Episode 36 - 威療士への道

 ボクは、最初からピザ屋になりたかったわけじゃなかった。


 ほどほどに過疎化した南西部の、農場の一人娘として育ったボクは、子どもながらに将来、なんとなく父母の農場を継ぐのだろうと、そう考えていた。

 農場の仕事は、好きだ。

 自分たちの農場も機械化の影響を受けてはいたけれど、作業の大半は人がやっていた。

 牛や馬の世話をし、トウモロコシや小麦の収穫をする。

 なかなかに労力を使う仕事だったけれど、そのぶん、達成感は大きかった。生き物はちゃんと懐いてくれたし、一面の畑を走り抜ける爽快感は病みつきになってくる。

 もちろん、自家製ピザも作った。自分の手で育てた材料から焼き上がったピザは、贔屓目に見てもとても美味かった。立場上、口には出さないけれど、未だにあの味を超えるピザと出会ったことは、ない。


 ――ボクがユニーカを顕現させたのは、ちょうど13歳になったころだった。


 その日は、経験したことがないくらいの猛暑日で、暑さには慣れている生粋の西部人である祖父でさえ、納屋から出ようとしないほどだった。

 そんなときに限って、飼っていた牛が数頭、逃げてしまった。牛たちが悪いわけじゃない。暑さでぼんやりして、牛舎の戸締まりをしっかりしなかったボクの責任だ。

 とにかく、だだっ広い畑を牛たちはてんでんばらばらに走っていってしまったものだから、追いかけるしかない。

 最初の何頭かはすぐに連れ帰ることができたけれど、年若い一頭がなかなか見つからなかった。

 白状すると、もう放っておこうと何度か思ったのは確かだ。

 この辺りには牛を狙う肉食獣もいないし、腹が空けば牛自身が戻ってくることだって充分あり得る。

 だから最初、陽炎の向こうに見慣れた四本脚の輪郭が見えたときは、ホッとした。これで、帰って冷たいミルクが飲める。

「探したよー、アンビ。帰るよ――」

「――――」

 けれど、安堵はすぐに恐怖に変わった。輪郭に近づくにつれて、の輪郭が見えてきたのだ。それは肌が粟立つような咆哮をあげて、四本脚の輪郭と揉み合っていた。その理解が、頭よりも先に脚を動かしていた。

「アンビに手をだすなぁっ!」

 ドン、っとかなりの強い衝撃が肩に伝わり、骨が軋む音を聞いた記憶が今も耳に残っている。そのときは自覚していなかったけれど、いくつかあるボクのユニーカの一つ――西部の底力ウェスタン・パワーを初めて使った瞬間だった。

「――――」

 ボクの身長の二倍はある黒い輪郭――涙幽者が、それこそ猛牛に追突されたように、何メートルも吹っ飛んでから、のそりと起きあがった。

 その突き出た口から赤いものが滴っているのが見えて、ボクはハッと振り返った。

 アンビの傷は酷いものだった。今にも倒れそうにフラフラとして、かろうじて立っているのがやっとという様子だった。

「うぉーっ!! 土でも喰らえ!」

 そこで逃げる代わりに突っこんでいったところが、今から考えれば、無謀を通り越して呆れるというほかない。ただ単に、暑さで判断能力が鈍っていただけかもしれないけれど。

 ともあれ、おかげでもう一つのユニーカ、この味くらえフレーバーテイスターが顕現したのも事実だ。

 知識もなかった当時の自分が、なぜ、足元の土塊をつかんで涙幽者の口へ突っこんだのか、正直まったくわからない。けれど、乾いた土を、その涙幽者が肉汁滴るステーキさながら貪り始めたおかげで、ボクが今も生きているのは確かだ。

「帰ろう、アンビ」

 火事場の馬鹿力だとしてもあり得ない力を、西部の底力ウェスタン・パワーを発揮してボクはアンビを担いでひたすら逃げた。

 涙幽者の話は、聞いたことがあった。当時の南西部はまだ威療士の数が少なく、“自衛”しているところが多い、とも親戚から聞いていた。『西部っ子ならあんな“泣き虫”くらい一発だ』と、叔父たちが笑い飛ばしていたのを聞いたこともある。

「あんなのと、どう闘うんだよ?!」

 実物を見たのはこれが初めてだったけれど、とても個人でどうにかできる相手とは思えなかった。いくらタフな西部生まれだからといって、無茶にもほどがある。

「――――」

「しつこいよっ!」

 結局、土塊を食い終わっては追いかけてくる涙幽者に口に土塊を突っこむ、という作業を繰り返しながら、牛舎の近くまで帰ってくることになった。さすがに体力は限界で、アンビを担ぐのも難しくなっていた。

「……ごめん……アンビ……」

 ついに、朦朧とし始めた視界の中に涙幽者の顔が映り込み、ボクは死を覚悟した。

「――――」

「――しっかりしろッ、アシュリー!」

 ぐらりと涙幽者の体躯が揺らいで、代わりに力強い父の声が聞こえた。

 そこでボクの意識はぷっつりと切れた。


 *   *   *


 結局、アンビは救えなかった。


 二日後に目を覚まして、父からこっぴどく叱られたことよりも、体中が筋肉痛の比ではない痛みに包まれたことよりも、そのことのほうが堪えた。

 自分がもっとしっかりしていれば。

 そうしていれば、アンビを死なせずに済んだかもしれない。

 そのことだけが頭から離れなくて、体中の痛みと相まってその後の記憶は途切れ途切れにしか覚えていない。

「――ひっでぇ顔しとるな、アッシュ。ワシのほうがよっぽど、イケとる面しとるじゃろう?」

 母が呼んだのだろう。年齢に全くそぐわない、力強い低い声が降ってきた。ボクをその名前で呼ぶ人間は一人しかいない。

「……祖父ちゃん。それ、イケメンっていうんだよ」

「そうかい。なんでもかんでも略すのは、好かんな」

 昔、この辺りで相当“鳴らしていた”という祖父は、いつものように単刀直入に言った。


「おめえは、街に行くべきだ」


 何のことか、最初は理解できなかった。

 ポカンとしたボクに、祖父は淡々と続けた。

「街に行って、特技を活かしてこい。一生、牛の世話をするのは、おめえには勿体ねえ」

「なんでそんなこと言うの? ボクじゃ、牛たちの世話もできないから? アンビを死なせたから!?」

「落ちつけ、アッシュ。おめえのせいじゃねえよ。おめえも、アンビも、運が悪かっただけだ」

「運? それだけ? ツイてなかったってだけで、アンビはころされたっていいたいの祖父ちゃんは?」

「そうだ。例の“クラヴァー(「渇望者」の意味。涙幽者の古い呼称)”は、はぐれだったらしい。ハイカーかなんかで道に迷ったんじゃろうって、グロリアは言っとった。それからおめえのこと、褒めてたぞ」

「……褒める? なんで威療士のグロリアが、ボクを?」

「おめえのおかげで、クラヴァーが助かったんだとよ。ワシにはさっぱりじゃが、なんでも、飢えて死なずに済んだらしい」

「……」

 言葉が出てこなかった。あの涙幽者は間違いなくアンビを傷付けて、自分も死ぬところだった。それなのに、祖父の言葉を聞いて、ボクはどこかホッとしていた。

「ワシらの先祖はな、乾いた土しかねえこの土地をシャベルで掘って掘って、やっと水源を見つけた。それまでに大勢が死んだよ。じゃが、諦めんかった。なぜじゃと思う?」

「祖父ちゃんみたいに頑固だったから?」

「ハハ! 言うてくれるわ! じゃが、その通りだ。先祖たちは、この乾いた大地で生きていくと、心に誓っておった。じゃから、必死に生きていく術を探した。甲斐あって水源は見つけたよ。じゃが、また大勢死んだ。今度はその水が汚染されとっったんじゃよ」

「だから生きるも死ぬも、運次第だってこと?」

「半分はな。死は、だれにもわからん。じゃが、生きるのはそいつ次第だ。生き方もな」

「ボクは父さんたちの農場を継ぐって決めてる」

「それもいい。おめえは立派な農場主になるじゃろう。じゃが、おめえには今、がある。そうじゃろう?」

「……それもグロリアに聞いた?」

「いんや。見とったやつはおらん。じゃが、バカ息子が言うには、おめえが牛が背負ってたのを見たんだとよ。西部人とて、十三で牛一頭、担げるなんぞワシは初耳だ。コツがあるんなら、教えとくれや。うん?」

 答えないボクに腹を立てる様子もなく、話は終わったとばかりに祖父はそそくさと立ち上がった。そうして部屋を出ていきかけ、言った。

「アッシュ。ワシの好きな言葉を覚えとるか?」

「道は己の心で切り拓く、でしょ? 父さんもしょっちゅう言ってるよ」

 ボクの答えに満足したのか、祖父は軽く鼻を鳴らすと、「ならいい」とだけ言って部屋を出た。


 それからボクは、農場の仕事の合間にユニーカの練習をするようになった。

 自分で言うのもなんだけど、すぐに要領をつかんで自由に使えるようになっていった。どうやら、ボクのユニーカ〈この味くらえフレーバーテイスター〉は、物体に栄養を持たせられるらしいとわかった。味までは変わらなかったけれど。

 しばらくして、また近くで涙幽者が出た。今度は、自分も顔馴染みのある相手だった。

 グロリアへ通報だけして、ボクは土塊をひたすらその人の口に突っこんだ。グロリアが到着したときも、その人はまだモグモグと土塊を食べていて、グロリアが〈ドレスコード〉し終えるまで、ずっとじっとしていた。

 眠った涙幽者を載せて夕空へ飛んでいくグロリアの救助艇を眺めながら、ボクは心に決めたことを父母に言った。


「父さん、母さん。ボク、威療士になるよ」

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