第35話 閑話(京香①)

「カポ、アンチョビって、包丁で切るとちょっと骨を感じるんだけど、常に叩いたほうがいいの?」


は料理の師匠に聞いた。

だって、喉に骨が刺さった感じは、すごく気持ち悪い。

それに耳鼻科で取るのも怖いのだ。

前に鯖の骨が引っ掛かったときは最悪の気分だった。


「京香、それは聞かないとわからないことかい?」


あ、またやってしまったと思った。

カポはいつもそうだ。基本的に質問に答えてくれることがない。

知っていたのに、また聞いてしまった。

カポは1つも笑顔を見せることなく、鶏肉の下処理を続ける。


自分で試してみるしかないのだ。


====================================


「うーん、何もしないと、さすがに気になる。でもフライパンの中で潰すくらいなら大丈夫」


僕は今日はアンチョビについて考える日と決めて、さまざまな切り方に取り組んでみた。

パスタにしてみると、風味も少し違う。叩くとオイル全体にアンチョビが回るが、軽くつぶしたときの方が少しだけ上品な感じ。

あとは口に入れた時に感じる塩味も、若干だが違う。


「わかったかい?」

「うん、いろんなアンチョビで試してみるよ、今度はフィレじゃない、丸まんまの自家製で試してみる」

「そうか、今日はもう遅いから帰りなさい」


カポは僕の方を見ず、僕のパスタも食べずにそう言った。

いつもカポに食べて欲しくて、2皿分作るのに、だ。


======================================


「ただいまーーー」


家に帰ったのは18時ごろだった。


「おかえりーーーー!」


と、母が玄関まで駆けてきて抱きついてくる。


「あら、今日は一段とにんにくの匂いがすごいわね、ミニシェフ」

「ミニシェフって言うなよ、来年からは中学生だぞ」

「あら、京香、学校行くの?別に行かなくていいわよ、面倒くさいし」

「めんどくさいってなんだよ」

「だって、通うってなったら制服作らなきゃだし、PTAとかも参加しなくちゃでしょ?やだやだぁ、めんどくさいぃ」

「それが母親の言うことかよ、、、、」


僕は不登校だった。

学校に行かず、1日カポのところで料理の修行をしている。

そう。

遊びに行っているのではない、これは修行だ。


『こいつ、納豆食ってやがるぜ、くっせぇー』

『まじぃ?ありえないんだけどー』


いじめの始まりなど、そんなもんだ。

納豆に何の罪がある。

こんなにおいしいのに。


それからだ。

よくテレビとかで見るいじめは、ほぼほぼ受けた。

靴は隠されるし、ほうきで足を叩かれるし、背中になんか張られるし。

一番酷かったのは、余った給食の残りの納豆を、僕がトイレに行っている間に、机とランドセルの中に詰められたときだ。

教科書もノートも、全部ダメになった。


そんなことが、小学校4年生の後半から、5年生になってクラスが替わっても続いた。

そして、学校に行かなくなった。


その時、母が真面目くさった顔で言ったのだ、


「なんで無理して学校行ってんの?いじめられてても楽しいことがあるの?」

「なんにもないよ、楽しいことなんて」

「じゃぁなんで行ってんの?」

「行かないとダメだから」

「あれ、うちの息子ってもうちょっと賢いと思ってたわ、ごめんごめん、、ミスったわ」


そう言われて、僕はキレた。キレて泣きながら母親を殴った。


「ごめんごめんって。だってそんなに虐められてるのに学校行くからさ、好きな子でもいるのかなって、ミスミス、すまんね」


そう、僕のお母さんはちょっとおかしい。

見た目もそこそこ綺麗で、東大を出たにも関わらず、どこにも就職しないで高卒の冴えない父と結婚した。そして専業主婦をするぐらいにはおかしい。

ちなみに二人は、アイドルファンだった父が東京で開催されるコンサートに行った際、母の方からナンパしたらしい。狂ってる。


「なんだよー楽しくないなら普通いかないだろー、お母さん悪くないー。もっと柔軟に生きろよなー、常識に縛られるなよぉ」


いや、悪いよ。

もっと守れよ息子のこと。


そんなこんなで、学校に行かなくなったわけだが、同じくらいのタイミングでカポに出会った。

両親の結婚15周年のお祝いで店に訪れたのだ。


「なんだ、、、、、これ、、、、、、」


衝撃だった。

学校で食べる給食とも、母の手料理とも、まるで違う。

これが、、、料理、、、。


僕が感動しているのを見てか、両親がシェフを呼んだ。

厨房から出てきたのは、背の高い、外国の人だった。

僕たちの席まで来ると、何も言わず傍に立った。


1秒、2秒、、、、、何も言わない。


怖い怖い怖い。

緊張するし、、、それに両親もなんか温かい目で僕の方見てるし、、、、。

ナニコレ、僕が話すの?

お母さんじゃないの、、、?


沈黙が続く。

奇妙な状況に、しかし誰も話出さない。

僕が、話すしかない。


「、、、、ハロー、、、マイネー」

「日本語で大丈夫です」

「、、、、、、」


出鼻をくじかれた。

そうだよね。

日本で営業しているんだもんね。


「あ、、、、、あの、、、、、、とってもおいしいです、、、、」

「ありがとうございます」


あれ、これを伝えたかっただけなんだけど、なんでこのシェフ去らないの?

なんか、こういう時他に言わないといけないことがあるの?

マナーとか知らないよ、、、僕、、、、。


とにかく、何か話さなければ、と焦る。


「これ、、、、パスタですか?」

「ラザニエッテというものです、平たいパスタみたいなものですね」

「あの、、その、、、、ソーセージみたいな味がします」

「そうですね、正式にはサルシッチャといいますが、その通りです」

「普通のソーセージよりしょっぱくて、香りもあって、おいしいです」

「はい、そうですね」

「あと、これ、普通のピーマンじゃないと、、、、思うん、、、、ですが」


ああもう怖い、、、いつまで続くのこれ、、、なんかすごいこと言ってるし僕、当たってなかったらどうしよう、、、、。


「そうです。それはピーマンではなく、万願寺とうがらしという野菜です」

「とってもおいしいです。トマトとすごい合ってて、、、」

「ピーマンとは、どう違うと感じたのですか?」


なんか質問来たーーー!!

やばいよ、やばいこの店。

何、正解しないとお代増えるとかなの?


僕はお母さんに助けを求めるが、にこにこ笑ってる。

だめだこいつ。

わが子に迫る危機へのセンサーがへし折れてる。


「あの、自分で作ったナポリタンとか食べたとき、、、ピーマンが一番強く味を感じる気がして、、、、でもこれは、それに比べると弱くて、、、でも食べるとすごく甘いから、、、トマトの味を邪魔してなくて、、、あと、ピーマンとトマトの甘さと、ソーセージ、、、じゃなくて、、、」

「サルシッチャ」

「はい、、、、、サルシッチャの塩味と、その甘さが両方おいしくて、、、それから、にんにくの香りが、その2つの間にあって、それをこのパスタが包んでるような、、、あと、、、、」

「あと、なんでしょう」


絶対怒られる、100パーセント怒られる。

でも言わないと終わらない感じだ。

言うしかない。

ごめん、お母さん、お父さん、記念日を台無しにするかもしれない、、、。


「これ、、、なんとなく、お母さんが作るピーマンの肉詰めに、、、似てます」

「どこが、、、ですか?」


ほら怒ったよ、怖いよ、、、、。

目が青いもん、、、。青い!目が青いんだけど!!すごっ!


「優しい、、、味だから。なんかほっとします。嫌なことがあったときでも、食べたら少しだけ元気が出る感じがします、、、。しょっぱくて、甘くて、少し辛かったり、苦かったり、そういうのがぱぁって心に広がって温かくなる」

「この料理も、少しは君の嫌なことを消したかい?」


ん?

なんだ?

なんか少しだけ声が温かい。気がする。


「はい、おいしい料理をありがとうございます」


僕が頭を下げると、両親が急にぱちぱち拍手しだした。


「やっぱ京香は天才ね!お母さんに似たのね!!」


どうしたお母さん。

なぜ急にスタンディングオベーションしてるの?

他のお客さんもいるし恥ずかしいんだけど、、、。


「マウリツィオ、ご協力ありがとう」

「いえ、素晴らしい息子さんです」

「でしょー、この子いつもうるさいのよ。普段と醤油違うの使っただの、こないだよりしょっぱいだの、お米は魚沼産以外食べたくないとか、毎日毎日毎日、だんだんイライラしてきたから、もう今後はこの子に作ってもらおうと思って」


おい。雲行きが怪しい。


「知り合い、、、なの?」

「まぁねぇ、最愛ちゃんもいるから、最近は来れてなかったけど、常連よ常連。昔からの」

「で、これは何?」

「京香は、料理好きでしょ?いつもお昼自分で作ってるし」

「それはお母さんが寝てるから、、、」

「お父さんの前でばらさないでよ!!!」

「だったら、料理人になっちゃえば?って。どう?お母さんもうご飯作るの嫌なのよ、もともと家事嫌いだし」

「後半の理由がメインな気がする、、、、」


結局、それからだ。

僕がカポのお店に通うようになったのは。

カポは、何も教えてくれなかった。

だから、いつも見よう見まねだ。

本だけはお母さんが惜しみなく買ってくれたから、料理の本と、イタリア語の本をいっぱい買った。


何も教えてくれない。

だけど、毎日、お昼ごはんを食べさせてくれる。

いつもそのお昼ごはんは、僕が練習で使ったのと同じ具材だったり、同じ料理が出てくる。


正解を、行くべき方向を、いつもその料理が教えてくれた。


=====================================


「久々に昔の夢みたな、、、」


合宿2日目の朝である。

宿直室のベットの上だった。

いつもと違う場所で寝たから、そんな夢を見たのかもしれない。


「カポのあの、俺を見る青い目、、、あれトラウマなんだよなぁ、不味いの作っちまった、って思うし」


ただ、悪夢という訳ではなかった。

どこかすっきりしたような感さえある。

そう、喉につかえた小骨が取れたような。


「そういえば、1つだけアドバイスもらったことがあるな」


アンチョビの使い方について色々試していたときだ。


「気になる骨は、、、、取れ、、、、」


いろいろ試行錯誤した次の日、会った瞬間に言われた。

喉を抑えながら。


「なんだ、そういうことか」


ああ、弟子は師匠に似るもんだ。

カポがあの時から太り始めたのは、多分俺のせいもあるかもしれない。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る