第33話 いわしは小骨が多い⑩
わたしは走った。
国分町からラブホ街を抜け、広瀬川まで。
川に沿うように公園が奔り、そこにはなぜか古いSLがそのままに展示されている。
わたしは階段を登り、その運転席に座った。
狭い、二人ぐらいが限界のその空間の中で、わたしは泣いた。
『葉月、最初から火強いと、ニンニク焦げるよ』
『廉太郎くん、今日の唐辛子、ちょっと辛いかも』
『パスタ上げるの、早めにね』
わたし、何を偉そうにしてたんだろう。
他二人より全然できないのに。
マウさんのとこのバイトだってそうだ。
最初はバイトがない日も練習にいっていたのに、毎日先生にダメだと言われ、行く気がなくなり、ここ2~3日は行ってない。
マウさんだって忙しい、それに楽しく会話する友達だっている。
そもそもわたしの居場所ではなかった。
学校にだって、もう行きたくない。
『ゆえに、高校に入りましたら、調理科なんですけれども、一所懸命に努力することを誓います!!』
そう友人二人に誓った。
推薦で決まっていた学校を断ってまで受験したのだ。
中学校の先生にも迷惑をかけた。
推薦を断るというのは、学校の信用にも関わるそうだ。
調理科を受験する2月までは、この短い人生で一番、やる気があった。
落ちる気なんてまるでなかった。
受かった後に何をしようか、そればかりを考えていた。
それも、たった1か月でこの様だ。
でもしょうがない。
これがわたし。
あんな両親の下に生まれ、愛されなかったから。
だからわたしはこんなんなんだ。
それから、先生だって悪かった。もっといい先生なら頑張れた。
そうだ。
違うことをしよう。
ぜんぜん、違うこと。
だってあいつだって言ってた、自分の居場所を探せって。
だから、見切りをつけよう。
そうして気持ちを切り替えたとき、SLの外の階段を登る足音があった。
「あ、どもー」
戦争中の飛行機乗りみたいな帽子を被った、同い年くらいの女の子だった。
わたしは急いで涙を拭って、
「、、、、ここどうぞ、、、イダッ!!」
と運転席を立った途端、頭頂部を天井にぶつけた。
「あわわわ!大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫、はいどうぞ」
「あ、
どういうことだろう?恰好から見ても、なんだろう電車オタクとか乗り物オタクなのかと思ったけど。
「あの、、、非常に言いづらいんですけど、、、連絡先交換してください!!!」
は?
ナンパ?
女の子が?
「あのあのあのあの、
「最愛ちゃん、違うでしょ」
その時、背後からもう1人、今度は大人の女性が運転室の入口に立った。
「そ、そうでした。あの、非常に言いづらいんですが、最愛はですね、あなたの顧問の妹なのです、、、」
あいつの?
妹がいたのか。
それがなんで、、、。
というか最初の美少女ソーランってなに?
「ごめんなさいね、さっき、あなたお店に来たでしょ。で、マウさんが気にして追いかけてくれって。ちなみにマウさんも向かってきてるけど、遅いから置いてきた」
「あー、そういうことですか。それならほっといてください」
初対面の人に失礼だとか、考える余地は今のわたしにはない。
わたしはまた、運転席に座った。
「一応さ、わたしも関係者。
「そうなんですね。先生の大人のお友達ですか。名前、気を付けた方がいいですよ、葉月にはバレました」
「ちゃ、ちゃうわ!大人のお友達ちゃうわ!」
「しうねぇ、エセ関西弁出てまんがな」
そうか、この二人がさっきマウさんのとこにいたのか。
先生の友達と妹。
マウさんの店に先生の関係者がいるなら、なお行きづらくなった。
それに、こいつらうるさい。
1人になりたいのに。
もう頭の許容量は限界だ。
だんだん、ぼぉっとしてくるのを感じる。
「、、、、マウさんが、、、、心配、、、、、、、それから、、、、あいつは、、、、じゃなくて、、、、、、きっと、、、、、、、、だから、、、、、信じて、、、、、、」
「、、、、、、そうなん、、、、、、です。馬鹿、、、、、、、、、ど、、、、、、じゃないから、、、、、、、、、、、、して、、、、、、、、、、てみて、、、、、、さい」
うるさい。
うるさい。
何も、言葉が入ってこない。
これはあれだ。
昔、父親がまだ少しわたしに期待を残してたころ、怒られ続けて、そのうち何も聞こえなくなった。言葉が崩れていく感じ。
そして、痒いところが掻けないような、もどかしさと苛立ち。
「、、、、、、、、、、、、、、、だから、、、、、、、だじょう、、、、、、ね」
「きっと、、、、、、、、、、、、、です。、、、、、、、、、、、、、、ましょう?」
うるさい。
うるさい。
わたしをこれ以上責めるな。
あいつを庇うな。
こいつらはわたしの味方じゃない。
「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」
「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」
その時、わたしの頭の中でぷつんと何かが切れた。
「わあああああああああああああああああああああああ!!うるさいうるさいうるさいうるさい!!!!!!!!!!!!!あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!どっかいけええええええええええええええええええええええええええ!!」
その咆哮が自分の口から出ていることは、客観的に分かった。
でも、止められなかった。
涙が、声が、止まらない。
いつまで叫んでいただろうか。
心配そうに近づいてきた彼女らの手を払いのける。
最後に見えたのは、怯えながら、心配そうにちょっと距離を置いて見る、二人。
蔑むな。
あれは変な奴を見る目だ。
みんなどっかいけ。
みんな、みんな。
なんで、、わたし、、、は、、、。
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目が覚めた時、まず最初に感じたのは匂いだ。
「ホットチョコレート?」
甘い匂い。
それに湯気が立っている。
「それはね、チョコラータ・カルダ、だよ。まぁイタリアのホットチョコレートだけど、ちょっと違うんだ」
わたしは状況整理はまず置いて、その飲み物を飲んだ。
「甘すぎなくて、トロトロしてて美味しい、、、」
「そうだろう?落ち着きたいときはその飲み物に限る」
わたし、多分気絶したんだ。
叫びすぎなのかな、、、。
久々にあんなことになってしまった。
店に客はいない。昼営業が終わったんだろう。
コーヒーを飲む客用のソファに寝かされていた。
一度気を失ったことで、少し冷静になった自分がいた。
「二人は?」
「あっち」
マウさんが指さすと、キッチンの奥から心配そうにこっちを見ている。
「あの二人が作ったんだ、それ。私のレシピで」
そうなのか。
わたしはもう一口、その飲み物を飲む。
もうちょっと。
そう思ったのは、あの日のアクアパッツァのとき以来だ。
わたしは立ち上がり、二人に向かって頭を下げる。
「先ほどはすみませんでした、取り乱して」
二人は互いに顔を見合わせて、
「よかったぁ、、、ごめんなさい。矢継ぎ早に話してしまって」
「最愛も、ごめんなさい。美少女に嫌われるのこわいよぉ」
「嫌わないよ、大丈夫」
「え、じゃぁ友達になってくれる?」
「友達は、、、、どうだろう?」
「うわーーーん、やっぱ最愛嫌われてるぅーー!」
やっぱりうるさい2人。
でも、今は大丈夫。
「落ち着いたかい?」とマウさん。
「はい、、、ご迷惑をおかけしました」
「迷惑じゃないさ」
わたしは、自分の手をぎゅっと握る。
「マウさん、、、わたし、料理やめます。お店にももう来ません」
「そうか。わかった」
あっさりだ。
それだけ、わたしの存在は薄いということ、マウさんだって。
わたしの居場所は、どこにもない。
誰でもいいから、わたしのこと、愛してほしい。
誰でも、、、いいから、、、。
「それならあいつにも言っとかないとですねぇ。これから食費だけは確保しろと」
なんの話だろう。
意味が分からない。
「最近、誰かが残飯出さないから、腹減って死にそうって言ってましたからねぇ」
残飯?
そういえば、、、。
フランス料理研究部のやつらに宣戦布告された日、わたしと葉月が女子会をした日。
廉太郎君に悪いと思って、昼休みが終わる間際、部室に行ったのだ。
廉太郎君は洗い物を終えて、教室に戻るところだった。
「先生、今日は珍しく昼に来ましたよ。お金使いすぎて昼飯がないと言って。いつも放課後しか来ないのに。まぁダメとしか言われなかったですが」
まさか。
「いつも閉店後に来て、ぶつぶつ言ってましたよ」
練習で作りすぎた分は、次の日食べるからとマウさんが言って取っていた。
それをあいつが?
「彼はね、誰よりも料理の世界が怖いことを知っているんです」
聞かないこともできた。
ここはもうわたしの居場所じゃいから、飛び出したってよかった。
でもマウさんの優しい声は、どこか逃げられないような力もあった。
「毎日、毎週、毎月、毎年、何十年努力しても、たった一口で評価されます。十数分で作った料理が、一瞬で。それを毎日、何人にも。評価の連続。酷評されることも珍しくないです。それにあの学校は、私みたいな料理人を育成する場所じゃない。一番過酷なところを目指す場所です」
そう、覚悟していたはずだ。
本当に?
わたしは本当に覚悟していた?
人生を変えるつもりじゃなかったのか?
「きっと彼も、その辺の調理科なら、普通にやっていたのかもしれません。学生が作ったものを美味しいと言い、少しアドバイスをし、その辺の店で働いても恥ずかしくない人材を出す。それぐらいなら、優しくする余裕があります」
あいつは、真面目なのか。
テキトーにやればいいのに、そんな学校の方針に従っていると?
「学生の指導をするのも、料理をするのも、彼の本望じゃないのは認めます。でも、彼は手を抜いている訳じゃない。私は彼を小さいときから知っていますが、料理に対して手を抜いたことは一度もないと、はっきりと言えます」
ならなおさらだ。
あいつがテキトーなら、わたしもなぁなぁでいられた。
でも今のわたしは、そんな場所に居られない。
「怒られるのを承知でいいます。また、あなたを追い詰めると分かって、言います」
マウさんの青い瞳。
怖い。
直観的に思った。
マウさんは優しい人だ。
でも、その優しさは後から手に入れたものなのかもしれない。
底のない怖さが、その瞳にあった。
「あのクリスマスの日、彼が言った言葉を、あなたは誤解しています」
『ありがたく聞け!人の家のことに口出すのは嫌いだがな!アクアパッツァではチダイの方がうめぇ。真鯛よりどんなに安くても、劣ってると思われても、それは俺の中で、俺の技術の中では間違いねぇんだ。姉より劣ってる?くだらねぇよ。それはお前の家の中だけの話だ。魚料理は刺身だけじゃねぇんだよ。自分で勝てねぇなら、周りを使え、環境を変えろ、死ぬ気で探すんだよ、自分が幸せになれる場所を、、、、!ああ、もう、くそが!!』
「幸せになれる場所を探すんです。幸せにしてくれる場所を探すのではない。分かりますか?自分で決めて、その場所に居続けられるように、不断の努力をするのです。あなたが周りに何も与えなければ、誰もあなたに与えない。チダイも、その全身を使って、スープに旨味を与えています。他の食材がそうしているように」
分かっていた。
その例外は両親だけ。両親だけは無償の愛であるべきだ。
それが得られなかったわたしは、その役割を他に求めていた。
でも、分かっている。
誰も、わたしの両親ではない。他人だ。
他人と一緒にいるためには、他人の中に居る自分として幸せになるためには、わたしから何かを与えなくてはいけない。
「頑張れなくても、挫けても、やる気がなくても、面倒くさくても、そこが自分の居たい場所なら、しがみつきなさい。きっと手を差し出してくれる人がいます」
変わりたい。
わたしは、変わりたい。
もう嫌なんだ、両親のせいでとか、この家だからとか、こんな自分だからって考えるのは嫌だ。もう疲れてしまった。結局はそうやって両親に依存していることに。
「わたし、、、、はっ!頑張りたい、、、でも、頑張れない、どうしたらいいか、分からない、、、」
一生抜けない泥沼に、沈みもせず、浮きもせずいるようなわたしの人生。
「助けて欲しい、、、でもそれじゃいけないのも分かってる、、、努力しないと、価値を与えられる人間にならないとって、、、、でも、、、心が、、、、ついていかない、、、、」
なんでみんな簡単に頑張れるんだろう。
なんでそんなに、自分ならできると思えるのだろう。
なんでそんなに、生きるのが簡単そうなの?
「難しい話じゃない」
「難しいよ!!!簡単なんかじゃない!!ずっと、ずっと、、、」
難しくないなんて言われたくない。
こんなにどうしたら良いか分からないのに。
「人生なんて、おっきく考えすぎています。誰もそんなところから始めてない」
じゃぁどこから。
「彼がダメと言ったら、ダメなんです。でも、彼がいいと言ったら、本当にいいんです。料理に対して、彼は絶対に嘘をつかない。裏も表もない」
「だからわたしはダメだって、、、!」
「だったら、まずは1日、死ぬ気で頑張りなさい。死ぬ気で頑張ったことありますか?それで彼に美味しいと言わせなさい。その言葉を聞いてから決めるんです。自分が料理を好きか、その場所に居続けたいか」
わたしは、人の誉め言葉を素直に受け取れない。
いいと言われても、お世辞だと思ってしまう。
でもあいつは違うのは分かる。
きっと、葉月の料理はよくて、わたしの料理はダメ。それは事実なんだ。
だから、、、
「死ぬ気で、おいしいと言わせなさい。そこから君の人生が始まるんです」
死ぬ気で、頑張る。
1日、死ぬ気で。
「、、、、、、、、、、、ぐすっ、わたしマウさんのこと嫌いになった」
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