Episode 38 - チームリーダーと涙幽者とルーキー

「――罠っ?!」

 朽ちかけているビークルの車中へ引きずり込まれながら、アシュリーの思考にその推測がよぎっていた。

 部分的でしかなかったが、チームメイトの通信は聞いていた。

 だからティファニーの言葉から、このタイラ邸に別の涙幽者が潜んでいるという可能性は考えていた。その涙幽者が、おそらくはタイラ事務官の息子のことで、事務官が実子を庇っている可能性も充分、考慮していた。

 だが、〈ギア〉が伝えてきている情報は、そんなアシュリーの推測を大きく超えていた。

(まずはここから脱出しないとっ!)

 右足を貫通した枝が、アシュリーの体ごと強力に下方向へ引っ張り、その最中にも別の枝が迫って、そちらを捌くのが精いっぱいだ。既に眼前へ迫ったタイラの顔は、鋭い牙を剥き出しにして待ち構えている。

「デリバリー、ですよっ!」

 その突き出た口めがけ、栄養を充塡したコンクリートブロックを投げつける。が、狙いを外した瓦礫は、そのまま顔面を直撃し、一瞬の間を置いて耳を震わす咆哮が続いた。

「――――」

「わ、わざとではないんです、が……っ!」

 そのような言い訳を相手が理解するはずもなく、次の瞬間、両手足を枝に縛られたアシュリーは、まるで捧げられる贄さながら、涙幽者の眼前へと吊り上げられていた。

「――アノコハ――ドコダ――」

「事務官!? ご家族はチームメイトが保護しています。意識があるならしっかりしてくださいっ! こんなこと、あなたも望んでいないはずでしょう!」

「カレラガ――メザメタ――ムスコガ――アブナイ――レンジャー――テツダエ――」

「っ!?」

 不明瞭ながらも、そう目の前でタイラが喉を鳴らす。キリキリと手足を縛りつけ、片脚を貫かれた状態で、とても拒否権があるとは思えなかったが、少なくともタイラに意思がまだ残されていることは確かめられた。

「喜んで、と言いたいところですが、あいにく手が空いていないもので」

「オマエノ――ユニーカデ――――ワタシガ――ハコブ――」

 別の枝がするすると眼前へ持ち上げられ、アシュリーは脚へ意識を向けないようにしつつ、その枝先にぶら下がっているモノへ目をやった。

「……このレンガがボクの偽物デコイですか。自信過剰ナルシストのつもりはありませんが、さすがにショックです」

「カレラハ――トゥルーヲ――サガシテイル――コレデ――オビキヨセル――スペクターハ――メガミエナイ――」

(さすが本部ネクサスの事務官。威療士のユニーカまで把握済みときたか)

 ガレージに来る途中、本部ネクサスに確認してわかったことだが、タイラは相当に優秀な事務官なのだという。アシュリーは面識こそないものの、それほどの人物であれば発言に腑に落ちるものがあった。

「ですが、涙幽者は嗅覚に優れています。ご子息を囮にするなら、何かニオイがないと」

 返事の代わりに、ビークルが大きく揺れると、後部座席を掲げた枝が宙に浮かんでいた。

「……なるほど。ご子息の指定席、というわけですか」

「ヤレルカ――」

「わかりません。ですが、最善はつくします。ですから今すぐ解放してください。止血しないと、ユニーカを使う前に死んでしまう」

「ダメダ――ムスコノアンゼンヲ――カクニンスルマデ――オマエハヒトジチダ――チハトメテアル――」

「気のせいではなかったのですね。まあ、感謝はしませんが」

「ハヤクヤレ――」

 実に奇妙な感じだった。

 普段、命がけで対峙している涙幽者と協働で他の涙幽者を無力化する。そのアイディアは、涙幽者のもので、しかも傷を負わせた張本人である涙幽者には専門知識があって、大血管を器用に避けて止血までされている。

(新人の戸惑いもわかるよ)

 救命の現場に通例はない、とかつてアシュリーは先輩威療士に言われたものだが、まったくその通りだった。経験を積んでもなお、現場ではいつも驚かされる。

『――聞こえるか、リーダー。マイクだ』

 唐突にイヤコムへと届けられた、古参チームメイトの通信。刹那の緊張を感じ取ったアシュリーは、タイラに気取られないよう様子を窺ったが、枝をワサワサと動かしている以外に変化は見当たらない。

 が、威療士のハンドサインを熟知している可能性も考慮し、アシュリーは素直に「事務官。チームメイトの通信に出ても?」と口に出して尋ねた。

「スキニシロ――ダガイソゲ――」

「もちろん。……マイク、こちらキム。どうしました?」

「……よく聞いてくれ、リーダー。と言ってる」

「――っ」

 アシュリーのわずかな声のトーンから状況を察したのだろう。通信の向こうで、マイクが言葉を選ぶようにゆっくりと伝えてくる。

 その意味を瞬時に読み取ったアシュリーは、思わず、作業の手を止めた。

「ドウシタ――」

「タイラ事務官。ボクにもう一つ、案があります。聞いてください」

「ダメダ――ムスコヲスクウニハ――コレシカナイ――」

「――このままでは、ご子息が父親を失うことになる。それでもいいのですか」

「――――」

 目と鼻の先で向けられた、怒りの咆哮。

 それは耳を聾し、全身から汗を噴き出させる威力だったが、アシュリーは理性の全てを動員して、微動だにしなかった。

「ボクたちは威療士です。命を救うために、命を見捨てはしない」

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