第5話 逃避


「これからどうする?」



 “これから”という言葉に苦しさを感じながらも、彩音が追いかけてきていないことに気づいた。


「家か……」


「家は清川も知っているでしょ?きっと後からやってくる。ここから大学って、頑張れば歩けなくないよね?」


「え?大学なんかに行ってどうするんだ?」


「泊まる」


「どこに?」


「学部生用の自習室」


「確かにもう夕暮れ時だ。セミも少しずつ静かになってきてる。夜が来てしまえば心理学科棟には誰もいなくなるよな」


「院生や教授が残っているかもしれないけど、学部生用の自習室には来ないと思う」


あの部屋は一年次、結衣と一緒に自習をしていた部屋だった。気まずくて行かなくなっていたが……。


「夏なのにシャワー浴びられないのは嫌だけど、隼斗と一緒にいられるのは幸せ」


「そんなに一緒にいたいのか?」


「うん!だって、隼斗と一緒にいないとこんな世界生き地獄だよ。隼斗だけが安らげる場所なの」


結衣は歩きながらもゆっくりと話し始める。


「家に帰ったらアルコール依存症の母親がいて、罵詈雑言ばりぞうごん、殴ったり蹴ったり。酔っぱらって力が弱いけど、あれ見てると世界がすべて地獄に見える」


結衣の父親は事業に失敗して自殺している。それも結衣の目の前で。奨学金でなんとかここまでやって来れたが、あまりにも人に恵まれていない。


僕はずっと結衣の力になりたかった。だから依存させた。それが心地よかった。


「僕が安らげる場所なら……」


頼らせようとして言いよどんだ。かつて、頼らせ続けて僕がつらくなった。どうすればいいかわからない。でも、結衣は僕を必要としてくれている。



「ねえ、私は隼人のことを愛してるよ。どんなになっても、いつまでも、永遠に」



“永遠”というまるで時間を否定した甘い言葉につられてしまう。


僕は結衣のことが好きかどうかわからない。



ただ、“”に停滞していたかった。



「永遠にこのままでいよう。ずっと、このままで」


「そうだね。ずっと一緒にいよう」


結衣へ答えるも、僕は不安を覚えた。


それ以上彼女は何も言うことはなかった。ただ、黙々と歩き、あたりは静かに青白く染まっていく。


もうセミも鳴いていない。


ただ街灯が暗闇を照らす。そんな時間に校内に入り、心理学科棟まで行く。


鍵はかかっていなかった。


かろうじて、院生が残っているのかもしれない。ちょうど鍵をかけられれば今日はここに泊まることができる。


でもどうして彩音から逃げる必要があるのだろう。



「なあ、僕たち、どうして彩音から逃げてるんだ?」

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