第18話 ブロッコリーは腐りやすい⑦

「俺がシェフの、柳澤勇やなぎさわいさみです」


出てきたのは、余りに若すぎるシェフだった。


「エミールじゃないのか」

「僕がなぁんだって?兄貴」


エミール・白鷺が、タイトな黒いスーツを着て、シェフと名乗った少年の裏から出てきた。

金髪を短くした、それでいてどことなく親近感の湧く雰囲気を纏う好青年。


「エミール、、、久々だな」

「久々ですねぇ、兄貴。心配してましたよぉ、あんなことになって」


白々しいやつだ。

狡猾ではあるが、こう嫌な雰囲気を出す人間ではなかったはずだが。


「料理はどうでしたか?」

「美味いよ、めちゃめちゃ。お前が監修してる割にはオーソドックスだが、丁寧だ」

「そうでしょう。これはね、ここにいるシェフ、勇が作ったんだ。彼は来年の春にうちのルメール調理師高等学校食文化創造科に入学予定の中学生だ」


中学生だと?

でも、ありえないことではない。

創造的な調理でないなら、求められるのはアイデアではなく、丁寧さ。

それならば学生だろうがプロだろうが関係ない。

だが、オーソドックスな料理であればあるほど、経験値がものを言うのもまた真実だ。


「勇くん、だったね」

「はい」

「ビスクのソフリット、ああ、フランスだとミルポア、かな?あれは素晴らしい処理だった。それで聞きたいんだが、牛の赤ワイン煮込みに使ったのは別のミルポワだね?」


煮込み料理にも、玉ねぎ、にんじん、セロリのみじん切りを炒めたものを使う。

ただ、


「はい。煮込みに関しては、仙台牛の味を邪魔しないよう、玉ねぎだけにしました」

「うん。悪くない判断だと思うよ」

「ただ、それも入ってきた肉の状態によって変えます」

「それが分かると?」

「はい」


俺は、椅子の背に深く体を沈めて、考える。


「勇くん、君は勉強は得意?」

「一応、中学は受験しました。一華いちか中学校です」

「頭いいね。それで調理系の高校に進むって、かなり特殊でしょ?」

「はい。勉強にはついていけなくて、そこで出会ったのが料理です」

「なるほど。宿題は必ずやるタイプ?」

「ええ、、、出されたものは、、」


若きシェフは解せないという顔だ。

なんでそんな質問をするのか、と。


「おいおい、兄貴。癖は抜けてないみたいだねぇ」

「お前こそ、らしくないことしてんじゃん」


俺とエミールが目線を合わす、その横で紫雨音が口を出す。


「ちょっと、どういうこと?置いてきぼりなんだけど!」

「簡単な話さ。料理が好きな、真面目な少年に、こいつは徹底的に数品だけ作らせ続けた。それだけの話だ」


そう。

そういうことだ。

いつからかは分からないが、毎日同じ料理を作らせ続ける。ただひたすらに。

そうすれば、優秀な学生であれば食材の変化に気づき、同じように作っているのに完成品の味が違うのはなぜか、その疑問を突き詰めようとする。


「それって悪いことなの?」

「いや、むしろ良いと思うよ。料理の基礎だ。だが、エミールらしくないってだけだ。お前、そういうの一番嫌いだろ」

「人間はね、自分と同じ失敗を後から続く者にしてほしくないと思うものだーよ、兄貴」

「失敗?はっ、笑わせんな。一ツ星シェフが」

「三ツ星じゃなきゃ失敗だーよ」


相変わらず、向上心はある奴だ。


「まぁいい。若い才能を感じさせてくれてありがとう。それで、本題に入ろうか」

「そう怒らないでよ兄貴、僕だってやむを得なかったんだ」


どの口が言う。

脅しみたいなことしやがって。


「俺に何を求めてる?何をしたら、あの写真だのなんだのはポケットにしまってくれんだ?あ?」

「決まってるじゃぁないか、料理だよ料理」

「は?なんで?俺が料理を作って何のメリットがある?」

「このままだとさーあ、張り合いがないんだよねぇ、そしてそれは困るわけでしょ、紫雨音さん?」


ん?なんでここで紫雨音が出てくる?

俺が紫雨音の方を見ると、観念したといった感じで、


「県は、県の食材を全国に、世界に広めたいと思っている。そしてそれは農水省でも同じ。私がこっちに来たのは、その政策を行うため」

「それと俺に何の関係が?」

「来年から、全国の調理師養成学校協会主催で調理の全国大会が開かれる。そこでこの県は優勝したいって訳。スポンサーも大手がついて、テレビ中継もある。だから、少子化にも関わらず、来年には市内にもう1校、調理科を増やす。卒業生には年数制限はあるものの、開業する場合の資金援助もある。まぁ地元農家と提携するみたいな縛りはつくけど」

「まぁ、ありそうな話だな。あれだろ調理版甲子園みたいなのに仕立て上げたいんだろ?」


紫雨音は頷きつつ、


「インバウンドも増えてきている。世界に名を轟かす名店をいくつ生み出せるか。そのための人材育成。そこで白羽の矢が立ったのが、エミール・白鷺。彼はルメール調理師高等学校のオブザーバーとして協力してもらってる。知名度もあるし、全国から学生も呼べてる」


頷ける話だ。

要するにどこに金を振り分けるかって話だ。

そしてこの県は食に振り切ったと。


「そして、新設される調理科は、青葉せいよう学園高等学校調理科。ある人の推薦で学園はあなたに声をかけようとしている」


そんな馬鹿な話があるか?

リスクがでかすぎる。

俺は少しづつ、動悸がしてくるのを感じた。


「委細承知だよ、紫雨音。ありがとうな、お前がその声掛けとやらを引き受けて、止めてるんだろ」

「ごめん、こんな形で、、、」

「いいよ、いずれにせよ断わるだけだ」


俺は調理の世界になど戻らない。ましてや育成など。

その決意を新たにした間際、やはりエミールが、


「まぁ、そんな尚早に決めないでよ、兄貴。僕がしたかったのはそんなことじゃないんだ」

「じゃぁなんだよ」

「勝負をして欲しいんだ、彼と、料理の」

「あ?もっと意味わかんねぇよ」


なんで俺が、この中坊と?

まったく理屈が分からない。


その時、エミールがいさみと言う少年の背を押した。


「高良京香さん」

「なんだ?」

「びびってんすか?俺に負けることに」

「ビビるも何も、別に負けたっていいし、負けた方が未来のためだろ」

「いつまでうじうじしてんだよ、あの子を救えるのはあんたしかいないのに」

「は?また何の話だよ一体」


俺はこれ以上付き合ってられないと、紫雨音に目配せして席を立つ。

お代なんてまだ後日こっそり払いにこよう。

そう思った矢先、すれ違いざまだった。


「まぁ、のシェフに負ける気しないっすけど」


人殺し。

人殺し。

人殺し。


『人殺し!!あんたのせいで、あんたのせいで、この子は死んだんだ!』

『できないなら、最初から言うなよ。あんたはこの世で最低の、一番最低の人間だ』

『私の全てを、返してよ』


脳裏にこだまする絶叫。

立ち尽くす自分を俯瞰している。


ああ、そうだ。

俺は逃げていた。あのことから。


呼吸が、うまくできない。

苦しい。

頭が軽く、地面がぬかるんだようにぐらつく。


「京香、京香!大丈夫?ねぇしっかりして!!」


いつの間に俺は床に寝ているのだろう。

帰りたい。

こんな場所には少しも居たくない。


「ごめんなさい、ごめん、、なさい、、、ごめんなさい」


俺には謝ることしかできなかった。

酸素が肺に入ってこない。

それでも、その言葉だけは言い続けなければいけなかった。

霞む視界の先の、あの人に向かって。


「ごめんなさい、、、ごめん、、、なさい、、、ごめん、、、、ごめん、、、、真理愛マリア


そのまま俺は店の中で意識を失った。





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