第36話 秋ナスは嫁に食わすな①

「おはよーっす」


時刻は9時前である。


「遅いんですけど、先生」


葉月がフライパンから目を離さずに言う。


「おうおう、朝から精が出るねぇ」

「セクハラで訴えますよ」


それをセクハラと捉えるお前のほうがセクハラだよ、と安易に突っ込めないような雰囲気だ。

廉太郎もしかり、かなり追い込んでいるらしい。


「、、、、ふふっ、、、葉月はあさりのうま味でやっちゃうんだ、ノックアウトなんだ、、、ああぁそうだ、明日は救急車に待機してもらわないと、やっちゃいますからね、、、ヤっちゃうんだからね、、ふふふふふ」

「これじゃだめだこれじゃだめだ、、、、そうだ、、、今度は3万のバローロ・ワインを使えば、、、そうだ、、、それしかない、、、、」



俺は拍手を2回、パン・パンっと鳴らして注目を集める。


「なんですか、先生?邪魔なんですけど、いつもらしく引っ込んでてください」

「邪魔だけはしないのが先生の取り柄だと思っていたのですが」


こーわっ。

お前ら二人ともひど過ぎない?


「あまりやり込みすぎても、ドツボにハマるぞ」

「それは、、、、、、一理ありますが、、、」

「確かに、正直もう何が正解か分からなくなってきました」


まだこいつらは入学して間もない。

やる気と集中力は比例するものではないのだ。


「そもそも論、なんでこんな学校内の、しかも1部活同士の些細な争いに真剣なん?」

「いや、些細じゃないんですが、、廃部がかかってるんですが、それにお前が言うな」

「葉月さんに同じく」


お前って言った?今、先生のことお前って言ったよね?

葉月さんもう反抗期なの?


「いや、まぁそりゃそうなんだけどさ、それにしても気合すごくね、何?俺のためなの?実は俺のためだったりするの?」

「いや、微塵もないです、そんな気持ち」

「ええ、全くないです」


何、その視力検査でもする時のような目は。みんなそんなに目ぇ細かったっけ、、、。


「ただ、たかが地方の1学校の、たった40人しかいない学科で、負けることが許されるのかなって」

「その通りです」


ほほう。

視座が高いこった。

これは教えた先生の顔が見てみたいね。さぞイケメンなんだろうね。

ただ、あー、どうしよう。

まぁいいか。


「了解。二人の気持ちは分かった。それで、ほれ」

「「???」」


きょとんとする二人に手を出す。


「俺の朝飯」

「あるわけないです、いま手止められたので」

「試作はさっき自分で食べました」


うそーん。

どうしよう、こいつらだけが俺の生命を保ってくれていたというのに。

どうしよう、小銭かき集めるしかないか。


と、自分のお腹と背中がくっついた財布を思った、その時だった。

今までどこに行ってたのやら、首からカメラを提げた我が妹がずざざざーと部室に駆け込んできた。


「お兄ちゃんお兄ちゃん!早く!!いくよ!」

「おぃぃぃいああああああ俺の朝飯ぃぃぃぃぃぃいぃぃぃぃい!」


その断末魔は、連れて行かれる顧問なぞいざ知らず、すでに調理に戻った二人の部員には聞こえていなかった。


======================================


「俺の朝食を邪魔した罪は重いぞ」

「大丈夫大丈夫、あなたのかわいい妹が調達してあげるから」

「あ、俺コンビニにはこだわりあって、おにぎりならセ〇ンだし、ホットスナックならファ〇マね、ありがとう」

「なに妹をパシろうとしてんだこのハゲ兄貴!」


ちょいちょい言ってるけど、俺ハゲてないよね?大丈夫だよね。

頭頂部とか確認したほうがいい?

その高性能カメラでちょっと撮ってもらっていい?


「ここにお兄ちゃんの朝食があります」


そうして連れて来られたのは、フランス料理研究部の部室であった。


「最愛、敵情視察してまいりました!えらい?えらい?」


ほう、そういえば俺はそんなこと微塵も考えなかったな。

相手の力量ねぇ。

まぁ、何か食わせてくれるってんなら、ご相伴にあずかろう。


俺が部室の扉を勇んで開けた、その瞬間である。


「「「「「「「ボンジュール!!!!!!」」」」」」」」」」」」


「のわっ!!」


圧巻である。

十数人の部員が一斉にこっちを向いて挨拶してきやがった。

戦争中の軍隊なの?

それとも廊下の先に先輩の背中が見えただけでバカでかい声出す野球部?


「恭介先生、おはようございます」


一歩前に出て挨拶してきたのは、黒松佐柳くろまつさりゅうだった。

4人のS特待生のうちの1人。

佐柳以外の部員は、すでに自分の調理に戻っている。


「うぃす」

「今日は、我々の指導に来てくださったのですか?」

「俺がそんな殊勝な人間に見える?見えてたらこんなことになってないわけだが」

「心を入れ替えたのかと。顧問の先生方は、もちろん自分の部活の生徒を優先的に指導しますが、学生全体の先生でもありますから」

「やだよ、そんなたくさんの生徒の将来を背負えるほど、オレ器でかくないよ」


言ってて悲しい。それに妹の冷めた目も悲しい。そうだよね、親族が非難されてるときほど心に来ることないよね。ごめんね、ダメなお兄ちゃんで。


「では、何をしにいらっしゃたのですか?」


なんとなく、俺、こいつ苦手。

なんか必要な情報だけ聞いてくる感じ。もっと雑談とかしようよ。その結果追い出すでもいいからさ。会話に余白がないよこいつ。


「こんなことを言っていますが、兄は週に1度しか顧問が来れない現状を憂いておりまして、それでまいりました。これは照れ隠しです」

「おいおいおい、お前なに言って、、、」


そこでわが妹が手招きするので耳を寄せる。


「さっき遊びに来たら、とんでもねぇ美味い料理作るやつが1人いた、それからさっきから最愛の美少女レーダーが微かに反応している、ここに残るが吉」

「残るが吉、じゃねぇんだよ。ふざけてたけど実は真面目な先生でしたってのが一番だせぇだろ、ごめんだね、そんなの。それに半分お前の目的じゃねぇか」

「どこにプライド持ってんの?そんなプライド、セーヌ川に捨てちまいなさいな、おほほほほほ」


こいつ、おフランス気取りになってやがる。


「フランスってポイ捨て多いらしいぞ、俺は日本人だから大事にお家に持って帰る」

「持って帰んなよ、いらないよ、その誇り。とにかく残って!最愛が美少女見つけるまでだから、お願い残って!」


そう二人で長らくこそこそ話をしていると、佐柳が訝しそうに、


「本当に指導していただけるのであればありがたいのですが、本当ですか?にわかには信じがたいのですが、本当ですか?」


本当って何回言うの?

どんだけ信じらんないんだよ。

俺、この約1か月であんま関わったことないやつにまでそんな評価なん?


「この中には本当はイタリア料理研究部に入りたかった部員もいますから、その部員の気持ちを考えると、安易には信じられないのです」


ああ。そうね。

入部のときのイメージがあるのね。

それはね、信じらんないよね。


「今日だけだぞ、今日だけ、真剣に味見てやる。腹も減ってるしな」

「お兄ちゃん、自分の評価を上げたいのか下げたいのか、どっちなの?まぁ最愛的には残るならオッケーだけど」


それはおっしゃる通りです。自分でももうよくわかりません。

舐められるのは嫌だけど、本当は真面目って思われるのも嫌なのです。

難しい年ごろなのです。


「そもそも、お前朝から1人でここ来てたんだろ?なら俺いらないじゃん」

「違うのよ、確実に美少女がいるはずなのに、どこにも見当たらないの。だからお兄ちゃん連れてくれば出てくるかなって。感じない?この美少女の波動が」


なるほど。お兄ちゃんはその美少女センサーとやらに絶対の自信を置いていることが心配だよ。感じないよ、波動。

まぁ、たまには妹サービスでもしようか。なんか自分の部室にいても邪魔扱いされるだけだし。


「よーし、見てほしい奴は俺様の前に皿を持ってこい!」


俺のその横柄な態度に、佐柳は表情1つ変えずに頭を下げた。

ああ、あれは絶対に俺を小馬鹿にしているな。


======================================


1人目


「うん、すごく美味しいよ。佳澄ちゃんだっけ?上手だね。鴨肉の処理が抜群」

「あ、、ありがとうございます」

「コンフィ、作るの大変でしょう?漬けたのは動物性のオイルじゃなくてオリーブオイルだね」

「そうです!」

「香草の香りもしっかり肉に移ってるし、仕事が丁寧なのがわかるよ」

「う、嬉しいです」

「多分だけど、香澄ちゃんは他人ひとより若干感覚が過敏というか、匂いとかを感じる閾値が低い感じがするね。だからオリーブオイルを使った。それに塩分も含め全体的に抑えめだ。今後、繊細で具材の少ない料理が得意になってくと思う。ただ、その辺の感覚の差は常に意識しておくといいよ。フランス料理で複雑な風味のソースとかを作るときはね。あと、イタリア料理も勉強しとくといい。そっちの方が得意そうだから、いい影響があると思う」

「分かりました、ご指導ご鞭撻ありがとうございました!」


2人目

「玲奈ちゃんはね、お魚の扱いがうまいね、火入れが最高だ」

「感覚なんですけど、ダメでしょうか?」

「感覚!?その年ですごいね。もちろん全然ダメじゃない。むしろ、その感覚を数値に変換して、言語化できる訓練をするといいよ」

「感覚を数値に、、、ありがとうございます!」

「うんうん。玲奈ちゃんくらい上手だと、他の人に教えることも出てくるだろうから、その時に感覚だとズレるからね、根拠を示せるといい」

「わかりました!」


3人目

「あー、ダメ。クソだ」

「理由を教えてください」

「は?何でも教えてくれると思ってる甘ちゃんがS特待取れるんでしたっけ?あ?」

「失礼しました。作り直します」

「無理だな、作り直したところで無駄な皿洗いが増えるだけだ」


4人目

「ん、、?なんだこれ、誰が作ったんだ?それにいつ置いた?」

「、、、、、、、、なるほどねぇ」


俺様による品評会はそうして昼まで続いた。


「げふっっっっ、、もう食えない、しゅーりょー」

「恭介先生!またきてください!」

「待ってますーー!」

「やっぱりイタリア料理研究部入ればよかったぁー、、」


大人気である。主に女子に。

ほら、俺ってやっぱり優秀だよね。


両手をフランス料理研究部の女子たちに引っ張られながら、


「どうしよっかなぁ、俺、フランス料理研究部も兼部で顧問しちゃおっかなぁ!」

「やったぁ!」

「そうしてください!すっごく優しいし、分かりやすいし」


女子高生に囲まれていい匂い、それにそこはかとなく胸が当たってるのもいい。


「ぐへへ、ぐへへへへ」


俺が有頂天に笑ってるときだった、


「、、、、何、やってんです?」


薄く開かれたドアから、目玉だけがギョロリとこちらを見てる。


「何、やってんですか?」


瞳孔開いてるよ!

誰なの?

なんか血走ってるし。


「他人《ひと》が、死に物狂いで家で料理してる間に、あんたはキャバクラ狂いですか?うちに小さい子を残して、、、いいご身分ですねぇ??」


小さい子なんて残してないよ。

ダメな夫を持った哀れな妻みたいなこと言ってるよ。

フランス料理研究部の子達も怯えて遠くにいっちゃってるし。


「帰ってきたらぁ、覚えときなさいよ、、」


ガシャん!


と、勢いよく扉が閉められた。

そして廊下からは、


「遅効性の毒って何があるんでしょう?」


とか聞こえてきた。

葉月さん、こん詰めすぎよ、おかしくなっちゃってるよ。


さぁ、今日の夜を越えれば明日は決戦の日だ。それまで俺が生きてればの話だが。





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