Episode 58 - チームリーダーの命令

「……は? まって。涙幽者化が加速って、どういう意味」

「文字通りの意味よ。あなたも知っているとおり、彼――セオークの状態は、とても稀な状況なの。本来なら停止するはずがない涙幽者化が、彼の場合は止まっている。まるで、時間が止まったようにね」

「それは知ってるってば! それにいま、あんたも言ったじゃん。止まってるって。もう何年もロカは発作を起こしてないし――」

「――8年と3ヶ月ね。前回のことは、私もよく覚えているわ。あれからずっと、彼を診てきたわけだし」

「だったらなんで? なんで急に加速になるわけ? さっきあたしも見てたけど、ロカは単にフラついてた。たしかにバイタルはヤバかったよ。けど、あれは発作なんかじゃない。ぜったい、ちがう!」

「発作が引き金とは限らないのかもしれないわね」

「かもしれないって……あんたは威師じゃないのッ! ロカのこと、あんたがいちばんわかってるんじゃなかったの!!」

 飄々と、それこそ他人事よろしく推測を述べた主治医の態度を前に、リエリーの怒りの沸点はついに限界を超えていた。

 白衣の襟をつかみ、腹立たしいまでによく似ている碧眼を睨め上げる。たたらを踏むカーラだが、姿勢が崩れることはなく、表情には一切の変化がない。見透かすようなその落ちついた目がまた、リエリーの激情を逆撫でしてくる。

「エリーちゃん、やめて」

「なんだよ、得意のだんまり? いっつも散々、ロカのサンプル採っといて、わからなかったらだんまりってわけ?」

「……」

「ほら、その顔。自分がいちばん偉いって顔だよ。なんでも知ってるんでしょ? この分野の権威なんでしょ? だったら説明してよ。なんでロカの涙幽者化が進んでるわけッ!」

「エリーちゃん!!」

「離して! なんでルーはこいつの味方をするんだよ! こいつのせいでロカは――」

「――そこまでだ、リエリー。おまえも十六になったろう。言ってよいことと、そうでないことの分別くらいはつくな?」

 張りのある声ではなかった。むしろ、かすれているのがよくわかるくらいには、弱い声音だった。が、振り返ったリエリーを見つめるその蒼い双眸は普段通りの蒼さで、滅多と見せない本気の怒りを湛えていた。

「ロカ?! 体は大丈夫――」

「――涙幽者たちは、搬送したのか」

「え……あ、うん。だからロカのほうは――」

「――“うん”じゃないだろう! レンジャー・リエリー・ジョイナー、報告はどうやるんだ?」

「……涙幽者全4名、緊急処置室ERに搬送済みです、レンジャー・セオーク。引き継ぎ時までの急変者はゼロです」

「よろしい。〈CL〉の活動ログに俺の記録が入れてある。それとおまえの活動記録をまとめて、チーム〈OB〉へ送信するんだ」

「そんなの、あとでいいじゃ――」

「――いい加減にしろ!!」

 紛れもない怒りの咆哮が、強化ガラスの窓さえも震わせて木霊する。その一声で大きく体力を消耗したのか、ドア枠に手を突いていたセオークの巨体が膝を突いた。

「……マロカ」と、宙を滑って駆け寄ったルヴリエイトだが、セオークは「問題ない」と手で制する。そうして肩で息をしながら、固まって動けないリエリーに再び蒼い双眸を向け、静々と言葉を続けた。

「リエリー・ジョイナー。おまえの覚悟とやらがだというなら、俺は、おまえの独立に賛成しない。最終審査の推薦人は、他をあたることだ」

「っ……!?」

「船にもどってじっくり考えるといい。だいいち、イヤコムもコンソールも付けていないんだ。出動要請があったらどうする? それから〈ハレーラ〉から本部に、しばらく要請に応じられないと連絡しておいてくれ。俺の認証コードを使うといい。理由を訊かれたときは『リーダーの命令』だと言っておけ。あとは俺がやる。俺とルヴリエイトは、ハフナイア先生と話があるから、先に帰っていいぞ。レイモンドの店で何か食わせてもらえ。……いいな?」

「……了解」

 それ以外の言葉が、リエリーには思い浮かばなかった。

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