第35話 閑話(京香①)
「カポ、アンチョビって、包丁で切るとちょっと骨を感じるんだけど、常に叩いたほうがいいの?」
僕は料理の師匠に聞いた。
だって、喉に骨が刺さった感じは、すごく気持ち悪い。
それに耳鼻科で取るのも怖いのだ。
前に鯖の骨が引っ掛かったときは最悪の気分だった。
「京香、それは聞かないとわからないことかい?」
あ、またやってしまったと思った。
カポはいつもそうだ。基本的に質問に答えてくれることがない。
知っていたのに、また聞いてしまった。
カポは1つも笑顔を見せることなく、鶏肉の下処理を続ける。
自分で試してみるしかないのだ。
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「うーん、何もしないと、さすがに気になる。でもフライパンの中で潰すくらいなら大丈夫」
僕は今日はアンチョビについて考える日と決めて、さまざまな切り方に取り組んでみた。
パスタにしてみると、風味も少し違う。叩くとオイル全体にアンチョビが回るが、軽くつぶしたときの方が少しだけ上品な感じ。
あとは口に入れた時に感じる塩味も、若干だが違う。
「わかったかい?」
「うん、いろんなアンチョビで試してみるよ、今度はフィレじゃない、丸まんまの自家製で試してみる」
「そうか、今日はもう遅いから帰りなさい」
カポは僕の方を見ず、僕のパスタも食べずにそう言った。
いつもカポに食べて欲しくて、2皿分作るのに、だ。
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「ただいまーーー」
家に帰ったのは18時ごろだった。
「おかえりーーーー!」
と、母が玄関まで駆けてきて抱きついてくる。
「あら、今日は一段とにんにくの匂いがすごいわね、ミニシェフ」
「ミニシェフって言うなよ、来年からは中学生だぞ」
「あら、京香、学校行くの?別に行かなくていいわよ、面倒くさいし」
「めんどくさいってなんだよ」
「だって、通うってなったら制服作らなきゃだし、PTAとかも参加しなくちゃでしょ?やだやだぁ、めんどくさいぃ」
「それが母親の言うことかよ、、、、」
僕は不登校だった。
学校に行かず、1日カポのところで料理の修行をしている。
そう。
遊びに行っているのではない、これは修行だ。
『こいつ、納豆食ってやがるぜ、くっせぇー』
『まじぃ?ありえないんだけどー』
いじめの始まりなど、そんなもんだ。
納豆に何の罪がある。
こんなにおいしいのに。
それからだ。
よくテレビとかで見るいじめは、ほぼほぼ受けた。
靴は隠されるし、ほうきで足を叩かれるし、背中になんか張られるし。
一番酷かったのは、余った給食の残りの納豆を、僕がトイレに行っている間に、机とランドセルの中に詰められたときだ。
教科書もノートも、全部ダメになった。
そんなことが、小学校4年生の後半から、5年生になってクラスが替わっても続いた。
そして、学校に行かなくなった。
その時、母が真面目くさった顔で言ったのだ、
「なんで無理して学校行ってんの?いじめられてても楽しいことがあるの?」
「なんにもないよ、楽しいことなんて」
「じゃぁなんで行ってんの?」
「行かないとダメだから」
「あれ、うちの息子ってもうちょっと賢いと思ってたわ、ごめんごめん、、ミスったわ」
そう言われて、僕はキレた。キレて泣きながら母親を殴った。
「ごめんごめんって。だってそんなに虐められてるのに学校行くからさ、好きな子でもいるのかなって、ミスミス、すまんね」
そう、僕のお母さんはちょっとおかしい。
見た目もそこそこ綺麗で、東大を出たにも関わらず、どこにも就職しないで高卒の冴えない父と結婚した。そして専業主婦をするぐらいにはおかしい。
ちなみに二人は、アイドルファンだった父が東京で開催されるコンサートに行った際、母の方からナンパしたらしい。狂ってる。
「なんだよー楽しくないなら普通いかないだろー、お母さん悪くないー。もっと柔軟に生きろよなー、常識に縛られるなよぉ」
いや、悪いよ。
もっと守れよ息子のこと。
そんなこんなで、学校に行かなくなったわけだが、同じくらいのタイミングでカポに出会った。
両親の結婚15周年のお祝いで店に訪れたのだ。
「なんだ、、、、、これ、、、、、、」
衝撃だった。
学校で食べる給食とも、母の手料理とも、まるで違う。
これが、、、料理、、、。
僕が感動しているのを見てか、両親がシェフを呼んだ。
厨房から出てきたのは、背の高い、外国の人だった。
僕たちの席まで来ると、何も言わず傍に立った。
1秒、2秒、、、、、何も言わない。
怖い怖い怖い。
緊張するし、、、それに両親もなんか温かい目で僕の方見てるし、、、、。
ナニコレ、僕が話すの?
お母さんじゃないの、、、?
沈黙が続く。
奇妙な状況に、しかし誰も話出さない。
僕が、話すしかない。
「、、、、ハロー、、、マイネー」
「日本語で大丈夫です」
「、、、、、、」
出鼻をくじかれた。
そうだよね。
日本で営業しているんだもんね。
「あ、、、、、あの、、、、、、とってもおいしいです、、、、」
「ありがとうございます」
あれ、これを伝えたかっただけなんだけど、なんでこのシェフ去らないの?
なんか、こういう時他に言わないといけないことがあるの?
マナーとか知らないよ、、、僕、、、、。
とにかく、何か話さなければ、と焦る。
「これ、、、、パスタですか?」
「ラザニエッテというものです、平たいパスタみたいなものですね」
「あの、、その、、、、ソーセージみたいな味がします」
「そうですね、正式にはサルシッチャといいますが、その通りです」
「普通のソーセージよりしょっぱくて、香りもあって、おいしいです」
「はい、そうですね」
「あと、これ、普通のピーマンじゃないと、、、、思うん、、、、ですが」
ああもう怖い、、、いつまで続くのこれ、、、なんかすごいこと言ってるし僕、当たってなかったらどうしよう、、、、。
「そうです。それはピーマンではなく、万願寺とうがらしという野菜です」
「とってもおいしいです。トマトとすごい合ってて、、、」
「ピーマンとは、どう違うと感じたのですか?」
なんか質問来たーーー!!
やばいよ、やばいこの店。
何、正解しないとお代増えるとかなの?
僕はお母さんに助けを求めるが、にこにこ笑ってる。
だめだこいつ。
わが子に迫る危機へのセンサーがへし折れてる。
「あの、自分で作ったナポリタンとか食べたとき、、、ピーマンが一番強く味を感じる気がして、、、、でもこれは、それに比べると弱くて、、、でも食べるとすごく甘いから、、、トマトの味を邪魔してなくて、、、あと、ピーマンとトマトの甘さと、ソーセージ、、、じゃなくて、、、」
「サルシッチャ」
「はい、、、、、サルシッチャの塩味と、その甘さが両方おいしくて、、、それから、にんにくの香りが、その2つの間にあって、それをこのパスタが包んでるような、、、あと、、、、」
「あと、なんでしょう」
絶対怒られる、100パーセント怒られる。
でも言わないと終わらない感じだ。
言うしかない。
ごめん、お母さん、お父さん、記念日を台無しにするかもしれない、、、。
「これ、、、なんとなく、お母さんが作るピーマンの肉詰めに、、、似てます」
「どこが、、、ですか?」
ほら怒ったよ、怖いよ、、、、。
目が青いもん、、、。青い!目が青いんだけど!!すごっ!
「優しい、、、味だから。なんかほっとします。嫌なことがあったときでも、食べたら少しだけ元気が出る感じがします、、、。しょっぱくて、甘くて、少し辛かったり、苦かったり、そういうのがぱぁって心に広がって温かくなる」
「この料理も、少しは君の嫌なことを消したかい?」
ん?
なんだ?
なんか少しだけ声が温かい。気がする。
「はい、おいしい料理をありがとうございます」
僕が頭を下げると、両親が急にぱちぱち拍手しだした。
「やっぱ京香は天才ね!お母さんに似たのね!!」
どうしたお母さん。
なぜ急にスタンディングオベーションしてるの?
他のお客さんもいるし恥ずかしいんだけど、、、。
「マウリツィオ、ご協力ありがとう」
「いえ、素晴らしい息子さんです」
「でしょー、この子いつもうるさいのよ。普段と醤油違うの使っただの、こないだよりしょっぱいだの、お米は魚沼産以外食べたくないとか、毎日毎日毎日、だんだんイライラしてきたから、もう今後はこの子に作ってもらおうと思って」
おい。雲行きが怪しい。
「知り合い、、、なの?」
「まぁねぇ、最愛ちゃんもいるから、最近は来れてなかったけど、常連よ常連。昔からの」
「で、これは何?」
「京香は、料理好きでしょ?いつもお昼自分で作ってるし」
「それはお母さんが寝てるから、、、」
「お父さんの前でばらさないでよ!!!」
「だったら、料理人になっちゃえば?って。どう?お母さんもうご飯作るの嫌なのよ、もともと家事嫌いだし」
「後半の理由がメインな気がする、、、、」
結局、それからだ。
僕がカポのお店に通うようになったのは。
カポは、何も教えてくれなかった。
だから、いつも見よう見まねだ。
本だけはお母さんが惜しみなく買ってくれたから、料理の本と、イタリア語の本をいっぱい買った。
何も教えてくれない。
だけど、毎日、お昼ごはんを食べさせてくれる。
いつもそのお昼ごはんは、僕が練習で使ったのと同じ具材だったり、同じ料理が出てくる。
正解を、行くべき方向を、いつもその料理が教えてくれた。
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「久々に昔の夢みたな、、、」
合宿2日目の朝である。
宿直室のベットの上だった。
いつもと違う場所で寝たから、そんな夢を見たのかもしれない。
「カポのあの、俺を見る青い目、、、あれトラウマなんだよなぁ、不味いの作っちまった、って思うし」
ただ、悪夢という訳ではなかった。
どこかすっきりしたような感さえある。
そう、喉につかえた小骨が取れたような。
「そういえば、1つだけアドバイスもらったことがあるな」
アンチョビの使い方について色々試していたときだ。
「気になる骨は、、、、取れ、、、、」
いろいろ試行錯誤した次の日、会った瞬間に言われた。
喉を抑えながら。
「なんだ、そういうことか」
ああ、弟子は師匠に似るもんだ。
カポがあの時から太り始めたのは、多分俺のせいもあるかもしれない。
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