Episode 37 - 覚醒の咆哮たち

 足元に転がったコンクリートの破片をつかみ、ユニーカを注ぎ込んでいく。見た目は何一つ変わらないが、これで、この無機質な瓦礫は、栄養満点の食べ物に様変わりした。

【対象の推定完全代謝時間:3:56】

「早食いはあんまり健康的とはいえないんだけど、ねッ!」

 串刺しにせんと迫る無数の木枝を、桁違いに軽く感じる体を捻って回避し、顕現元へ引き戻されるベクトルを最大限に活用すべく、空いた片手で握り込んだ。

「――――」

「痛いときは痛い、って言ってくださいよ?」

 着用者の負傷を防止するための、〈ユニフォーム〉の制限レギュレーション

 それを解除した今は、高機動織布外套サンダークロスとしての性能を存分に発揮し、段違いのパワーをアシュリーの体躯へ与えてくれていた。身体強化のユニーカでなければ、間違いなく体の至る所を傷めるだろう無理な駆動も、今のアシュリーなら余裕で〈ユニフォーム〉のアシストを借りられる。

 この、複数のユニーカを併用し、さらには〈ユニフォーム〉の最大性能を引き出して救命にあたるのが、アシュリーのスタイル――〈至上のピザをクラフト・ザ・アルティメイタム・ピッツァ〉だった。

(反動は大きいんだけどっ)

 ユニーカ行使に特有の昂揚感ハイを自覚しながら、アシュリーは、一直線に救命対象者タイラへ肉薄していった。時間が限られているのは、どちらも同じだ。

 今や、タイラは完全に反転感情へ染まりきり、その全身から幾多もの枝を生やしながら、滂沱の涙を流す典型的な涙幽者と化していた。

 アシュリーにとって幸なのは、タイラの体躯が未だビークルの中にあるという点だった。

 とうに、木枝によって蜂の巣にされているビークルだが、運転席コックピット部分は未だにかろうじて原型を保てている。おそらく、涙幽者化による肥大化によって脚が挟まっているのだろう。おかげで、タイラの体躯はほとんど固定されているといっていい。

(もしかしたら、事務官は最初からこれを狙って……?)

 眼前に迫ったタイラの表情からは何も読み取れない。先から変わらず、周囲へ破壊的な枝攻撃を撒き散らかすだけだ。

 もし、完全な涙幽者化によって自己を消失しているとしたら、まだいい。このまま、その心臓に〈ハート・ニードル〉を突き立て、鎮静剤を注入すれば全てが完了する。対象は深い眠りの底へと落ち、破壊は完全に収まる。再び目覚めるかどうかは、彼自身の運命さだめに賭けるほかないが。

(だけど、なぜわざわざ自宅のガレージを選んだんだ? 自分で予兆を感じていたなら、それこそ本部ネクサスの隔離室を使えばいいのに)

 職業柄、威療士とその関連する従事者は、どうしても涙幽者化の危険性が高くなる。メンタルヘルスケアに力を入れているといっても、それで皆が反転感情をコントロールできるとは限らない。

 そのため、本部ネクサスには職員専用に設置された、極めて堅硬な部屋がある。アシュリーは赴任した際に案内を受けただけで実際に目にはしていないが、そこでなら誰にも危険を及ぼさずに、をやり過ごせるはずだ。

 タイラが隔離室を知らないとは思えないし、短いやり取りだが、自暴自棄になっているとも感じられなかった。

(事務官ががあるとしたら……)

「――――」

 引き戻された太枝から朽ちかけているビークルのルーフへ、飛び移る。

 その判断が甘かったらしく、アシュリーの足は盛大に屋根を踏み抜いていた。

「しまっ――」

 片手に瓦礫、もう一方に〈ハート・ニードル〉を握った状態ではさすがに動けなかった。

 弾丸をも弾く〈ユニフォーム〉が、容易く貫かれる音が聞こえた、と思ったときには、自分の骨が砕かれる鈍くおぞましい音が耳の奥に届いていた。

 そうして、激痛を感知するよりも早く、〈ギア〉がけたたましい警告を視界へ浮かび上がらせた。

【――警告。複数の反転感情波を検知。二体以上の涙幽者出現可能性大】

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