第16話 準備
璃子の誕生日パーティーのため、玲子の指示のもと、月島は準備の指揮に追われていた。
会場の装飾、食事、当日の進行、手土産に至るまで、何もかも完璧に準備しなくてはならない。
理人がリストアップした招待客には、財界の大物や各界の著名人、佐伯家と親交のある名家の子息たちが含まれていた。
パーティーでの失態は即ち佐伯財閥の評判に泥を塗ることになる。
準備は慎重に慎重を重ねて進められた。
待合や、アテンドの順序まで、何1つとして間違いがあってはならない。
玲子を乗せ、パーティーの会場の下見をするため、車を走らせていた月島は、千智を佐伯家の邸宅まで迎えに行った日のことを思い返していた。
「月島くん、久しぶりね!元気なの?少し痩せたんじゃない?きちんと食べている?」
家政婦は、月島を迎えると矢継ぎ早に質問をした。
月島は現在、佐伯ホールディングス副会長である玲子の秘書をしているが、もともとは、玲子の息子である玲司の家庭教師をしていた。
当時、高校生だった玲司は、佐伯家の邸宅で暮らしていた。
S大学に通う学生であった月島は、所属するゼミの教授から紹介され、玲司のS大学受験のための家庭教師となり、佐伯の邸宅を出入りするようになったのだった。
好青年な月島は、たちまち邸宅で働く家政婦たちの人気者になった。
家政婦たちは何かと月島の世話をやこうとした。
「お嬢様を助ける動画を見ましたよ。みんなで言ってたの。私たちのアイドルが、すっかり有名人になっちゃったって。」
家政婦は、私たちだけのアイドルだったのに、と嘆いたが、整った顔をし、背も高い月島は、どこにいても目を引く存在だった。
佐伯邸宅の家政婦に限らず、月島に好意を寄せるものは多かった。
「そういえば私、お嬢様を見て、びっくりしましたよ。亡くなった奥様の、若いころにそっくりなんだもの。」
おしゃべりを続けていた家政婦は、璃子が邸宅にやってきた日、驚いたことを話しだした。
「若いころの大奥様と奥様も似ていたって話ですし、きっと大旦那様のお好みのお顔なんでしょうね。昔いたんですよ、奥様に似た、若い家政婦が。大旦那様の口利きで雇われたけど、すぐに辞めて出て行ってね。それ以来、大奥様は若い人を雇わなくなったんだけど。おかげで最近は、力仕事をできる人がいなくて大変よ。月島くんも、休日に呼び出されて大変よね。よかったら、少し休憩していってちょうだい。」
大旦那様は名誉会長の旺賢、大奥様は名誉会長の妻冬子、奥様は美由紀、お嬢様は璃子だ。
美由紀と璃子は親子であるから、ふたりが似ていてもおかしいことはない。
冬子と璃子は祖母と孫の関係だから、違和感はない。
しかし、若いころの冬子と美由紀が似ており、さらにふたりに似た家政婦まで雇っていたとなると、少し妙だ。
月島は、千智の顔を思い浮かべた。
月島は、人の容姿に関心が薄いほうだった。
人の顔を覚えることも少し苦手だ。
しかし、ホテルのサロンで身なりを整えた千智を見たとき、確かに美しいと思った。
顔そのものではなく、千智のまとう雰囲気と笑顔のせいだったのかもしれない。
あの日、千智の笑顔は輝いていた。
玲司に連れられ、千智は以前採寸をしたドレスサロンに、フィッティングに来ていた。
仮縫いされたドレスは、瑠璃色のマーメイドラインのドレスだった。
オーナー兼デザイナーの椿は、千智の体に合わせて、ドレスのラインの最終調整を行った。
調整が終わると、椿は千智の体のラインに沿うよう、レースをドレスにピンで止めていき、千智の肌が映えるか確認しながら、チュールやビジューのサンプルを比べてスタッフに指示をした。
フィッティングには、当日千智のヘアメイクを担当する佐原も同席していた。
佐原は、ドレスを確認しながら、ヘアスタイルやメイクを千智と打ち合わせた。
佐原の提案で、髪型は、ジュエリーがよく見えるよう、耳元とデコルテを出すハーフアップスタイルに決めた。
肩に下ろす髪は巻きすぎず、自然なウエーブにすることになった。
フィッティングが終わると、出されたお茶を飲みながら、千智は椿とふたりで少し話をした。
「父が、よろしくと申していました。母と親しかったそうですね。」
前回訪れたとき、千智は知らなかったが、椿は美由紀と親しい友人だった。
椿は、美由紀のウェディングドレスを制作したことで、一躍有名になり、デザイナーとして成功した。
以来、美由紀が社交の場で着る、椿のオートクチュールドレスには、いつも注目が集まったという。
「美由紀さんは友人であり、私のミューズでした。」
椿は答えると、千智をじっと見つめた。
「璃子さんを見ていると、若い頃の美由紀さんを思い出します。本当に、よく似ているわ。」
椿は微笑んだ。
「きっと、素晴らしい出来栄えでお届けします。当日を楽しみにしていてください。」
ホテルの会場では、玲子がイベントコーディネーターに、次々と指示を出していた。
「装飾のアクセントカラーは、璃子にちなんで瑠璃色にするわ。会場装花の打合せをしたいから、担当者を呼んで。」
玲子はスマートフォンを取り出すと、夫であり、会場ホテルの社長である泰司に電話をかけた。
「泰司さん、会場の窓ガラスを、パーティー前日に清掃したいの。レセプションに使う部屋は、…」
ホテルの設備について、玲子は泰司と話し込んでいる。
月島はその間イベントコーディネーターに紹介された、照明の責任者と打合せをした。
装花の担当者はすぐに姿を現した。
泰司と電話を終えた玲子は、会場の中を歩きながら、装花のイメージを説明してゆく。
「ダイヤモンドリリーとバラ、アマリリスを中心に、白い花でまとめたいの。スイセンやランもいいけど、香りが強すぎるものは避けて。それと…」
玲子は月島を呼んだ。
「月島、璃子の好きな花を確認して。」
フィッティングの帰りの車の中、千智のスマートフォンに、月島から着信があった。
「はい。もしもし。」
「月島です。璃子さん、突然ですが、好きな花を教えてください。」
「花ですか?うーん…」
突然問われて、千智は迷ったが、最初に思い浮かんだ花を答えた。
「タンポポが好きです。」
「…」
「月島さん?」
月島は電話の向こうで笑っているようだった。
「いいですね、タンポポ。私も好きです。」
そう言うと、月島は電話を切った。千智は首をかしげた。
“何だったんだろう?”
「タンポポって…用意できないだろ。」
運転をしていた玲司は、あきれ顔で千智に言った。
「どういうことですか?」
「好きな花を聞くってことは、その花を璃子ちゃんに贈りたいってことでしょ。タンポポなんて、切り花として流通してないし、今の時期に手に入るわけない。」
「え?そういうこと?」
「璃子ちゃんは、ドSだなー。」
慌てる千智をからかって、玲司は笑った。
“タンポポか…”
電話を切って、月島は微笑んだ。
予想外の答えに思わず笑ってしまったが、とても千智らしい。
“さすがに、タンポポを会場装花にはできないな。副会長には、野の花が好きなようだと伝えておこう”
バラやユリなどの、豪華な花束を好む女性たちの中にいて、久しぶりに触れた千智の素朴な感性を、月島は好ましく思った。
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