Episode 7 - 一人で行く道

「――あたしの馬鹿」

 踵で自室のドアを雑に閉めながら、そんな自嘲の言葉が口からもれていた。

 手首のコンソールをダイヤルさながらに捻ると、途端に身体が軽く感じられた。それまで潜水服みたく身体にフィットしていた〈ユニフォーム〉が、蒼色の発光を止め、着用時には見えない生地の切れ目をリエリーの身体の真正面に縦に生じさせる。高機能繊維で編み込まれた生地から抜け出す様子は、まるで蛇の脱皮に似ていた。

 キャミソールに短パンの部屋着になったリエリーは、足元に力なくだれている〈ユニフォーム〉を拾い上げ、部屋の入り口に近い壁際の専用ワードローブへとこの仕事着を立てかける。充電器を兼ねたワードローブ内が自動的に青く点灯し、伴って“皮”っぽかった生地がショーウィンドウに飾られたみたく、しゃんと形を整える。

 同様に通信機を兼ねるスヌードからすっぽり首を抜くと、何度目かわからない嘆息が口を衝いていた。

「あいつら相手にユニーカ、使うことないのに」

 窓に面したベッドへ身体を投げ出し、リエリーは宙をつかむように腕を天井へと突き上げる。

 部屋の天井は、カシーゴ・シティの地図になっていて、本部ネクサスから送られてくる交通状況やら活動中の威療士たちの現在地がリアルタイムに映し出されていた。本来なら、本部だけが把握できる重要な情報ばかりで、一介の威療士であるリエリーが自室の壁紙代わりに使って良い代物ではないのだが、本部長の言質を取ったリエリーが勝ち取った代物だ。

「ちゃんとパトロールできるじゃんかよ」

 地図の一角に、動く“燃えたマカロン”のエンブレムを認め、リエリーは鼻を鳴らす。安堵のような、それでいて焦りに似た相反する感情が薄い胸を満たしてきて、リエリーはますます眉をひそめていた。

 いちおう、気性が激しいという自覚は、ある。

 思ったことは電光石火で口を出るし、その相手が同業者だろうと要救助者だろうと、知ったことではない。

 要は、命を救えるか否か。それだけだ。

 命を救う妨げをしてくるようなら、相手が誰であろうと容赦はしない。

「歳で決めつけんなって」

 史上最年少で威療士ライセンスを取得したのは、リエリー自身にとってさして重要なことではなかった。

 ただただ、一日でも早く、威療士になりたかった。

 ホープブルーの〈ユニフォーム〉に袖を通し、命を救いたかった。

 あの日、自分を救った広い背中に、追い付きたかった。

「しっかりしろ、リエリー・ジョイナー。もっと強くなって、一人でもやっていけるって証明してみせろ。時間が、ないん、だ……」

 ついさっき会ったばかりの、マロカの主治医でもある女医の言葉が頭をよぎりかけ、リエリーは伸ばした手を拳に変えて振り下ろした。込めた力の割に、ぽすっという布団の気の抜けた音しか返ってこない。が、反動で身体を起こすと、リエリーはベッドであぐらをかいたまま、さっと左手でハンドサインを結んだ。

「作成中の書類を展開」

 着けっぱなしの〈グラシスギア〉に、いかにもお硬いといったデザインじみた役所の書類が何枚か映し出される。その一枚、『個人威療士開業届』と題されたものをピンチアウトし、何度見直したわからない記入項目をもう一度、先頭から目でなぞっていく。

「あとは、ここだけっと」

 書類作成といっても、本部からデータをリンクさせるので実際にリエリーがやることはほとんどない。ほぼすべての記入欄が、適格を示す淡い緑に占められた中、唯一『年齢』の欄だけ、不適合の赤に染まっていた。当たり前だが、一つでも赤があれば書類を提出することはできない。

「ライセンスは年齢制限ないってのに、開業は16歳以上限定とか、意味わかんないし」

 他の添付文書にも目を通しつつ、リエリーは、これまたどれくらい繰り返したわからない愚痴を口にしていた。

 この疑問に関しては、愚痴に留まらず直談判もしてきた。それこそ、毎日本部へ行っては抗議しまくった。仕舞いにはリエリーの姿を見かけるだけで、窓口の担当者が「異議申し立ては一度限りですわよ」と先手を打ってくるようになってきたほどだ。

 そう言われたところで、諦めるほど素直なリエリーではない。

 カシーゴ・シティの威療士たちに関する決定権を握る本部長をつかまえ、開業を希望するどんな新米威療士よりも実績があることを、恥を忍んで強調することまでやった。

 が、結局、「そういう決まりだ。例外は認めん」というリエリーがいちばん毛嫌いする答えしか、返ってはこなかった。

「でも、我慢もこれで終わり」

 一通り書類を再確認し終え、リエリーはギアを跳ね上げて、部屋の壁と天井にあるカレンダーをダブルチェックする。もちろんギアにもカレンダーはあるのだが、一刻も早くその時が来てほしい気持ちが、疑心暗鬼にさせてくる。

「よし。明日、朝イチで叩きつけてやる」

 日付が変われば自動的にリエリーは16歳になるし、書類は電子送信で済むことだ。それでもこの時を今か今かと待ってきた身としては、窓口カウンターに赴いてドヤ顔がしたかった。本部のオペレーターを兼任する、あの悔しいほどに頭が切れる担当者の口から、「受理しましたわ」の一言が聞ければ、さぞかし清々しい一日になるはずだ。

「くくっ……見てろ、カニカニ。明日こそはうんと言わせてやんからよ!」

「――エリーちゃん。入ってもいいかしら?」

「……ルー?」

「パーティーのまえに、ちょっと話をしてもいいかしら」

「パーティー……? あっ」

 秒速でギアを掛け直し、カレンダーを再確認する。仕事用とは別の、主に一家の予定が記載されたカレンダーの欄には確かに『Liery's Birthday Party :-D』の記述が書いてあった。

「ヤバいよルー! あたし、なにも準備してなかったし!」

 部屋のドアを開けると、見馴れた白真珠色ホワイトパールの、正十二面体のキューブが浮かんでいた。細かな傷が目立つ、そのパネルでもある筐体表面に、ウインクを表す絵文字が表示されていた。

「だいじょうぶよ。アナタのバースデイパーティーなんだから、エリーちゃんは祝ってもらえばOKよ」

「そうはいかないでしょ。贈りプレゼントには、ちゃんとお返しする。それがマナーってもんじゃん」

「こういうとこは真面目ねぇ。誰に似たのかしらね」

 部屋へ入ってきたルヴリエイトが、器用に後ろマニピュレータでドアを閉める。室内を物色していたリエリーの、焦げ茶の髪から覗く三角耳が、既に近づきつつあるオンボロトラックのエンジン音を捉え、ハッと顔を上げた。

「……もしかして、レイモンド呼んだ?」

「ふふ、マロカと同じこと訊くのね。当たり前じゃないの。昨年はレストランの改装で来れなかったけれど、今年はちゃーんと招待したわ。ほんとはお店を貸し切ってくれるって言ってくれたんだけど、シフトが早いからって伝えたら、来てくれるって」

「だぁあ! それを早く言ってよっ! レイモンドが教えてくれたギアのカスタマイズ、まだ完成してないし!」

「素直にそう言えばいいわ。レイモンドは、ワタシたちのお祖父様じゃない」

「だからじゃん。あたしはレイモンドからエンジニアリングのすべてを教わった。だから〈ハレーラ〉の修理だって、〈ユニフォーム〉の調整だってできてる。じゃなきゃ、ぜんぶ他人に頼ってた。あたしが一人でやっていけるのは、レイモンドのおかげ。ガッカリさせたくない」

「……ねぇ、エリーちゃん。そのことだけど、ほんとに独立するつもり?」

「うん、そうだよ。前から言ってるじゃん。あたしは開業して、ソロ威療士としてやってく。あたしのユニーカがあれば、グライダーボードだけでシティの隅々まで行けるし。そしたらロカもルーも、バカンスに行けるじゃん」

「気持ちはうれしいわ。アナタの実力なら、きっと上手くやっていけるって信じてる。でも、心配なの」

「他の威療士たちとやっていけないことでしょ? わぁってるって。たしかにさっきはカッとしちゃったけど、こんどは気をつけるから。ま、だからソロがいいんだけど」

「そうじゃないわ。エリーちゃん、ワタシの心配は、のことよ」

 テーブルに出したパーツ類を急いで組み立てていたリエリーの手が、はたと止まった。一度顔を上げてから、リエリーはゆっくりとルヴリエイトのほうへ顔を向ける。

「……何のこと?」

「救命活動は、命がけよ。毎日、どこかで威療士が負傷してるし、言いたくないけれど、殉職者だって年に数人は出てる。この北米最大の威療士本部レンジャーネクサスに所属している威療士たちでさえね」

「あたしは大丈夫だってば。最後に引っ搔かれたの、1年前だし、あれも浅かったし」

「ええ、だからよ。エリーちゃん、アナタが優秀なのはわかってる。ワタシだけじゃない。カシーゴの威療士たちみんなそう言うわ。マロカもね。だから一人でやっていくのが心配なの――」

「――あたしはやれる。ロカがいなくても。それを証明する」

「どうして? アナタたち親子は、息がピッタリじゃない。大人数のチームよりよっぽど、連携が取れる。贔屓目じゃなくてもね。それのどこが嫌なの?」

 嫌なはずがなかった。

 いつだって傍にいて、言葉を交わさずとも意図が伝わる。

 そんな相棒と救命活動するのが、嫌なはずがなかった。

「……それじゃ、ダメなんだ」

「え?」

「あたしは、一人でやれるって証明しないといけないんだ。理由なんかない。それだけ」

「じゃあ、

「――っ」

 つい1時間ほど前の、ウェストサイドでの救命活動。

 そこでリエリーは負傷者の応急処置中に、涙幽者の不意打ちを食らった。

 見えていなかったわけではなかった。マロカを除いて他の誰より鋭いという自負があるリエリーの狼耳ロッジは、吶喊してくる黒い巨躯が踏み込む音を間違いなく捉えていた。――が、リエリーは動かなかった。正確には、

 いつだって必ず来てくれる茶黒い相棒が、きっと今回も駆けつけると信じていたから。

「もし一人だったら、死んでいるところよ。アナタだけじゃない。負傷者も、涙幽者もね」

「……そんなこと、ない」

「いいえ。統合データベース〈ミーミル〉のデータと照らし合わせて何度もシミュレートしたわ。あの状況でマロカがいなかった場合、アナタたちの生存確率はゼロよ」

「こういうときだけ機械アピールしないでっ!」

 テーブルを叩きつけた反動で、丸いパーツが転げて落ちて音を立てる。真顔の絵文字を浮かべたキューブの沈黙がやけに気を逆なでてきて、リエリーはキッと睨みつけていた。

「それがワタシの使命よ、エリーちゃん。随行支援知性R.A.I.としてアナタたち威療士の救命活動を分析して、改善点を探し出す。アナタが現場で命を救うように、ワタシはRAIとしてアナタたち家族の命を守り抜くわ。たとえ、嫌われることを言ってでも」

「……格納庫からパーツ取ってくる」

 沈黙が耐えられず、リエリーは手早く床に落ちたパーツを拾い上げると、何も言ってこない白色のキューブに背を向けた。

「……ええ、わかったわ。あまり遅くならないでね」

 普段通りの調子で、そうルヴリエイトが言ってくる。

 返事をせずに、リエリーはそのまま部屋を出た。

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