第6話 歪んだ愛


「清川さんは頭がいいの。ずる賢く、狡猾に隼斗を奪い取った。あの人は何もかも、理解してコントロールできる。あの人に会ったら、また隼斗は篭絡ろうらくされてしまう。言葉を交わすのも避けた方がいいくらい。家にいたら会うでしょう?それに、ここならきっと来ない。あの人は法学部だし、心理学科がどうなってるか知らないはず」


確かに、法学部と文学部心理学科では建物が違うから行くだけで迷ってしまう。


「それにね、ここは私たちの最後の場所だった。だから、最期の場所なの」


「最後か、確かに、自習室で一緒に自習して以来かもしれない」


トートロジーのように聞こえたが、涼しくなった頭は昼間の疲労を休息させることにキャパシティを割いていた。


自習室の鍵もかかっていなかった。部屋の鍵は助手の先生が管理している。しかしここの助手は仕事をしないことで心理学科の学生の間では有名だった。


部屋に入ると真っ暗だった。20畳程度のそれなりの広さのある自習室は、ただテーブルと机が並べられているだけ。そのはずなのだが分厚いカーテンは閉め切られている。僕にはあたりのものが全く見えなかった。


「何にも見えないな。電気付ける?」


「もし教授とか院生とかいたらバレるでしょう。やめておこう」


「それもそうだな。どうせ寝るだけだし」


「雑魚寝ってやつだね。最悪」


夏だから風邪をひくことはないと思うが、枕ぐらい結衣に渡してやりたいと思った。


「枕になりそうなもの……」


「ねえ、腕枕して」


「え、良いけど」


「反対の手がいい」


よくわからない理由で結衣は僕の左腕に頭を乗せた。


ふと、結衣の腕が僕の体に触れた。抱きしめようとしているのだろうか。



緊張したその時――、



建物の外で強い風が吹いたのだろうか。分厚いカーテンが揺れた。


窓が締まりきっていなかったのだ。


――そして、建物の外にある街灯が室内を照らした。



結衣はへらへらとした笑みを浮かべながら、僕の首の右筋にカッターナイフをそえている。


気づくと結衣の頭の重みは腕から消えており、そういえば結衣は左利きだったのだと思い出した頃にはナイフは首筋を切りつけていた。


「あっ……」


叫び声も上げられず、間抜けな声が漏れただけ。


激痛に僕は逃げ出そうとした。


でも入り口側に結衣はいる。

窓から逃げる?


でも強風は一瞬のことで、カーテンは締まってしまい見えない。


慌ててポケットからスマートフォンを取り出す。震える手でライトをつけると結衣に向けた。


結衣の左手は血に染まっている。

頬をぬぐったのか、顔にも血がついている。


スマートフォンを持つ手にべっとり血がついていて、自分が思いのほか出血していることを知る。その事実に気が遠くなる。

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