Episode 4 - 守衛室の守護者

 待合ロビーを離れ、リエリーは通い慣れた救急部門の出口へと向かう。

 とうに陽は沈み、全面ガラス張りの屋外の向こうに、夜空を突き燦々と煌めく摩天楼の森が屹立していた。

 四大湖の一つ、チミガン湖から吹き抜けてくる風の冷たさが、確実に近づいている冬の到来を告げていた。

 冬は好きだった。肌を刺す冷気が、思考をシャキッとさせてくれるし、じきに街を白く染める雪の静けさも、リエリーには心地いいものに感じられる。

 おまけに、いくつかの例外を除けば涙幽者の活動が鈍くなる時期でもあった。彼らも人間である以上、寒さ暑さは感じるし、鋼鉄並みの硬い皮膚は保温には向かない。ついでに付け加えれば、変異のプロセスで衣服のほとんどがはち切れてしまうので、見ているほうが寒くなってくる。

「ま、だからのドレスコード《着衣》なんだけど」

 さらに言えば、ごくわずかだが代謝の速度も低くなる。今日のような飢餓寸前まで時間を使った救命活動を思えば、少しでも刻を稼げるのは大きい。

「やっほー、ジム。暑苦しいのがいつも邪魔してごめん」

 カーポートを少し歩くと、駐車ゲートの横に守衛室が建っている。リエリーはまるで自宅のようにドアノブを回して中へ入ると、部屋の主に形だけの謝罪を口にした。

「――フッ、フッ、フッ。俺は汗をかかないぞー」

「いやあ、いつもながら精が出ますなあ、レンジャー・ジョイナー」

「肉体の老いには敵いませんので」

 窮屈そうに壁際でスクワットを繰り返す茶黒い巨躯の姿を認め、「ロカの筋トレなんて見てて飽きない?」とリエリーは素直な疑問を投げかけた。

「おいおい、リエリー」

「ほっほっほ。ストイックな鍛錬は、見ているだけで清々しいものなのですよ、レンジャー・リエリー」

「敬称はいいって。まぎらわしいし」

「そうはいきませんよ。わしはあなた方に命を救われた身。この老いぼれにできる恩返しといえば、これくらいしかありませんからな」

 皺が目立つ顔の、淡い灰色の体毛を撫でつけて、ジムが朗らかに笑う。差し出されたその年季の入った手からは湯気が立つコーヒーの香りが立ち上り、その指には手入れしてなお、長さの否めない爪が見て取れた。

「サンキュ」

 長年、ここの警備を務めてきただけあって、年齢の割にジムは若々しいと言えるほうだった。猫背はなく、しゃんと伸ばした背と胸に刻まれた『SECURITY』の黒い制服が、数多の良からぬことを企む輩を思い留まらせてきたに違いない。実際、柔和な表情をしている多いジムだが、一度リエリーは錯乱した犯人を取り押さえる現場を目撃したことがあった。そのときのジムの鬼気迫る表情は、リエリーにとって“強面代表”と言っていい、とある老爺に匹敵するものがあった。

 ただ、その一件以来、ジムの狼化が進んだのは疑いようのない事実だった。

 そんなことを考えていたのが顔に出ていたのか、普段通りの穏やかな声でジムは、

「レンジャーの皆さんがいるから、何も心配していませんよ」

 と微笑んでくる。

「任せてよ。ジムを〈ドレスコード〉するときはあたしが――」

「――リエリー」

 低い唸り声に止められ、リエリーは続きの言葉を飲み込んだ。ジムの年齢と病歴をから考えれば、彼がそのうち狼心変異ウルフハートシフト――涙幽者となる可能性は、ほぼ確実だ。リエリーとしてはそれを踏まえたうえで、今のうちからジムに安心してほしくて言った言葉なのだが、社会通念に照らし合わせると御法度の部類に入るらしい。

「はい、そのときは頼みましたよ」

「そんなこと言わんでくださいよ、ジム。まだ早い。リエリー、ドクターとの引き継ぎは済んだのか?」

「うん、ただ、ちょっと別用ができてさ。……げっ」

 噂をすれば、とはまさにこのことだった。

「――隠れるつもりかい、ジョイナー・ジュニア」

「守衛室まで探しに来るとか、あいかわらず粘着質な女だね。――アキラ?」

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