第34話 いわしは小骨が多い⑪
「おいおい、死ぬ気で頑張るんじゃないのかよ」
夜の営業に向けて、カポは仕込みに入った。
座席のテーブルに突っ伏して寝ている少女の横顔は、幾ばくかすっきりしたように見えた。
キッチンに戻り、チョコラータ・カルダを飲む。
懐かしい味だ。
「少しぐらい休ませてあげなさい。それから京香は説教だよ。うちの従業員を傷つけたんだからね」
カポが声を抑えて言う。
「マジかよ、、、カポの説教とかいつぶりだ、、、こえぇんだよなぁ」
俺は幼少期のトラウマが思い返される。
「高校生なんて多感なんです。それに彼女はより一層だ。せっかく私が時間をかけて彼女の信頼を得ようとしていたのに、荒療治になってしまいました。全て京香のせいですよ、教師失格です」
「教師じゃねぇし、それにカポに言われたくねぇよ、俺なんて何回カポにぶちのめされたか」
「それはあなたが折れない人間だと知っていたからです。彼女は違います」
「そんな器用じゃねぇんだよなぁ、俺は人見て態度変えるとか無理。俺は俺だ」
「料理以外になると嘘ばかりですねぇ、京香は。あなたは人によって態度を変える人間だ。
真理愛、その名前が出るとは思わなかった。
「そういえば、瑠花ちゃんは、真理愛さんにどことなく似てますねぇ、雰囲気も性格も、それから身長が高いところも」
「似てねぇよ、真理、、、あっちの方がずっと綺麗だ」
「ほぉ、やっぱりまだ好きなんですねぇ」
「好きじゃねぇよ!クソくらえだあの女!それに、、、あいつとこいつは違うって、さっきこのガキが証明しただろう」
「そうですね。きっと若いからですよ。まだ取り返せるんです」
「だといいがな、俺は部活に戻る。くれぐれも!俺がさっきの話聞いてたことばらすなよ」
「はいはい、分かってますよ」
「わかってねぇよ、カポ、さっきばらしたじゃねぇか」
「何をですか?」
「ったく、このじじぃ、はやく引退しろ」
「京香がこの店を継いでくれれば考えますがね」
俺は手を振って、店を出ようとする。
「お兄ちゃん、部活戻るの?」
「ああ」
「美少女いる?」
「あーーー、、、、まぁいるな」
「連れてって!!!!!」
「まずはその盗撮をやめろよ」
最愛は、瑠花の寝顔をさっきから馬鹿でかいカメラで撮りまくっている。
「よし、これは後で瑠花様に送って許可取ろう。しうねぇも一緒に部活見学いこーよー」
「私はいいかな、、、、葉月ちゃんいるんでしょ?」
「そりゃな」
「私、あの子苦手、、、全て見透かされてる気がする、、、、怖いのです」
大人が高校生にビビるなよ、、、。
「まぁ、瑠花を連れ戻せないとなると、あいつ怒りそうだからな、身代わりだ」
「やったー、ラッキー」
「というか、お前、春にその帽子暑くねぇのかよ」
「これは最愛のアイデンティティなのです。美少女に一発で覚えてもらうための」
そういう理由なのね。中学出てすぐ海外行ったから、いまいち妹のことが掴めないのである。
「よし、じゃぁれっつらごー」
「、、、、、うるさい、、、、、馬鹿の妹、、、、むにゃむにゃ」
瑠花の寝言である。
「ねぇ、今のってさ、馬鹿なお兄ちゃんの妹ってことだよね?最愛が馬鹿ってことじゃないよね」
「知らない方がいいんじゃないか?あと、俺原付だから、お前はバスで来いよ」
「車の免許ぐらい取れやくそげぼはげ兄貴!」
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「まぁ、あいつが戻ってくるかどうかは知らん、以上」
「以上じゃないんですけど」
「まったく成果を出しませんね、この人は」
信頼がた落ちである。
「その代わりと言ってはなんだが、俺の妹が見学に来る。お前らと同い年だからこき使ってやってくれ」
「へぇ、妹さん!じゃぁ夜は一緒ね。で、どこに?」
葉月が目の上に手を当てて探す。
「俺は原付で来たが、あいつはバスだ」
「車持ってない男ってさ、それだけで恋愛対象ならないよね」
「葉月、お前高校生だろう。知ったかぶりするな」
「先生とデートするってなってもヒール履けないじゃーん」
「そんなもん履くな、なんで歩くための靴なのに歩きづらいの選ぶんだよ」
「うわぁ、モテない男が言いそうなこと第129位の意見だぁ」
うるさいよ。
日本の原付はすごいんだぞ。
東南アジアとか一回行ってみやがれ。
「ま、心配するな。わずかだが成果はあった。この件は先生様に任せとけ」
結局、最愛が後から乗り込んで来て、葉月に激絡みをした後、瑠花の件については俺の手柄ではないことがばらされた。
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夜である。
まずは1日の成果を見ようじゃないか。
審査員は俺と最愛。
「まずは葉月のボンゴレだが、、、、」
「おいっしぃいいいいいいいいいいいいいいいぃいいいいいなにこれなにこれ、あさりシンジらんないくらいぷっくりだし、じゅわって味染み出てるし、パスタにもうまみがあああああああああ、それからちょっとかかってるスープもおいしぃ、、それからそれから、何かスパイシー?というか複雑な香りというか、、なんだろう、あさりじゃない何かだ!しかもちょっと辛めなのもいい。さすが美少女爆乳料理人!!!」
うるさいよ。
テレビの食レポよりうるさいよ。
なんなのこいつ。よだれたらしながら、葉月の方みてパスタずるずる吸ってるよ、怖いよ。おにいちゃん、妹の性癖が心配だよ。
「オリーブオイルと唐辛子を変えた。オリーブオイルは重めの物にして、その香りを加えた。にんにくも唐辛子もイタリアの辛いやつにしたな。まぁ結局、超ド直球のボンゴレにしたわけだ」
「はい、ダメでしょうか」
「いや、これで行こう、美味い。だが、まだ甘いな。もっと頭の根本から考え方を直さないといけない。シンプルだからこそ、シビアに攻める必要がある。あさりは本当にこれが限界か?もう1個も入れられないか?煮詰めもこれが限界か?」
葉月は少し苦い顔をして、
「そこまでできていませんでした」
「うん、このパスタは1口目で客を圧倒するんだ。最初に感じる旨味が、相手の想像を超えてなくちゃいけない。限界まで引き出せ。あと死ぬ気で作りまくれ。調理のリズムを体に落とし込むんだ」
「はい!!」
よし、葉月はおおよそクリアだな。
店で出せるレベルではない。なぜなら、葉月はこの1皿に全霊をかけてるからだ。
何皿も、オペレーションの中で作ることは無理だろう
だが、今はまずその1皿を完璧にすればいい。
だから、後は体にしみ込ませる。
「廉太郎は、、、、まぁいいや」
「いいやってなんですかやるきあるんですかわたしも逃げますよいいんですかそれで」
目が据わっていやがる。
根を詰めすぎたな。
怖い怖い。
「俺に秘策がある、、、ふふふ、ははははっはははっはははは。博打って興奮するよね」
「博打ってなんですか何する気ですか!」
「いいやぁ、まぁ、俺と葉月で2勝すりゃいい話だし、勝ったらラッキーってことで」
「ますます訳分からないのですが、、、、」
「廉太郎、お前はまだ分かってないんだよ。俺が美味いという基準が。ぶっちゃけこのバローロ煮込みだって良い。普通の人の意味で言うなら美味しい。店で出てきても金は払う。でもな、この料理にお前はいない。自分の信念がないから、作るたびに味がぶれる。自分の中に基準がない。葉月のボンゴレだって、言っちゃえば普通だ。だけど、この1皿は間違いなく葉月だ。仮に10皿、ボンゴレが並んでも、どんな季節のあさりを使おうと、俺は絶対に見つけられる、葉月を」
空気がしーんとなる。
最愛でさえ、きょとんとして俺を見ている。
え、何、ちょっとガチった瞬間に引くのやめてもらえる?めっさ恥ずかしいんだけど。
本気出しすぎた?
それに葉月なんかちょっと顔が赤くてもじもじしてるし。
「先生、、、、それって告白ですか、、、、?返事はちょっと待ってもらえるとありがたいと言うか、、、、やっぱごめんなさい、葉月もうちょっと他の男も見てみたい、、、」
「おい、勝手に告白したことにして勝手に振るなよ、しかもなんだその最低の理由は」
「お兄ちゃんってさ、キモイ」
え、、、、、。
キモイ言われましたが、実の妹に。
「キモいわぁ、まじキモい。寒気してきた。せっかくの美味しい料理が台無し」
「え、、、さすがに傷つくよお兄ちゃん、ごめんね、何が悪いのか分からないけどごめんね」
「分からないのに謝んないでくれる?」
小難しい妻みたいなこと言ってるよこいつ。
結婚したことねぇけど。
「葉月、食べられちゃった♡」
1人、くねくねしてる馬鹿は置いといて、さっさと残りを食べちまおうと思った。
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「星だぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
最愛が叫ぶ。
「ほんとに星見に来ちゃったよ。午後9時だけど、ってかまだ寒いな」
学校の屋上である。
4人で星空でも見ようと提案したのは、廉太郎だった。
「気持ちいいものですね先生」
「余計なこと提案しやがって。お前、なんなん?」
「こういう合宿とかイベントが好きで。本当は肝試ししたかったんですけね、それはまた、瑠花さんがいるときにしましょう」
「お前は本当、見た目と中身にギャップがあるな」
「そうでしょうか?」
「カラオケとか好き?」
「はい、私は必ず一番最初にアメリカの国歌を歌って場を盛り上げますよ」
「せめて日本の国歌にしてくれよ、、、」
廉太郎がパーティーピーポー系であることが判明した。
「廉太郎さん、UFO呼びましょう、UFO」
「いいですよ最愛ちゃん、盛大に呼びつけましょう!」
最愛と廉太郎が両手を繋いでくるくる高速で回り始めた。
「「ベントラー、ベントラー、スペースピープル!ベントラー、ベントラー、スペースピープル!!」」
「こいやぁ!UFO!」
「私をいざ、宇宙の彼方へ!!!!」
思春期で同い年なのにこいつら、手繋ぐのとか恥ずかしくないの?
それにさっき会ったばかりよ。
お兄ちゃんまた心配。
それから廉太郎は許さん。
「せーんせっ」
「おわっ!」
ほっぺに熱いものが当てられた。
「なんだコーヒーか、ありがとう」
「いや、素直に受け取らないでくださいよ、先生が奢るべきシチュエーションなんじゃないですかぁ?」
「俺は気が利かないんでね」
「それに、なんだってなんですか?チューだと思ったんですか、チュー」
「俺のほっぺはそんなに安くねぇよ」
「葉月の唇だって安くないんですが」
葉月と並んで、馬鹿二人を見る。
「先生、本当に分かるんですか?」
「何が?」
「数ある同じ料理の中から、葉月の」
ああ、その話ね。
「分かるよ。俺の舌は偉大だからな」
「いつか本当に試しますからね」
「どんとこい」
そんな時があるのだろうか。
でも、そこには絶対の自信があった。
「料理とクラシック音楽って似てるんだ」
「いきなりなんの話ですか?先生ってクラシック音楽とか聴くハイソでしたっけ?」
「おお、お前はハイソ分かるのか、瑠花とはちげぇな」
「で、それがなんです?」
「レシピと楽譜、それに多くの人が従っている。経験も研究のように蓄積されていく。それでも、個性がある」
「ああ、少女漫画の話みたいな?」
「そうだな。で、だ。お前の料理はさ、あるピアニストの演奏にすごく似てるんだ」
それは、奇しくもカポと同じ名前を持つ、イタリアのピアニスト。
「完璧な技術と、冷徹なまでの正確さ。機械的と揶揄されることもある」
葉月は静かに聞いていた。
「そうだな、なんというか氷で出来た建物を見てるような気がする演奏なんだ。でもさ、演奏が冷たければ冷たいほど、自分が暖かみを持った人間であることを痛感する、そんな感じだ」
「それが、、、葉月の料理と?」
「お前はさ、口は達者で、ふざけたことを言うけど、本当は違う。きっと精神が早熟なんだろう。自分を徹底的に抑え込んでる。その我満して、ぐっと堪えているような体の震えが、食材っていう氷壁の向こうに感じる。それが凄く良い。食材を立てながら、自分を殺している」
「自分を殺したら、廉太郎君の料理と一緒なんじゃ?」
「それが違うんだなぁ。食材が勝手に立つのと、立たせるのは全く違う。そして、お前はどこかで期待してるんだ。この押し殺した自分、1皿の中で消えてしまった自分を、感じてくれって。消したのは自分なのに、感じて欲しい。その相反する思いが、震えて聞こえる」
「やだ、、、なぁ、、っ、。恥ずかしいこと言ってますよ、先生」
「お前、これ恥ずかしがってたらやってけねぇぞ、ワインもしかり、こういう言い回しはこの世界だと普通だ」
葉月はやおら立ち上がって、
「、、、、私もベントラーしてきます!!」
そう言って走ってった。
快晴の春の夜空。
まだ寒い屋上で1人立つ。
「「「ベントラー、ベントラー、スペースピープル!!!」」」
UFOが飛来するような衝撃的なことが、あの頃の、あいつらの年の俺にはたくさんあった。
刺激的で、濃密な日々。
「若いって、いいねぇ」
俺は少しの疎外感を覚えながら、缶コーヒーを飲んだ。
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