Episode 57 - 救命の代償

「……まるで、デジャビュね」

 手首に装着した情報端末、そのホロウィンドウ投映機から宙空に浮かび上がっていた幾つものデータを、払う仕草ジェスチャで瞬時に消し去りながら、カーラ・ハフナイア威師は独りごちた。

 そうして落とした視線の先、特大の術台メディカルベッドには、弱いながらもリズミカルにその分厚い胸板を上下させる、茶黒い巨体が横たわっていた。

 応急処置のため、その身を包んでいた〈ユニフォーム〉やら、これまた特大サイズの衣服は、メディカルベッドの脇の台の上に無造作に置かれている。かねてから本人たっての強い希望で、ブリーフだけは着用したままの無防備な格好だ。

「無茶しすぎよ。あなたのユニーカは、〈ミーミル〉のデータバンクにも載っていなかったような特殊なものなのよ? それにあなた自身だって……」

 聞く者のいない処置室ではあったが、カーラはその言葉の続きを飲み込んでいた。

 自然と、その澄んだ碧眼は、巨体を縛る5つの環に向けられる。装着期間が長いあまり、体毛に埋もれて目立たなくなっているが、紛れもなく、くすんだ漆黒の円環がそこにはある。特に、額へめり込むように填められている頭部の円環の、空気を読まない発光体の点滅が目について、カーラは知らず、整った眉根を寄せていた。

 できるものなら、今すぐその環を引き千切ってしまいたかった。物理的に不可能だったとしても、自分が持つ権限を総動員して、脱着を命じたかった。

 普段、肩書きなど、コーヒーを注文すると必ず付いてくる砂糖よろしく、欠けらも関心はない。だが、仮にも自分は威師であり、合州国随一と名高いこの威療センタの副センタ長であり、涙幽者学の分野においては自他ともに認める世界的な権威だ。

 そんな自分の社会的地位をもってしてでも、あの円環には歯が立たない。もし、無理に外そうとすれば、それこそ本来の機能が作動し、彼はおろか、このセンタそのものが消滅しかねない。

 そも、そのことを知っている時点で、自分は充分、危ない橋を渡っている。そのことを冷静に理解している自分にも、カーラは腹が立った。

(あなたにしてもらったことに比べれば、このくらいじゃあ、釣り合わないのは百も承知なんだけど)

 結局、こうして権力とコネとカネを惜しみなく使い、それらしい名目を仕立てて専用の処置室を用意するくらいが、自分にできる限界だった。

「……ふぅ。とにかく。一週間は絶対安静ね。これは主治医としての命令」

 頭によぎりかけた胸糞が悪い過去を知性で押し戻し、カーラは腰に手を当てて、ステレオタイプな威師の真似をしてみせた。

 そうして、意識があればきっと、「わかった、先生」とお手上げのポーズを取っているに違いない患者の家族に説明をすべく、カーラは部屋を後にした。


「――ロカは?!」

「安定したわ。今、彼専用の睡眠薬を投与したから、眠ってる。もちろん、目覚めるほうの眠りね」

「よかったぁ……」

 予想通り、処置室のドアのすぐ外で待ち構えていたショートポニーが、カーラの説明を聞いて床にへたり込む。つい24時間ほど前の、威療士としての澄ました姿とは別人のようだ。

(なんだかんだ言って、まだ10代の子なのよね)

「ふふ」

「……なに」

「そうね、なんていうか、やっぱりあなたってファザコンだったんだって思っただけ」

「そっちこそ、仕事中毒ワーカーホリックじゃん」

 相変わらずああ言えばこう言う少女に、経験豊富な大人として言い返せる言葉はごまんとある。が、今それをするのは、それこそ大人げないというものだ。

「――こーら、エリーちゃん。先生ドクターに失礼でしょ」

「ふんっ」

「ごめんなさいね、ドクター・カーラ。貴女がワーカーホリックじゃなかったら、うちのマロカは危ないところだったのに」

「……慰めの言葉を言うべきか、今、迷ってるところなんだけど」

「お気持ちだけいただいておきますね」

 正十二面体の筐体にウインクの顔文字を浮かび上がらせて、いけしゃあしゃあと人工音声が宣う。

 確執などない、とカーラ自身は思っているのだが、なぜかこの正十二面体――ルヴリエイトはいつも棘のある物言いをしてくる。いくら考えても気に障ることをした覚えはないのだが、人の心はわからないものだ。

(この親にしてこの子あり、ってことね。……と、私も他人のことを言えたものじゃないけど)

「これからの24時間は、不測の事態に備えて私が付いておくわ。その後は、一般病棟に移ってもらう予定なんだけど、何か希望は?」

「……ちょっとまって、マッドドック」

「何かしら、ファザコン娘」

「一般病棟ってどういう意味。ロカ、大丈夫なんじゃなかったの?」

「エリーちゃん。……ドクター・カーラ。詳しく聞かせていただけます?」

「ええ、もちろん。廊下で立ち話もなんだし、私のオフィスでどうかしら――」

「――ダメ。いま、ここで、聞かせて」

 担当医として一応の気遣いは示してみたが、案の定、小柄なその少女は、どこから出ているのか、凄まじい覇気を溢れさせて迫ってくる。

「それには親御さんの許可が要るんだけど……」

 未成年者に病状を説明するには、法律上、保護者の許諾が不可欠だ。カーラはチラリと、ルヴリエイトへ目をやったが、即座に「お願いしますわ」と返答があった。

(……やっぱりそう来るわよね)

 いよいよ腹をくくらなければならず、カーラは、短く息を吐くと簡潔に言った。

「彼の涙幽者化が加速しているわ。原因はこれから詳しくみていくけれど、十中八九、ユニーカの使いすぎね。だから、当分はユニーカは使えないし、無理な運動も厳禁。残念だけれど、救命活動に従事する許可は出せないわ」

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