Episode 24 - 重なる危機

「……緑化中、と表現するのは不謹慎ですね」

「ハッ。面白イな、キミ。あア、思いだしタ。キミが、“ピザ屋”か。通リで、香ばしイ」

「実は、副業申請を出していないんですよ。ですから、そっちは見なかったことにしてもらえると助かります。――タイラ事務官」

 慎重に、だが不自然にならない程度の速度で、対象に歩み寄っていく。空を仰ぐような姿勢のまま、運転席で動かない対象者の顔から、獣毛とおぼしい緑色の毛に似たものが突き出していた。

 涙幽者の特徴を示す白濁した双眸から泪はまだ滴っていなかったが、だからこそその瞬きもしない白い眼がこちらを凝視していて、アシュリーは小さく喉を鳴らしていた。

『ボス。その人、そもそも特権を放棄してる』

「フッ。調査済ミか。どウした。サッさと連行しテくレと言っテるだろウ。結構痛イんだ。〈本部ネクサス〉カラ聞いてルんだろウ? わタしに特権はナい。気兼ねセずに針を刺しテくレて、いい」

 低く不明瞭な声が、そう希望を繰り返す。苦痛を裏付けるように、四方へ伸びた枝が痙攣さながら震えた。

(なぜドレスコードを急ぐ……?)

 対象――トーマス・タイラ事務官は、確かに涙幽者の特徴を発現している。反転感情の係数、珍しいが典型的な〈敬愛アドレイショナ〉の植物系ユニーカ、容姿の変異。意志の疎通ができることだけが特異的だったが、それも前例がない訳ではない。

 だが、ことが、アシュリーには引っかかっていた。

 威療士ではないとは言え、〈ネクサス〉の事務官ともあれば、知識は充分にあるはずだ。ドレスコードされれば昏睡し、最悪、二度と目を覚ますことがないということを知らないはずがない。

 タイラ事務官には家族がいて、幼い子どももいる。家族に影響する前に距離を置きたいというのなら理解できなくもないが、ティファニーからの報告によれば、タイラの涙幽者化を聞いたパートナーは、ひどく取り乱していたという。わずかでも涙幽者化の予兆を感じていたなら、ここまで放置はしないだろう。

 何より、その焦りが、ひたひたとアシュリーにも伝わってきていた。

 タイラの眼はアシュリーと他の方角を、絶えず行ったり来たりしている。完全に涙幽者化した者なら、その眼はほとんど動くことがない。タイラの様子は、まるで何かを気にしていて、そこから自分たちを遠ざけたいとでもいった様子だった。

「タイラ事務官。お分かりだと思いますが、〈ドレスコード〉には命の危険が伴います。成功したとしても、昏睡状態から目覚める可能性は――」

「――そんナことクらい、わかっテいるッ!」

『ボス。対象の反転感情が強くなってるよ。マイキーとルーキーくんも苦戦してる。早くしたほうがいいんじゃない?』

 確かにサマンサの忠告の通りだった。

 ここで時間を取るほど、チームも対象者本人も危険が増す。――が、何かを見逃していると、違和感が訴えていた。

「タイラ事務官。ご家族は、ボクたちが保護しました。念のために検査を受けてもらう規定になっていますが、終わり次第、帰宅できる。ほかに、心配な点はありませんか――?」

「――ヨせッ!!」

 大気を震わす咆哮に続いて、痙攣しているだけだった幾本もの枝が、一斉に波打った。一本一本がまるで鞭さながらに宙を切り、ガレージ内を荒れ狂う。

『ボス!』

「待って! 落ちついてください、タイラ事務官! 何をよすんです!」

「アの子のセいじゃナい……わタしが……わタしがもっと、しッカり鍛え、テいれ、ば――」

 タイラの声から言葉の音が消え失せ、後には涙幽者のもの悲しい咆哮だけが続く。風を切って荒れ狂う枝を躱しつつ〈ギア〉を装着すると、案の定、反転感情係数が規定値を大幅に超過し、〈テーラ〉――恐怖のユニーカ発現の兆候を示していた。

「サマンサ! アシストを頼みます! ボクがドレスコードを――」

「――ボス! ティファニーのバイタルがっ!」

 珍しく張り詰めた、サマンサの声に続けて、アシュリーの〈ギア〉にもその通知が浮かび上がった。

【――警告。着用者の心拍数137。大量失血の可能性大】

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