第11話 関係
玲子の夫であり、佐伯ホテルグループの社長である佐伯
7つあるボールルームの中で、最も大きい“グランド・ハーバービュー”は、湾岸の景色を240度パノラマで一望でき、正餐で300人収容可能な特別な宴会場だ。
泰司は、璃子の誕生日パーティーを利用して、ホテルを大々的にアピールするつもりだった。
招待客には大物が多く、当日の宿泊利用に持ち込むことができれば、スイートルームの年間契約にもつながる。
「ねえ、東堂宛にも、招待状がきたわよ。」
泰司の長年の愛人であり、不倫相手である東堂織江は、ベッドから起き上がると、サイドテーブルに置いてあったハンドバックから、電子タバコを取り出した。
「煙草、やめたんじゃなかったのか?」
泰司はベッドを出て、バーカウンターからミネラルウォーターを取り出し、一口飲んでから織江に渡した。
「旦那の前じゃ吸えないの。あなたといるときくらい、好きにさせて。」
織江はミネラルウォーターを受け取ると、煙をゆっくり吐き出し、窓の外に目をやった。
「パーティーには、あの人と出席するわ。今回ばかりは欠席できないだろうし。」
織江の夫は、佐伯グループの商社の取締役で、ふたりは泰司の紹介で結婚した。
織江は泰司の元秘書であり、当時からふたりは不倫関係にあった。
結婚をしたいから別れる、という織江に、泰司は仕事で知り合い、結婚相手を探していた東堂を紹介したのだ。
結婚式後、初めてふたりで会った際、織江は言った。
「前々日まで、一緒にベッドにいた男が、結婚式で上司として感動的なスピーチをしてるなんて、正直笑えた。」
織江はミネラルウォーターを口にすると言った。
「玲子さんがいる場所に、出席して大丈夫?」
「昔から言ってるだろ、俺たちはビジネスカップルなんだ。玲子は自分の仕事と成功にしか興味ないよ。」
泰司と玲子はお見合い結婚だった。
当時、佐伯ホテルグループ社長の跡取り息子だった泰司は、イケメン御曹司として、ホテルのブランドイメージの向上に尽力していた。
大学を卒業したばかりの財閥令嬢であった玲子は、大物カップルとして注目を集めるのに、ぴったりな相手だった。
ほどよく交際し、注目を集められればそれでいい。
泰司は軽い気持ちで玲子に近づいた。
しかし、佐伯家から申し入れられたお見合いの後、玲子からの提案に泰司は面食らった。
玲子は泰司に、お互いの自由を約束する契約婚をもちかけたのだ。
「佐伯ホールディングスでの地位を確立するのが、私の夢なの。結婚しても仕事を第一にしたい。泰司さんは自由に恋愛をしたいタイプでしょう?お互い、干渉しない約束で、契約結婚しましょう。」
「玲司も、必要だから産んだにすぎない。」
泰司は、俺にとっては大事な跡取り息子だけど、と付け足した。
「玲司くんも出席するのよね?久しぶりに会うことになりそう。」
泰司の秘書時代、織江は当時高校生だった玲司と、何度か顔を合わせたことがある。
両親譲りの美形で、愛想もよく、周りの女の子が放っておかないだろうと思った。
「あいつは母親の愛情不足だな。女遊びばっかりしてるみたいだ。」
泰司はソファに沈み込むと、玲子を非難するように言った。
織江は内心、鼻で笑った。
“父親の浮気癖が似ただけじゃない?”
玲司は恋人の一色唯衣那に請われて、ハイブランドのVIPルームにいた。
唯以那は玲司に同伴して、璃子の誕生日パーティーに出席する気だ。
パーティー用のドレスを選ぶからと言って、玲司を呼び出したのだった。
「ねぇ、これはどう?」
試着室から出た唯衣那は、玲司の前で優雅に一回転してポーズをとった。
ドレスの胸元は、へそに届きそうなほど深いスリットになっている。
「セクシーすぎるよ。そういうのは、俺の前だけにして。」
玲司が言うと、唯衣那はいたずらっぽく笑った。
唯衣那はわざと大胆なデザインのドレスを試着し、玲司の気を引こうとしていた。
唯衣那は佐伯財閥傘下の子会社の社長令嬢だった。
資産家の若者が集う社交クラブで出会ったふたりは、酒を飲んだ勢いのまま関係を持った。
「そろそろ戻らないと。」
玲司は時計を見ながら言った。
「もう?玲司、最近冷たくない?」
唯衣那はソファに座る玲司の膝に乗った。
「なんで?仕事の合間を縫って、こうして会ってるのに。」
甘える唯衣那に口づけながら、玲司は内心、面倒に感じはじめていた。
関係を持って、3カ月。
そろそろ潮時かもしれない。
「送るよ。どこに行く?」
「ホテルのラウンジまでお願い。友達と会うことにする。」
唯衣那を送るため、玲司は車を走らせた。
助手席に座る唯衣那は璃子の誕生日パーティーについてあれこれ話していたが、気がついたように、ふと訊ねた。
「それにしても、びっくり。本物なの?」
15年も前に海外で失踪したいとこが、国内で見知らぬ女性に育てられていたなんて、信じる方がおかしい。
その女性が理人の子供を産んでいた、と考える方が自然だ。
理人は愛妻家で通していたが、父の浮気を目の当たりにしてきた玲司は、到底信じる気になれなかった。
“会えば納得するわよ。”
母親の玲子にはそう言われたが、食事会の席で会った璃子は、15年前とはまるで別人だった。
確かに顔は美由紀によく似ており、璃子の特徴はあった。
しかし、勝ち気でおてんばだった幼い少女の面影はどこにもなかった。
おとなしく、緊張気味に周りの様子を覗う姿も、遠慮がちな微笑みも、全く璃子らしくなかった。
大人になったとはいえ、あまりに印象が異なる璃子を、玲司は怪しく思った。
会食のあと、理人に呼ばれて書斎に向かった玲司は、廊下で璃子の姿をみつけて、試したくなった。
玲司は璃子の髪を弄び、わざとらしく疑った。玲司が知っている璃子なら、怒って反撃してくるはずだ。
しかし、璃子はされるがまま、俯くだけだった。
何も言わない璃子を残して、玲司は理人の書斎に入った。
璃子だという確信が持てないまま、後味の悪さが残り、玲司は少し憂鬱だった。
しかし、デスクに座る理人の表情を見てはっとした。
半年前に妻の美由紀を亡くしてから、理人は目に見えて精彩を欠いていた。
会長秘書兼見習いとして働きながら、以前の鋭さを感じさせない理人に、玲司は落胆していた。
しかし、目の前の理人の瞳は、以前の光を取り戻していた。
「まぁ、本物なんじゃない?」
実際、璃子として役に立ってくれるなら、本物かどうかは大した問題ではない。
あの日、璃子に言った言葉は本心でもあった。
玲司は理人が娘と認めた璃子を、受け入れるつもりでいた。
「会長の理人さんが、自分の娘の璃子だって確信しているし。」
「そっかぁ、感動の再会だね。映画みたい。ほら、そういう映画なかった?確か…」
おしゃべりを続ける唯衣那を横目に、玲司は考えた。
“映画は再会して終わりだけど、現実はその後が大変なんだよな。”
璃子が戻るということは、そんなに単純な話じゃない。
そのうち、様々な問題が浮き彫りになるだろう。
自分も無関係ではない。
“考えても仕方ないし、しばらくは様子見だな…”
玲司はアクセルを踏んで、道を急いだ。
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