Episode 2 - 雷速の救命

『もぅ! 二人とも、帰ったら反省文を書いてもらいますからねっ!』

 通信機イヤコムから響いた説教の言葉に、リエリーは思いっきり「げっ」と声を漏らしてしまっていた。

 声の主――威療士レンジャーチーム〈チョコレート・ライトニングCL〉の随行支援知性RAI・ルヴリエイトが出すレポート課題は、とにかく長い。それはもう、正規の業務報告より何倍も長大な分量を求めてくる。量だけでなく、内容の子細まで事細かに文章化できていなければ、それでも不合格。つまり、書き直しだ。

「ま、業務報告を書くのが楽になったっちゃ、そうなんだけど。……いけないいけない、集中」

 救命とは無関係な思考に向きかけ、リエリーは頭を振って目前のことに意識を戻す。

「ロカ、“腹ぺこ”のほうはどう?」

「〈着衣ドレスコード〉完了したぞ。すぐに船にもどって搬送を――」

「――そんな時間ない」

 ここから最寄りの威療センターまで、直線距離で約2km。俊足を誇るリエリーの愛機〈ハレーラ〉なら一瞬の距離だが、それでも瀕死の負傷者にとっては命懸けの時間だ。

「ルー。カーラをセンターの屋上に呼んで。2番ポートに降りる」

『エリーちゃん?! 貴方またつもりじゃないでしょうね!? 無茶だし、危険よ!』

「ほかに手がないよ。あたしとロカの個有能力ユニーカなら、船より速いし。――ロカ、いける?」

 この場で可能な最大限の応急処置を施し、リエリーは傍らに立つ巨躯の眼を見上げる。

 それは、一見すると〈涙幽者〉と瓜二つの偉容だった。

 平均的な成人体型を優に上回る巨体に、長く突き出た口吻。易々と〈涙幽者〉の担架ポッドを担ぎ上げたその肉厚な手からは鈍色のカギ爪が覗く。

 だが、〈涙幽者〉と異なるところもあった。

〈涙幽者〉の毛並みが漆黒を表す闇色であるのに対し、巨躯――マロカの体毛は焦げ茶色が主だ。その色は紅茶のそれより濃く、まるで少しミルクを差したチョコレートのそれだった。

 鎮静化した〈涙幽者〉を担いだその強肩は隆々とし、身幅に至っては、リエリーが二人は隠れてしまうほどに屈強だ。その圧倒的なサイズ感から、ビッグサイズの専用店でさえ身丈に合う普段着が見つからず、〈ユニフォーム〉が普段着だ、とは本人の鉄板ジョークだった。

 何よりも、リエリーの黒瞳を力強く見つめ返す、その深海の碧をした双眸が、〈涙幽者〉とは一線を画することを示していた。一点の曇りさえない碧眼が、信頼の色を強く浮かび上がらせて、リエリーへ頷き返す。

「あったり前だ、相棒。〈涙幽者〉は俺に任せろ。すぐ追い付く」

「うん。よろしく」

 それだけ言い、リエリーはモスグリーンとグレイのツートンになったグローブの手首を、ダイヤルさらがら回し捻る。涙滴型アビエイターHMDヘッドマウントディスプレイ上に強化のレベルを示す選択肢が表示され、リエリーは目をやることなく素早くハンドサインを切って指示を飛ばした。

 たちまち、身体にフィットした〈ユニフォーム〉が、仄か澄んだ蒼い光を帯びる。

「ここからセンターまで高い建築物はないが、気をつけるんだぞ。もう〈ビークル〉壊すのは勘弁な」

「ルーみたいなこと言うし。わぁってるってば」

『除け者ルヴリエイトから要らない情報提供ですぅ。ドクター・ハフナイアの了承が取れましたー』

「ラジャー。ロカ、ルーの機嫌とっといてよ」

「おいおい、おまえさんが無茶するから、母さんルヴリエイトは心配してるんだろうが」

『言っときますけど、アナタもですからね!』

「こほん……。とにかく今は負傷者が最優先だ。リエリー、準備は?」

「スタンバイ。――風よ、天翔る力を」

 ぐったりと動かない負傷者の首と脚を抱きかかえ、リエリーは身軽な動きでマロカの肩へと飛び乗った。その口から紡がれた言葉に呼応し、周囲が俄に風を巻く。

「――ライトニングゥ・マッスゥッ!」

 ジョークのような掛け声に反し、マロカの茶黒い巨躯を刹那、雷電が駆け抜けた。その絶大な瞬発力と、最大値まで強化された〈ユニフォーム〉の跳躍、そして“風遣い”であるリエリーのユニーカが合わさり、小柄なリエリーの体躯が弾丸のように弾き出される。

「――ぜったい、死なせないから」

 形状を失った視界が後方へ流れていく中、少女の言葉を聞く者はいない。


 ただ、大都市カシーゴ・シティの夜空を一条の光が、駆け抜けた。

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