Episode 20 - パパは〈ワックス・ワーカー〉

「――待ってってば!」

 身体能力では圧倒的に有利なはずなのに、キャラクターTシャツの小さな背中があっという間に家の奥へ消えてしまう。

 つい、強い口調になってしまったことを反省しながら、ティファニーは短く息を吐いた。

 自分のせいだ。わずかな迷いが判断を鈍らせ、そのせいで要救助者を危険に晒している。

 こんなことなら、有無を言わせずにあの子を抱えて行くべきだった。

「……しっかりしろ、私」

 強く両手で頬を叩き、ついで〈ギア〉を探索モードに切り替える。瞬時に、視界に映る物体の輪郭が強調表示され、壁を透過したその向こうの物体が半透明で映し出される。振り返ると、3つの人影が玄関先を出ていくところで、浮遊担架を押す輪郭の片手がしっかり小さな手とつながれていた。

「あとは、あの子だけね」

 探すまでもなく、軽く室内を見回しただけで目当ての小さな人影は見つかった。本来、探索モードは許諾なしに使ってはならないのだが、今はそんなことを言っていられる状況ではない。叱責でも処罰でも、後でいくらでも受ける。だから今は、あの子を連れ出すのが何より最優先だ。

「見~つけた。ほら、行こ。お姉ちゃんもママも、待ってるよ?」

「どしゅーん、ばこんばこん」

 パステルカラーの壁紙に、動く雲やデフォルメされた動物たちが駆けている、可愛らしい子ども部屋。そこへティファニーが踏み込むと、部屋の奥で、探していた男の子が何やらうつむいて夢中になっていた。イヤコムからは、サマンサを宥めるアシュリーの声が届いている。

 サマンサの指摘は、正しい。だからこそ、少しむかっとしないでもない。

(隠してあるチリソースアイス、食べてやるんだから)

 ささやかな意趣返しを心に誓い、ティファニーは男の子に背後から近づいて肩口を覗き込んだ。

「クールなフィギュアね。名前はなんていうの?」

「こっちが、てーらー46。これは、ぐりぃ89だよ」

「……ず、ずいぶん専門的な名前ね」

 得意げに男の子が見せてきた人形は、黒い獣毛を生やした狼貌ウルフフェイス――涙幽者を模したものだった。

 涙幽者の人形自体は、そう珍しくない。むしろ、幼いうちからその存在を伝える道具として、近ごろは再ブームになっていると耳にした覚があった。ティファニーにしてみれば悪趣味としか思えなかったが、何でも、サンプリングした涙幽者の咆哮を再生できる高機能タイプまであるらしく、こちらは大人たちのあいだで人気らしい。

(ブランドンなら、もっとヤバげなのも持ってそうだけど)

 男の子がぶつけて遊んでいるものはそういった機能のない、ただの人形のようだったが、威療士であるティファニーが見てもぞっとするほどに精緻な作りだった。獣毛の縮れ方といい、極小サイズでありながら如何にも鋭利とわかる湾曲したカギ爪。何より、白濁した双眸が、今にも大粒の泪を流すのではないかと思わせるくらいに質感がリアルだった。

(人形の名前、これ、ぜったいこの子がつけたものじゃないわね)

恐怖テーラー〉と〈悲嘆グリィファ〉。人形の名前が、酷似しているのは偶然ではないだろう。

 どちらも涙幽者の分類であり、それなりの知識がある者なら認知度はある。が、まかり間違えても子どもの玩具に名付けるような代物とは思えなかった。

「そういえばあなたのお名前を聞いてなかったわね。じゃ、改めて私はティファニー。あなたは?」

「トゥルー」

真実トゥルー! 素敵な名前ね。よろしく。ねえ、トゥルー。このお人形たちといっしょに出かけましょ? もっとお話きかせてほしいわ」

「うん、わかった」

 意外にも、こっくりと素直にうなずいたトゥルーは、二体の人形を腕に抱えてティファニーのほうを振り向くと、大きな瞳で見上げて尋ねた。

「おねえちゃん」

「ん。なあに」

「えくすと、れぃたちもつれてっていい? たくさんいるんだ」

「……見せてもらえるかな、トゥルー。そのお人形たち」

「うん、いいよ」

 とてとてと、トゥルーが引き返し、その身長よりも遙かに大きい棚の戸を開ける。

「……まさか」

 ずらりと並べられた人形の数は、優に10を超えていた。トゥルーの手元ではよく見えなかったが、こうして整然と整列した状態で見ると、がはっきり見て取れた。

「すごいでしょ? ぜーんぶ、パパがくれたんだ。!」

「……っ?! トゥルー、パパのユニーカを知ってる?」

「うん、しってる。パパは、〈ワックス・ワーカー〉っていってるよ!」

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