なんだったかしら?」
ええ、そうですとも。
ありますとも。
大事なことを忘れています。
でも、まだ教えないでおきます。
忘れっぽいミミルは、こんなことはしょっちゅうですから、気にせずに出かけました。
外はいいお天気。
天気予報も、今日は一日、晴れの予報です。
トコトコと靴音を鳴らして、町へと歩いていきます。
その音に合わせて、歌を口ずさみました。
♫お料理だったら かきくけこ
かやくごはんに きくらげ入れて
クッキング
けんちん汁も 欲しいわね
今夜は特別 ごちそうだ
「わたし、音楽の時間になったら、うんとうまく歌って、みんなをびっくりさせてやるんですから。それと、算数の時間には、引き算が得意だっていうことを見せてあげるわ。国語の朗読は、白雪姫だったらいいわね。うちに絵本があるもの」
小川を越えて、お花畑を越えて、町へと入っていきます。
賑やかな通りに出て、人が多くなってきました。
町の中心には、お店がいっぱいあります。
ネコの魚屋さんが、イワシの頭をかじりながら店番をしています。
ウシの牛乳屋さんが、子どもにお乳をあげながら、牛乳びんを並べています。
ヤギの郵便屋さんは、口に手紙をくわえて郵便配達。
洋服屋のヒツジさんは、自分の毛で編み物をしていました。
ミミルが好きなのは、パン屋さん。
パンダのやっているパン屋さんです。
前を通ると、いつもおいしそうな香りがしてきます。
「くんくん、くんくん。うーん、いい香り。わたし、この香りだけでパンが食べられるわ」
パンですから、ねえ。
おかしなことを言っていないで、早く学校に行きましょう。
でないと、おかしなことが起きてしまいますよ。
ミミルは、細い路地を右に曲がって、坂を下って、今度は路地を左に曲がって、次は坂を上って、また左に曲がりました。
そこから、くねくねとした道を道なりにいくと、学校に着くはずなんですけど、あれれ?
そこにあったのは、見たことのないお店でした。
「あら?こんなお店、あったかしら」
ショーウインドウの中には、たくさんの鏡が飾ってありました。
「鏡屋さんかしらね?」
ミミルはそのうちの、大きくて古めかしい、楕円形の鏡に惹かれました。
「この鏡、白雪姫に出てきそうだわ」
不思議なことに、その鏡を覗き込んでも、ミミルの顔が写っていません。
「やっぱりそうよ。これは魔法の鏡なんだわ。鏡よ、鏡、鏡さん。この世で一番美しいものは、なーんだ?」
すると、鏡に妖精が写りました。
「それは、うずらよ」
妖精は言いました。
ミミルはびっくりしました。
「うずらなわけないじゃない。嘘つきね」
「だって、うずらなんだもん」
妖精は、プーッと頰を膨らませて怒ると、消えてしまいました。
「変なの。あの妖精、きっと学校に行っていないんだわ」
そうそう。
学校に行かないと正しい知識が身につきません。
だから、ミミルも早く学校に行きましょう。
ミミルは、さっきは道を間違えたのだと思いました。
もう一度パン屋さんのところまで戻ろうと思いました。
くねくねとした道を反対に辿って、右に曲がって、坂を下って、また右に曲がって、坂を上って、今度は、細い路地を左に曲がると、あれれ?
「また鏡屋さんだわ!」
元の場所に出ると思ったのに、また鏡屋さんの前に出てしまいました。
ミミルは、ようやく忘れ物に気づきました。
「うー、わたしってば、学校までどうやって行くか忘れちゃった」
あんまり長いこと、行ってなかったからですよ。
これからはちょくちょく行きましょうね。
「落ち着いて、落ち着いて。こんなときには、おまじないよ。ミミルミルミル、ミミルミル。迷子のときのおまじない。大事な大事な、さしすせそ。さみしいときには、深呼吸。すぐに消えるわ、せつなさは。そばにあるはず、道しるべ」
すると、鏡屋さんのドアが開いて、パンダが出てきました。
白い帽子と、白いエプロンをしています。
「あ、パン屋のパンダさんじゃない」
「ああ、困った、困った」
パンダは、慌てた様子です。
「どうしちゃったのよ」
「ドーナツに穴が空いちゃった」
「ドーナツは穴が空いているものだわ」
「早く、穴を塞がなきゃ。君、いちごを持っていないかい?」
「いちご?持っているわよ」
パンダは大喜びしました。
「ああ、よかった。そのいちごは、ドーナツの穴を塞ぐためのいちごだよね?」
「違うわ。わたしが食べるためのいちごよ。ドーナツに穴が空いてたって、かまわないもの」
パンダはがっかりしました。
「そうかい、そうかい。じゃあ、ドーナツの穴は空いたままなんだな」
がっくりと肩を落として、大袈裟にうなだれます。
その様子を見て、ミミルはパンダがかわいそうになりました。
「いいわよ。じゃあ、いちごをあげる」
お弁当の中から、いちごを取り出そうとしました。
でも、それはいちごではありませんでした。
「あら?うずらの卵だわ」
「ああ、もう終わりだ!」
パンダはがっくりきて、店に戻っていきました。
「あ、ちょっと」
ミミルは学校までの道を聞こうと思ったのですけど、パンダはいってしまいました。
そこで、もう一度鏡の妖精を呼び出すことにしました。
「鏡よ、鏡、鏡さん。学校までは、どうやっていったらいいのかしら?」
すると、面倒くさそうに鏡の妖精は出てきました。
「もう、あんまり呼び出さないでよ。こっちだって仕事に穴を開けられないんだから。学校までは、ドーナツのたちつてと。あとは自分で考えなさい」
それだけいうと、プイと消えてしまいました。
「ドーナツのたちつてと?なにかしら。ええと、たは、たまごドーナツでしょ。ちは、チョコドーナツかしら。つは、ツイストドーナツに、ては、天使の輪っかドーナツでいいかな?とは、とうふドーナツよね」
すると、またパンダが扉から出てきました。
「もう終わり。もう終わり。穴のないドーナツは、もうなくなった。今日はもう店じまい。南の国へいってきます」
パンダは、ガラガラガラっとシャッターを閉めて、どこかにいってしまいました。
「うーん、穴のないドーナツといえば、ツイストドーナツよね。ツイストドーナツは、ねじれたドーナツ。そうだわ。さっきのくねくねした道まで戻ってみようっと」
ミミルは、くねくねした道まで戻りました。
「きっとここで間違えたんだわ」
「正解、正解。君は間違えたんだよ」
木の上から声がしました。
見ると、ツバメでした。
「あら、ツバメさん。ねえ、学校までは、この道でよかったかしら?」
「それは間違いだよ」
「間違いだったの?」
「うん、正解だ」
「どっちなのよ」
「間違えたことに正解だ。間違えたということが正解だ。だから、君は正解じゃなくて間違いだ」
「うう、そんなこと言われると、頭がねじれちゃう」
「正解、正解。ねじれているのがツイストドーナツ。でもそれは間違い。正解は、ツバメドーナツ」
「ツバメドーナツなんて、聞いたことがないわ」
「聞いたことがないから、勉強する」
「あなた、先生みたい」
「そう、ぼくは先生。サンバの先生。南の国で、くねくね、くねくね。腰をくねらせサンバの先生。そら、サンバ、サンバ、パンダもサンバ。こんなサンバ、あんなサンバ、パンダのサンバはどんなサンバ」
ツバメはサンバを踊り始めました。
「わたしはサンバじゃなくて、学校へ行く道を教えてほしいのよ」
「教えてほしけりゃ、学校に行きな。学校行くなら、なにぬねの。生徒の心得、なにぬねの」
ツバメは、バサバサっと、南の国へ飛び立ってしまいました。
「なにぬねの?なんだろう、なぜかしら、なにがある、なにをもって、なぞなぞ。これじゃあ、ななななな、だわ。わたし、九九は七の段が苦手なの。えーっと、なななな、ななじゅうなな。そんなバナナ」
なななな、なんて言っていたら、そりゃあ苦手なまんまです。
七はしちと読まねばなりません。
なななな、ななじゅうなな、じゃなくて、しちしちしじゅうく。
九九を習っていないお友達のために、ちょっと解説しましょう。
しちしちしじゅうく、とは、七かける七は四十九になる、という意味です。
ミミルが九九に苦労していると、突然大きな声が響きました。
「泣く子はいねがーっ」
「きゃあ!」
現れたのは、なまはげ。
なまはげとは、悪い子をこらしめる、オニ。
でも本当は神さまの使いなんですって。
「泣く子はいねがーっ、悪い子はいねがーっ」
「きゃ、わ、わたし、いい子にしてるわ。だから、助けて!」
「いい子は、とっくに学校に行っている時間だべさ」
「だって、学校に行く道を忘れちゃったんだもん」
「だったら、生徒の心得、なにぬねのを言うべさ」
「なにぬねの、なにぬねの。えーっと、泣き虫はだめよ。荷物はちゃんと持ってきて。脱いだ靴は靴箱へ。寝不足禁物、早寝早起き。の、の、えーっと、のは、なんだったかしら。の、の、ノアの箱船に乗り遅れない?」
急になまはげは優しい声になりました。
「よくできた、よくできた。わたしの本名はノア。神さまの使いじゃよ」
オニのお面を取ると、現れたのは優しそうなおじいさん。
「さあ、箱船に乗りなさい。もうじき出発時刻じゃよ」
そこには、大きな箱船がありました。
ミミルはノアと一緒に、箱船に乗りました。
「お船で学校まで連れてってくれるのかしら?」
「学校なんて、とんでもない。四十日と四十夜、雨が降り続けるのじゃぞ」
「四十日と四十夜ですって?そんなに待ったら、もう夏休みになっちゃうじゃない!わたしは今から学校に行きたいのよ」
ミミルは船を下りようとしましたが、窓の外はザーザー降りの雨。
「天気予報では、晴れるって言ってたのに」
「最近の天気予報は、当たりすぎて困る。わしが子どもの頃なんて、ちっとも当たらんかったんじゃぞ」
仕方なく、ミミルは船の中にいることにしました。
雨はどんどん降って、洪水になりました。
船は水に流されていきます。
「町が沈んじゃったわ。このまま雨が止まなかったら、どうなっちゃうのかしら」
「心配いらない。わしは動物のはひふへほを船に乗せておるから」
「動物のはひふへほ?」
「つまり、ハツカネズミ、ヒゲネズミ、フクロノネズミ、ヘンナネズミ、ホンダラネズミ」
「ネズミばっかりじゃないの」
ガリ、ガリ、ガリ、ガリ。
嫌な音が聞こえます。
「なにかしら、この音」
「わからぬかね?ネズミが船をかじる音じゃよ」
チューッと、床から水が吹き出しました。
「ネズミに船底をかじられたようじゃ」
「え、じゃあ、どうなるの」
「沈む」
「に、逃げなきゃ!」
グラっと、船が大きく傾きました。
そうかと思えば、今度はグルグルグルグル、まわりはじめました。
「きゃーっ、沈んじゃう」
「うーむ、困ったのう」
「ノアさん、なんとかしてよーっ」
「困った、困った。こんなときには、困ったときの、まみむめもじゃ」
「困ったときの、まみむめも?なに、それ?」
「忘れた」
「もう、忘れ物が多いのは、困りものだわ!」
船はグルグルとまわりながら、沈んでいきます。
「えーっと、まみむめも、まみむめも。まわってまわって、さあ大変?みんなグルグル?無理なこと言わないで。目がまわる!もうだめだあ!」
グルグルと目がまわって、ミミルは気が遠くなりました。
気がつくと、頭のすぐ上に船の天井がありました。
水がそこまで入ってきたのかと思いましたが、水はどこにもありませんでした。
そうではなくて、ミミルの体が大きくなっています。
ミミルの体は、どんどん大きくなります。
頭を天井にぶつけました。
船の中が窮屈です。
でも、まだ大きくなります。
船が壊れちゃう、と思ったら、天井をバリバリ突き破って、外に出ました。
「わ、出れた」
雨は止んでいました。
すっかりいいお天気になっています。
あんなにあった水も、すっかり引いていました。
箱船を見ると、それは割れたうずらの卵みたいに見えました。
ミミルは、手足がおかしいのに気づきました。
手は茶色い鳥の羽のよう。
足も鳥の足みたいです。
「わたし、鳥になっちゃったの?これじゃまるで、うずらだわ」
試しにバタバタと手を羽ばたかせてみると、ミミルは空に飛び上がりました。
「すごーい、空を飛んでる!」
パタパタパタと、飛んでいきます。
「あ、学校が見えてきたわ」
空からだと、学校はすぐに見つかりました。
ミミルは学校に向かって、下りていきました。
すると、バサッと何かに引っかかりました。
「きゃ!なに?」
どうやら網にかかったようです。
バサバサと必死に羽を動かしますが、抜けられません。
ミミルは虫取り網に捕まってしまいました。
「おお、これはこれは美しい。これこそわたしが探し求めていたものだ」
そこにいたのは、とってもきれいな王子さま。
「美しいですって。オメガタカイですこと」
「ええ、美しい。世界で一番美しいものは、うずらです」
「わたし、うずらじゃないわ」
「あなたは、うずらです。おいしそうな、うずらです。わたしはあなたを食べたいのです。ああ、でも、残念なことに、うずらの一番おいしい食べ方を忘れてしまったのです!なんだっただろう?うずらの食べ方、やゆよ。えーっと、なんだったか。焼かないで、茹でないで、よしましょう。おや、これでは食べられない。ぼくはおいしいものが食べたいのに」
「冗談じゃないわよ!」
ミミルは逃げ出そうとしました。
でも、虫取り網に捕まっていて、逃げられません。
どんなに羽をバタバタさせても、逃げられません。
絶対絶命です。
どうしようもありません。
どうしようもないときにすることは、一つしかありません。
そう、おまじないです。
「ミミルミルミル、ミミルミル。食べられてたまるもんですか、おまじない。おいしいものなら、らりるれろ。ライスカレーはいかがかしら?りんごとはちみつ、隠し味。ルーを使えば簡単ね。レトルトだったら、もっと簡単。ローリエ落として、いい香り。カレーにうずらはいらないわ」
「そうだ、カレーを食べよう」
と言って、王子さまはどこかに行こうとしました。
おっとっと、王子さま。その前にやることがありませんか?
「あ、待って。ここから出して」
「そうだ、そうだ。ぼくは王子さま。キスをするのは、ぼくの役目」
王子さまは戻ってきて、ミミルを網から出すと、額にチュッとキスをしました。
すると。
むくむくむくっと、ミミルの体は大きくなって、元に戻れました。
「あー、よかった」
おまけに、ここは学校の前。
「一時はどうなることかと思ったけど、なんとか学校に着けたわ。もう、忘れ物はないわよね」
そこに来たのは、学校の先生。
「そのとおり。忘れ物は、しちゃいけない」
「あ、先生」
「ミミルくん、忘れちゃいけない『わ』と『を』」
「えーっと、なんだったかしら。忘れちゃった」
「『わ』すれもの『を』しない」
「忘れないわ。早く教室に入りましょ」
「それはだめ」
「え、どうして」
「だって、今日は日曜日だよ」
「ん、ん、ん、ん、ん!忘れてたわ!」
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