第21話 後継者

控室に呼び出された玲司は、席にはつかず、ソファに腰掛ける玲子とローテーブルを挟んで向かい合った。


「何ですか?話って。」


玲司が問うと、玲子はローテーブルに置かれた紙を、玲司の方に滑らせて言った。


「そろそろ、会場でそれが読み上げられる頃よ。」


差し出された紙を拾い上げ、玲司は目を通した。


紙は、旺賢から璃子に送られた祝電のコピーだった。


旺賢が佐伯ホールディングスの全株式のうち、5%を璃子に譲渡する。


それが、何を意味するのか、玲司は瞬時に理解した。


玲子はゆっくりと脚を組みかえ、腕を組むと、玲司を見て試すように微笑んだ。


「で、どうするのかしら?」


玲司は紙から視線を上げ、玲子の目を見据え、淡々とした声で言った。


「佐伯ホールディングスは、必ず俺が継ぎます。手出ししないでください。」


玲子は玲司の瞳をじっと見つめ返した。


互いの腹を探り合うように、ふたりはしばらく視線を交わした。


玲子は口元に薄い笑みを浮かべ、感情をひた隠しにする玲司を見つめていたが、ふっと息を漏らして笑うと、部屋の扉に目を向けた。


「いいわ。話は終わりよ。」


玲司はローテーブルに紙を置き、そのまま部屋を出た。




これまで、財閥の次期後継者候補は、理人の息子である瑠偉と、玲子の息子である玲司のふたりだった。


しかし、旺賢による株式譲渡で、状況は一変した。


佐伯ホールディングスの株式の過半は現在も旺賢のものであり、実権は旺賢が握っている。


旺賢からの株式譲渡は、すなわち、後継者への支持表明に他ならない。


これまで無言を貫いてきた旺賢が、次期後継者問題への介入意思を、明らかにした瞬間でもあった。


望むと望まざるとにかかわらず、璃子は旺賢の支持で、後継者候補の筆頭に名を連ねることとなったのだ。




「あら、玲司くん?」


会場へ戻る廊下を歩きながら、考えを巡らせていた玲司を、覚えのある声が呼び止めた。


声の主は、立ち止まった玲司に歩み寄りながら言った。


「久しぶり。8年ぶり、かしら?」


「お久しぶりです。衣川さん。」


「今は東堂よ。すっかり大人ね。」


玲司を見て微笑んだ9頭身の美女は、父親の元秘書である東堂織江だった。


高校生時代、何度か会ったことがあるが、当時から全く印象が変わらない。


すっきりとまとめられた髪や、意思の強そうな二重の瞳は、一見とてもストイックに見える。


しかし、泰司と交わす視線に滲む女の表情を、玲司は見逃していなかった。


「東堂さんは変わりませんね。父と、今も会っているんですか?」


「社長と?元上司で旦那の友人だもの。当然付き合いはあるわよ?」


何食わぬ顔をして微笑む織江に、玲司は含みのある笑顔を返した。


「言っておきますけど、」


玲司はすれ違うように、織江の耳元に囁いた。


「今も昔も、あの人の相手は、東堂さんだけじゃないですよ。」


去ってゆく玲司の後ろ姿を眺めながら、織江は思った。


“気づいていたのね。それにしても…”


織江はこらえきれず、口元を覆ってくすくすと笑みを漏らした。


“血は争えないみたいね。”


去り際に耳元に囁く、挑発するような、誘惑するような玲司の仕草は、泰司にそっくりだった。


“同族嫌悪…かしら?”


同じ穴の貉だろうに、父親やその相手には嫌悪感を隠せないようだ。


織江はスマートフォンを取り出し、泰司にメッセージを送った。


“玲司くんから意地悪を言われたわ。代わりにお詫びして。”


泰司からはすぐに返信があった。


“パーティーが終わったら、プレジデンシャルスイートで。”




会場に戻った玲司を迎えたのは、扉の前で待っていた月島と唯衣那だった。


ふたりの立ち位置にはやや距離があり、何やら微妙な空気だ。


「璃子さんは?」


玲司が問うと、月島が答えた。


「化粧室です。」


「ああ、そうか。璃子さんが戻ったら、俺がエスコートします。月島さんは副会長のところに戻って頂いて大丈夫ですよ。」


玲司が促すと、月島は唯衣那をちらりと見て、玲司に向かってもの言いたげな顔をした。


「何か?」


「いえ、失礼します。」


去っていく月島の後ろ姿を見送りながら、玲司は唯衣那に聞いた。


「月島さんと、何かあった?」


唯衣那は言い淀んで、そっぽを向きながら答えた。


「別に。…高校生のときの家庭教師なの。」


玲司は内心驚いた。


月島は玲司の家庭教師だった。


玲司の家庭教師になる前に、S女子大学に合格させた生徒がいると聞いてはいたが、まさかそれが唯衣那だとは思わなかった。


「なるほどね。」


元生徒なのであれば、先ほど月島が物言いたげだった理由も察しがつく。


「どうかした?」


「いや、何でもない。今でも親しいの?」


「全然。」


唯衣那は首を横に振った。


「ずっと前に留学するって聞いて以来、連絡もしていなかったし…ここで会うなんて思わなかった。雰囲気も変わったし、副会長の秘書だって言うし…」


唯衣那は伺うような視線で玲司を見た。


唯衣那が考えていることを察して、玲司はため息をついた。


副会長の玲子が若い愛人を秘書にしている、という噂が、一部でささやかれているのは知っている。


優秀ではあるが、入社年数も浅く、何のコネクションもない月島を、秘書に抜擢したことを訝しんだ人間が、嫉妬混じりに流した噂だろう。


が、想像したくもない。


「それよりさ、悪いんだけど、」


玲司は唯衣那に、ホテルの部屋のカードキーを差し出した。


「パーティーが終わるまで、部屋で休んでてくれない?璃子の付き添いをしないといけないからさ。」


「え~?最後までパーティーを楽しみたいんだけど?」


不服そうな唯衣那をなだめるように、玲司は言った。


「プレジデンシャルスイートだよ。このホテルで一番いい部屋。興味あるでしょ?」


唯衣那は、カードキーと玲司の顔を交互に見つめた。


プレジデンシャルスイートと聞いて、心は大きく傾いたが、すぐに承諾して、簡単な女だと思われるのも悔しい。


仕方ないといったふうに、ため息をついてみせながら、唯衣那はカードキーを受け取った。


「わかった。部屋で待ってる。」




化粧室の鏡の前に立ち、千智は長いため息をついた。


月島と唯衣那の親しそうな様子を見ていられず、逃げてきてしまった。


複数人でのコミュニケーションは、実はとても苦手だ。


会話に入るタイミングも掴めないし、自分にはわからない話題が続くと、その場にいてよいのかどうかも、分からなくなる。


それに、先ほどは何故か、いつもに増して居た堪れない気持ちになり、とにかくその場を去りたくなった。


月島はどう思っただろうか。


変に思われたに違いない。


いや、変に思われるほうが、ましかもしれない。


突然、急いで化粧室に向かったのだ。


トイレを我慢できなかったのだと、思われているかもしれない。


かなり恥ずかしい。


“どんな顔して戻ればいいの?”


動揺を隠せなかった自分を恨めしく思いながら、千智は顔を覆った。




意を決した千智が会場に戻ると、扉の前で待っていたのは、月島ではなく玲司だった。


「おかえり、璃子ちゃん。理人さんが待ってるよ。」


差し出された腕に手をかけ、玲司にエスコートされながら、千智は視線の端で月島の姿を探した。


しかし、ステージに上がって最後の挨拶をした時ですら、月島の姿を見つけることはできなかった。


それに、唯衣那の姿もない。


“もしかして、ふたりは一緒に姿を消した?”


ふと頭をよぎった考えは、何故か千智を落ち着かなくさせた。


考えを振り払うため、千智は笑顔で振る舞うよう意識し、目の前の相手との会話に集中しようとした。


しかし、心の片隅に生まれた小さな疑惑は、水面に垂らされた絵の具のように、じわじわと心にもやを広げた。


“そういえば私、月島さんのこと、何も知らないな…”


正体の分からない不安を拭えないまま、璃子の誕生日パーティーは終わりを迎えた。

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