第20話 パーティー

玲子が采配した会場は、素晴らしかった。


パノラマのオーシャンビューを背にして、白を基調に、豪華な花々で彩られた会場は、さながら空に浮かぶ秘密の花園だ。


白いランやバラの繊細な香りが、さりげなく会場を包んでいる。


招待客は会場の美しさに見とれながら、主役の入場を待っていた。


会場の扉を前にして、千智はこのひと月ほどのことを思い返していた。


支えてくれた月島、出会った家族、知った両親の愛。


そっと肩に手を置かれて、千智は隣に立つ父親の理人を見上げた。


理人は微笑んだ。


「行こうか。」


「はい、お父様。」


理人の手をとり、千智は心を決めた。


扉が開かれ、ふたりは会場に入場した。


美しいドレスとジュエリーを纏った千智の姿に、集まった人々から感嘆のため息がもれる。


理人が招待客に感謝を述べ、パーティーの開始を告げる挨拶をすると、いよいよ、帰ってきた令嬢に注目が集まった。


「それでは、本日の主役、佐伯璃子様から、ご挨拶頂きます。」


司会の女性の明るい声とともに、華やかなパーティー会場は盛大な拍手に包まれた。


進み出る美しい令嬢の顔を確かめようと、集まった人々は会場の中央に視線を注いだ。


ロングドレスの裾を引いて歩み、注がれる視線を一身に浴びながら、千智は思った。


“これから、財閥の令嬢、佐伯璃子として生きるんだ。”


眩しいスポットライトが璃子を照らす。


群衆の中に、自分を見つめる月島の姿を見つけ、璃子は微笑んだ。






会場に向けて挨拶をする璃子の姿に、月島は目を奪われていた。


その表情は、自信に満ちて輝いていた。


凛とした佇まい、優雅なしぐさ、花が咲くような笑顔。


きっと、いまの姿が、彼女の本当の姿なのだろう。


辛い経験によって被せられた、不安や恐れ、迷いを取り去って、輝きを得たその姿は、磨かれたダイヤモンドのように、強く、美しかった。


挨拶が終わり、璃子の生まれ年で当たり年のシャンパンがふるまわれ、会場は乾杯した。


乾杯が終わると、招待客たちは、各々の目的をとげるため動き始めた。


璃子の帰還と20歳の誕生日を祝うパーティーではあったが、集まった大物たちにとっては、政治とビジネスの機会をつかむための戦場だ。


璃子は理人に伴われ、様々な人物に紹介された。






「月島さん?」


玲子のため、飲み物を取りに向かった月島は、名前を呼ばれて振り向いた。


オフショルダーのドレスに身を包んだ女性が、月島を見て微笑んだ。


「やっぱり!こんなところで会うなんて!」


「すみません、どこかでお会いしましたか?」


月島が首をかしげると、女性は不満そうにした。


「忘れちゃうなんて、ひどいです。」


月島は、女性の鼻根にあるほくろを見て思い当たった。


「…もしかして、一色さんですか?」


女性は、月島が大学生時代、家庭教師をしていた一色唯衣那だった。


真面目でおとなしかった女子高生の面影はどこにもなく、唯衣那は艶のある美女に変身を遂げていた。


「会えて嬉しいです。少し話しません?」


「すみません、仕事中なので。」


「お仕事?」


「副会長の秘書をしています。」


驚いた顔をする唯衣那に月島は訊ねた。


「一色さんは、どうしてこちらに?」


一色唯衣那の父親の一色達郎は、佐伯グループ傘下の子会社の社長だが、一色家はこのパーティーには招待されてはいないはずだ。


唯衣那が会場にいるのはおかしい。


月島がいぶかしむと、唯衣那は人さし指を頬にあて、考えるように首を傾けて、意味深な顔をした。


「私はね、どっちかと言うと…親族かな?」


唯衣那は月島に身を寄せ、内緒話をするように耳元に囁いた。


「佐伯玲司と一緒に来たの。私たち、付き合ってるんだ。」


笑顔の唯衣那を見て、月島は思案した。


唯衣那は、遊びの恋愛ができるほど、器用な性格ではない。きっと玲司に本気だろう。


「一色さん、」


月島は人に聞かれないよう声をおさえ、唯衣那の耳元で言った。


「玲司さんは、あまりよい交際相手ではありません。」


唯衣那の顔が曇った。


「副会長が待っているので、失礼します。」


月島はそのまま唯衣那の前を去った。


副会長の玲子は、息子の玲司を財閥の後継者に据えるため、手を尽くしている。


何のメリットもない傘下の子会社の娘との結婚を、玲子が許すはずがない。


玲司が唯衣那にどこまで本気かは分からないが、玲子の反対を押し切ってまで、唯衣那と交際を続けることは考えにくい。


玲司が恋人と3カ月ほどしか続かない、いや、続けないことを、月島はよく知っていた。






玲司は、理人と璃子に飲み物を渡しながら話しかけた。


「会長、挨拶も一段落したようですし、少し休憩されては?」


理人は玲司が差し出したグラスを受け取った。


「ああ。璃子と一緒にいてくれるか?」


玲司に璃子を任せると、理人は席をはずした。何人かの招待客と、密談をするのだ。


「お酒の方がよかった?」


玲司は璃子にミネラルウォーターを差出して言った。


「いえ、喉が渇いていたので、助かります。ありがとうございます。」


璃子はグラスに入ったミネラルウォーターをゆっくりと飲み干した。


「あの、プレゼントを受け取りました。USBの中身は何ですか?」


「開けてからのお楽しみ。」


玲司は空になったグラスを渡すよう促し、受け取りながら、璃子の耳元に囁いた。


「璃子ちゃんに、必要なものを入れておいたよ。」


璃子は囁かれた耳を手で押さえ、眉根を寄せて言った。


「そういうの、やめてください。怖いです。」


傍を通ったウェイターにグラスを預けながら、玲司は笑った。






いなくなった玲司を探していた唯衣那は、玲司が璃子に囁きかけて笑う一連の動作を、少し離れた場所から見ていた。


ふたりの会話は聞こえないが、玲司はとても楽しそうだ。


“何?興味なさげに話してたのに、随分仲良くなったのね。”


唯衣那はふたりに近づき、玲司の腕に手をかけて言った。


「見つけた。玲司、紹介してくれる?」


“わ、綺麗でセクシーな人だな。”


色香の漂う唯衣那を見て、璃子は思わず赤面した。


痩せた璃子とは異なり、柔らかそうな身体に、オフショルダーのドレスがよく似合っている。


玲司は璃子に唯衣那を紹介した。


「璃子さん、こちらは株式会社一色ケミカル社長令嬢、一色唯衣那さんです。」


「はじめまして、璃子さん。お誕生日おめでとうございます。」


璃子と唯衣那が挨拶をしていると、玲司を探していた月島が歩み寄ってきた。


「失礼します。玲司さん、副会長が探しています。話があるそうです。」


玲司は唯衣那の腕をほどくと、にっこり笑って言った。


「副会長のところに行ってきます。月島さん、璃子さんのことをお願いします。」


立ち去る玲司を見送りながら、唯衣那は、少し不機嫌そうに言った。


「また会いましたね、月島先生。」


「先生?」


疑問符を浮かべる璃子に、月島は説明した。


「学生時代、一色さんの家庭教師をしていたんです。」


唯衣那は腕組みをすると、澄ました笑顔で言った。


「月島先生は、全部、丁寧に教えてくださいましたよね?何も知らなかった、ウブな私に。」


唯衣那は、先ほどの月島の忠告に対して、嫌味を言っているのだろうが、誤解を招きそうな物言いだ。


「先ほどは急いでいたので失礼しました。余計なお世話かもしれませんが、一色さんを心配しているんです。」


「何よ。さっきからわざとらしく敬語ばっかり使って。昔はもっと普通に話してたでしょ。」


「気に障ったなら、謝るよ。お互い立場も変わったし、以前のように接するのはよくないかと…」


「あの、」


璃子は、ふたりの会話を遮った。


「すみません、失礼します。」


立ち去ろうとする璃子を、月島は慌てて追いかけた。


「待ってください璃子さん、どちらへ?」


「化粧室です。」


月島の顔も見ず、璃子は足早に会場の外へ向かった。


璃子は、親しそうなふたりの様子を見て、動揺している自分に戸惑っていた。


とにかくはやく、その場を去りたかった。


会場の扉に手をかけると、マイクを握った司会の女性の声が響いた。


「皆様、ご歓談中とは思われますが、ここで、本日惜しくも会場におられない皆様から頂戴しました、祝電をご紹介いたします。」


璃子は足を止め、会場を振り返った。


「まずは、佐伯ホールディングス名誉会長であり、本日の主役、佐伯璃子様の祖父であられる、佐伯旺賢様から、お祝いのお言葉です。」


旺賢の名前を聞き、会場の注目が司会の女性に集まる。


女性は抑揚をつけて、祝電を読み上げた。


「璃子、20歳の誕生日おめでとう。帰還祝い、そして記念すべき誕生日を祝うため、ふさわしいものを贈ろうと思う。佐伯ホールディングスの全株式のうち、5%を璃子に譲渡する。」


会場は騒然とした。


5%は決して無視できない数字だ。


璃子は佐伯グループ全ての会社の経営に影響力をもつ株主となった。

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