Episode 27 - トゥルーの秘密
「……どういう、こと? あなたたちは、トゥルーの父親のユニーカで人形にされたんじゃ……?」
訳がわからなかった。
トゥルーは、父親が人形たちをくれたと言っていた。その
(でも、この涙幽者の言ってることがホントなら……)
眼前に立つ涙幽者は、相変わらずほとんど身じろぎもせず、ティファニーを感情のない白い眼で見つめている。姿は見えないが、人形ごっこをしているのだろうトゥルーの無邪気な声が部屋には木霊していた。
涙幽者は、噓をつけない。
威療士の間では、それが定説になっていた。反転感情に“染まって”しまった彼らに、もはやヒトらしい知性は残されておらず、だから噓をつくことなどできはしない。
けれど、現に今、この涙幽者は不明瞭ながらも言葉を発し、ティファニーと意思疎通している。その言葉が正しければ、ティファニーの応急手当をしたのもこの涙幽者だ。氷系統のユニーカを発現する〈
知性を失った涙幽者に、そのようなことができるのだろうか。
傷の痛みとは別の、苦しさが、胸に込み上げていた。
(涙幽者が、命の恩人? そんなの、私はみとめない!)
「さっさと私を喰らいなさいよ。飢えているんでしょ? それともいたぶってからじゃないと喰わない癖でもあるってわけ……っ!」
「黙レ。傷ガヒラク。ワタシタチハ、オマエガ死ヌコトヲ望マナイ」
「ご立派ね。こんなとこに閉じこめて、氷漬けにしといて仲間も呼ばせないで、死ぬのを望まないですって? 呆れる。だったらせめて、トゥルーを解放しなさい。そしたら好きにしなさい」
「オマエ、頭ガ悪イノカ?」
「はあ?! 今度は侮辱するつもり?」
「レンジャーハ、モット理解ガ早イガトオモッテイタ。オマエ、ガンコカ、頭ガ悪イノカ?」
「理解が遅くて悪かったわね。だれかさんのおかげで、頭に血が回らないのよ」
ついカッとなって言い返してしまったが、中腰のままの涙幽者はただ「ソウカ」とだけ言葉を返してきた。理由はわからないが、なぜかこの涙幽者に悪気がないことだけは伝わってくる。
(どうしてこの涙幽者は襲ってこないの?)
ティファニーにとっては有難いことだったが、あまりに静かな涙幽者の様子はかえって不気味だった。
〈
それに、この涙幽者は、落泪がない。
どの反転感情を持つ涙幽者でも、その進行度合いによって滂沱の泪を流す。
彼らの泪は、活動限界でもある代謝の度合いを測るのにわかりやすく、だから装備がない状況でも残された時間がどれくらいあるのか、推し量るのに役立つ。
「……ねえ、あなた。ホントに飢えてないの? すっごく落ちついてみえるんだけど」
「腹ハ、イツモ減ッテイル。ガマンデキナクナッタラ、トゥルーヲ呼ブ」
「呼んでどうするのよ」
「固メテモラウ。ソレデ、意識ガ消エル」
「じゃあ、ホントにあの子のユニーカなの? 〈蝋人形〉って」
「……」
自分に向けられていた眼がすうっと、トゥルーを追うのが見えた。「問いつめたりしないから」と言葉を差し向けると、白濁した双眸が再びこちらに向いた。
「ダガ、連レテ行クンダロ? レンジャーハ、子ドモニモ容赦シナイト聞イタ」
「人聞きが悪いわね。それじゃただの人さらいじゃない。……でも、たしかに、そういうルールはあるわ」
大人に比べて涙幽者化の割合が低い未成年だが、皆無ではない。実際、ティファニーも自分より若い涙幽者をドレスコードした経験があったし、近ごろは未成年の涙幽者が増えているとも聞く。
知らず、目線を動かすと、手に人形を持ったトゥルーが楽しそうに笑いながら駆けている姿が目に入った。
もし、トゥルーが涙幽者化しているのなら、採血をしなければならない。〈ギア〉では検出されない初期の兆候も、血が一滴あれば確実に判別できる。そして結果が出てしまえば、規則に従ってトゥルーを家族から引き離さなければならない。
(それか、ユニーカを使ってもらって……ううん、ダメ。ユニーカを使うたび、涙幽者化がすすむ。完全に涙幽者化してしまったら、もう)
「ねえ」
「――グリィ89ダ。ソレガ、ワタシノ名前ダ。ソウ呼バナイナラ、答エナイ」
「そ。わかった。じゃあ、グリィ89。私の〈ユニフォーム〉、知らない? たぶん、その、あなたを包んでたはずだけど」
「アア。レンジャーノ証ダロ」
「そ、それ。持ってきてくれない? あなたの手当てには感謝してるけど、このままじゃ私、もたないわ。〈ユニフォーム〉には応急キットがあるの。もちろん、通信はしないわ。あの子に誓ってね」
声は震えずに済んだが、首筋を汗が滴っていた。
傷の手当てが必要なのは間違いない。既に腹から下の感覚がほとんどなく、さきから寒さで震えが止まらなくなっていた。出血は止められても、遅かれ早かれ凍死する。
が、涙幽者――グリィ89にこれを頼むのは賭けだった。もし、威療士に反感を持っている相手なら、逆上してしまうかもしれない。
「イイダロ。待ッテロ」
意外にも、グリィ89はゆっくりうなずくと、踵を返していった。「トゥルー。レンジャーヲ見テテクレ。オ話シシチャ、イケナイ。休マセテアゲナサイ」
「うん、わかった」
トコトコと、おぼつかない足取りが近づいてきて、目の前にトゥルーがしゃがみ込む。「おねえちゃん、いいこいいこ」と、その小さい手がティファニーの頭を撫でてきて、仕方なくティファニーは目を瞑った。
(もう……。やってくれるわね)
いない隙を見計らってトゥルーから話を聞く算段を、グリィ89は見透かしていたのだろう。そこまで頭が回る涙幽者を、ティファニーは見たことがなかった。
少しして、重い足音が返ると、「コレカ?」と低い声が降ってきた。
「しーっ。おねえちゃん、おねんねしてるよ」
「ソノレンジャーハ、寝テナド――」
「――ふわーあ。ありがと、トゥルー。よく眠れたわ。私、グリィ89とお話してるから、遊んでおいで」
「うん!」
離れていく足音を聞きながら、ティファニーはグリィ89を見上げて言った。
「子どもの相手なら私のほうが上ね。じゃ、ユニーカ解いて」
「ダガ、傷が……」
「私、威療士よ? これくらい、なんでもないわ」
腕を伸ばすと、案外、素直にグリィ89が〈ユニフォーム〉を手渡してきた。続けてその眼が黄金色に輝き、瞬時に溶けた水が一気に傷に染み込んだ。
「っ! 氷を消してよね!」
「溶カスシカデキナインダ。スマナイ」
あまりの痛さについ愚痴を叫ぶと、気のせいか、しゅんとグリィ89がうなだれたように見えた。
「……そういうことなら、いい、わよ」
〈ユニフォーム〉のポケットから止血帯を取り出し、急いで腹部に巻き付ける。ついで、小さいシリンジの鎮痛剤を取り出し、腕に突き立てた。
できれば消毒をしたいところだったが、触れた感触ではまだ止血できていない。とりあえずはキツく止血帯を縛りつけ、〈ユニフォーム〉を保温モードに切り替えた。
「ダイジョウブカ?」
「……ふー。いまはね。……あと、グリィ89。その、ありがと。あなたのユニーカがなかったら、たぶん私、死んでた」
「刺シタノハ、ワタシダ。礼ハイラナイ」
「そう、だったわね……]
なんとも言えない空気になりかけ、ティファニーは首を振ってそれを振り払う。今は、後回しだ。
「ねえ、グリィ89。さっき、トゥルーが恩人だって言ってたわよね。もっと話してくれない? 私、あなたとトゥルーを助けたいの」
「ワタシダケジャナイ。ワタシタチ、ダ」
「わかった。あなたたちを助けたいの。だから、話を聞かせて。お願い」
白濁した双眸を見据え、ティファニーは目を離さない。本能が今すぐに逃げ出すよう、訴え続けているが、威療士としての理性で抑え込む。
「……ワタシハ、アノ子ノ、トゥルーのシッターヲシテイタ」
ポツポツと、グリィ89が言葉を紡いでいく。
ティファニーは耳を傾けつつ、傷を押さえる手を少しずつ動かしていった。
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