第14話 友人
瑠偉のアトリエに千智を迎えに行った月島は、千智をマンションまで送り届けると、そのまま帰ろうとした。
千智は、月島を引き止めた。
「待ってください。」
月島に会うのは、美香の話を聞き、泣いた日以来だ。
その時のお礼もまだ言えていないし、今日も休日なのに、送迎をさせてしまった。
「よければ、夕食を食べていきませんか。先日と今日のお礼に、何かさせてください。今日が無理なら、他の日でも。食事じゃなくても、希望があればその通りに…」
千智が言い募ると、月島は笑顔で答えた。
「では、お言葉に甘えて、食事を頂いても?」
「もちろんです!」
千智は腕によりをかけた。
遅くまで働く美香のため、中学生のころから、料理は千智の担当だった。
用意したのは、素朴な家庭料理ばかりだが、どれも作り慣れた得意料理だ。
「いただきます。」
料理を口にする月島を、千智は不安そうに見守った。
“口にあわなかったらどうしよう。”
はりきって作ったものの、千智は今更不安になった。
人には好みがある。
そもそも、千智の手料理を食べたことがあるのは美香だけだ。
美香はいつも、美味しいと言って褒めてくれたが、客観性にはやや欠ける意見かもしれない。
「どうでしょうか?」
月島は不思議な感覚に包まれるのを感じた。
“懐かしい味がする…”
月島も料理をする方だが、だからこそ、誰かに作ってもらう家庭料理は特別に感じる。
しかし、それを抜きにしても、千智の料理は、慣れ親しんだような温かい味がした。
「美味しいです。ほっとする味ですね。」
「よかった!」
箸が進んでいる月島を見て、千智は胸をなでおろした。
食事をしながら、千智は月島にお礼を言った。
「あの日、月島さんが、話を聞いてくださったから、気持ちが楽になりました。ありがとうございます。」
「お役に立ててよかったです。ご家族との対面はいかがでしたか?」
「最初は戸惑いました。けど今は、離れていた時間を埋めていける気がしています。」
千智は理人や玲司、瑠偉とのことを、月島に話した。
リビングで食後のお茶を飲みながら、月島はローボードに置かれた美香の遺骨に目を止めた。
千智は月島の視線に気がついて言った。
「…そろそろ、納める納骨堂を探したいと思っています。いつまでも、傍に置いておくことはできないので。」
月島はうなずいた。
「場所を探して、ご紹介します。」
「そんな、手伝って頂くのは、悪いです。」
千智は遠慮したが、月島は首を振った。
「不安をあおるつもりはないのですが、万が一を考えて、事情を知る人間に、見つかりそうな場所は避けた方がいいと思います。」
この先、様々な思惑で、美香の遺骨を狙う者がいないとは限らない。
佐伯ホールディングスの関係者に、会う可能性がある場所も、極力避けた方がいい。
「ご自分で探すのは、難しいかと。」
千智は月島の言葉の意味を理解した。
そこまで考えが至っていなかった。
「それに、佐伯家の皆さんには相談しづらいでしょう。よければ、私が力になります。」
適当な納骨堂を探すには、財閥の事情に詳しい人の協力が必要だ。
しかし、誘拐犯の可能性を拭えない美香は、佐伯家にとってやや微妙な存在だ。
月島の言う通り、佐伯家の誰かに相談することは、避けるべきだろう。
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
千智は月島に感謝した。
翌日、千智は西村と会うため、大学近くのカフェを訪れた。
約束の時間に現れた千智を見て、西村は飲んでいたコーヒーを噴きそうになった。
「…林さん、だよね?」
千智はゴシップ記者を警戒して変装していた。
金髪のウィッグの上にハットをかぶり、サングラスにマスクまでしている。
服は上下ともジャージだ。
あまりに怪しい服装で、逆に目立っている。
「西村君、今日は来てくれてありがとう。」
千智は西村とずっと、メッセージのやりとりをしていた。
大学を休学することや、アルバイトを辞めることは伝えていたが、まだ、自分が佐伯璃子だということは言えていなかった。
親切にしてくれた西村には、会って直接伝えたいと思い、千智は講義の合間の西村を、大学近くのカフェに呼び出したのだった。
「元気だった?」
「うん。色々ありがとう。」
「いや、結局俺は何もできてないし。」
「そんなことないよ!アルバイトのことも、講義のことも、助けようとしてくれて、本当に嬉しかった。」
西村は少し照れたように頬をかいた。
「…それで、話したかったことなんだけど…」
どこから話したらよいか千智は迷った。
西村は、千智が佐伯璃子だということに、ある程度気づいている気がする。
「もう、気づいていると思うけど、私…」
「ちょっと待って。」
言いかけた千智を止めると、西村は千智の耳に手を寄せ、小声で言った。
「周りに聞かれたくない話なら、外を歩きながら話さない?」
怪しい服装の千智を、ちらちらと伺う周囲の目に気づいて、西村は千智をカフェから連れ出した。
人通りの少ない道を歩きながら、千智は、自分が佐伯璃子だったことを、西村に打ち明けた。
西村は特に驚いた様子もなく、話を聞いていた。
最初から、正直に話さなかったことを千智が謝ると、西村は首を振った。
「謝らないで。俺も、林さんに話してないことがあるんだ。」
そう言うと、西村はしゃがみこんで手を合わせ、頭を下げた。
「林さんの写真を、失踪した璃子さんの情報を募るインターネットサイトに送ったのは、俺なんだ。」
千智は驚いて固まった。
返事をしない千智を、西村は気まずそうに見上げた。
「怒ってる?」
「ただ、びっくりした。でも、どうして?」
璃子が海外で失踪したため、情報を募るサイトは、現地向けのものだった。
15年前、国内でも一時話題になったとはいえ、当時、千智と同じ5歳だったはずの西村が、何故、璃子の失踪事件や、情報を募るサイトを知っているのだろう。
千智の疑問に答えるように、西村は言った。
「林さんは覚えていないみたいだけど、小さい頃、俺たち会ったことがあるんだ。」
西村は、佐伯グループに属する建設会社の、取締役社長の3男だった。
15年前、佐伯家はグループ会社経営陣の家の子どもたちを集めて、璃子の5歳の誕生日パーティーを開いた。
ふたりの兄たちと一緒に参加した西村は、同い年の友人候補として母親たちから璃子に紹介された。
「璃子、聖くんよ。璃子と同い年なの。仲良くしようね。」
早生まれの西村は身体が小さかったうえに、よく兄たちのおもちゃにされていた。
その日も兄たちに乱暴に可愛がられて、泣いていた西村は、璃子に助け出された。
自分が同い年の子どもたちより小さいことを気にする西村に、璃子は言った。
「すぐにお兄ちゃんたちみたいに、大きくなれるよ。」
「本当に?」
「うん、叔母さんが言ってたの。男の子はすぐ大きくなるって。璃子のお兄ちゃんも、昔は小さかったんだって。」
璃子は洋服の袖で西村の涙を拭い、両手を握って言った。
「それまでは、璃子が助けてあげる。その代わり、大きくなったら璃子のことを助けてね。」
ふたりは指切りをして別れ、西村は再び璃子に会える日を心待ちにしていた。
しかし、誕生日パーティーの日から間もなく、家族で訪れた海外旅行先で、璃子は失踪した。
佐伯グループ内は、会長の娘の失踪事件の話題で持ちきりになった。
西村の両親は、璃子に会いたいとせがむ息子に、璃子がいなくなってしまったことを話した。
幼い西村は、璃子がはやく戻ってこられるよう祈った。
もしかしたら、どこかで、怖い思いをしているのかもしれない。
“僕が、見つけてあげられたらいいのに。”
時が経ち、大学のオリエンテーションで、千智を見かけた西村は、見覚えがある顔だと思った。
しかし、数日考えても、どこで会ったのか思い出せなかった。
西村はなんとなく千智のことが気になり、目で追うようになった。
1年経ったころには、西村は千智が気になって仕方がなくなっていたが、深い人付き合いをせず、集まりにも参加しない千智とは、なかなか距離をつめることができなかった。
そんな時、いとこの結婚式に出席した西村は、会場で給仕スタッフをしている千智を見つけた。
千智は別のテーブルの担当をしており、西村には気づいていなかった。
西村は同じアルバイトをはじめることにした。
ひと月が経ち、千智と挨拶する程度の仲になっていた西村は、父親から佐伯ホールディングス会長夫人である、美由紀の訃報を知らされた。
閃きが走り、古いアルバムを漁って、璃子の誕生日パーティーの写真を探し出すと、写真に写る美由紀は、千智にそっくりだった。
そして、千智には璃子の面影があった。
「もしかしたらと思って、写真を送ったんだ。林さんは大変そうだったし、力になりたくて。」
千智は璃子かもしれない、そう思いながらも、確信を持てずにいた西村は、親しくなるにつれ、千智には両親もなく、アルバイトで生計を立てていることを知った。
もし、千智が璃子だったなら、苦しい生活から解放されるはずだ。
何か確かめる方法はないか悩んだ末、西村は、璃子の情報を募るインターネットサイトに匿名で写真を送った。
何も起こらないまま日々が過ぎ、やはり人違いだったのかと思っていたある日、千智は全身ブランド服で学校に現れたのだった。
「写真を送る前に、林さんに確かめるべきだった。勝手なことをして、本当にごめん。」
「ううん。西村くんのおかげで、家族と会えたんだもん。」
千智はサングラスをはずし、西村と目を合わせて微笑んだ。
「私を見つけてくれて、ありがとう。」
西村は、璃子を見つけてあげたいと切に願った、幼いころの自分が報われたような気がした。
璃子は西村の初恋だった。
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