第16話 ブロッコリーは腐りやすい⑤
エミール・白鷺。
俺の1年後輩のシェフ。
「まぁそうだよな」
メモ紙に書いてあった住所には料理店があった。
場所はカポの店と同じく国分町の少し端の方。
県庁や市役所も近く、ランチにも良い立地だ。
店名は、
『UN ANGE PASSE』
「どういう意味?」
と、紫雨音が。
「天使が通る、だな。こう、みんなでワイワイしているときに一瞬、同じタイミングで静かになるときあるだろ?」
「ああ、飲み会とかで笑っちゃうやつね」
「あれのことだ。あいつは昔から、美味しい料理を食べた瞬間の静寂が好きだっていってたからな。どんなにワインを飲んで盛り上がってても、俺の料理を食べたら静かになるって話」
「おっしゃれー」
住所で店の名前は出てきていた。
ただ、そのコンセプトは少し独特だ。
近くの高校の食文化創造科の学生がアルバイトとして調理に関わっている。
その分安価で、しかし高品質な料理を提供する、と。
学生を労働力として扱うことには疑問もあるが、まぁ実地研修も兼ねているということだろう。
そして、エミール・白鷺は店のオーナー兼、学校のオブザーバーということだ。
「入るぞ」
「、、、、うん」
まるで罠の仕掛けられたダンジョンに入るような心持ちで、店がある地下1階への階段を下っていく。
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店の雰囲気といえば、地下にしては明るく、観葉植物がうまくテーブルとテーブルの間を仕切っており、プライベート空間の感じも演出している。
「女性が多いな」
それに、どちらかと言うと派手目な女性が多い。
あとは同伴出勤の2人組や、デートと思しきカップル。
席に案内され、メニュー表が渡される。
「私どもの店では、ハーフコースとアラカルトをご用意しております」
若い店員が慇懃に言う。
「フルコースではないんだね?」
「ええ、手軽にフレンチを、というコンセプトでございます」
「そうか、そしたらハーフコースでいい?」
「ええ、ええ」
紫雨音は少し緊張した面持ちで頷いた。
食前酒のキールを飲みながら、周りの雰囲気を再度確認する。
このエリアにもフレンチ料理店は何店舗かあるが、おおむねフルコース(6品~13品)の店舗が多い。
それに比べれば、短い時間、低価格で楽しめるため、やはり若い人間が多い。
それに近くにはキャバクラや風俗店も多いから、その客層が反映されているのだろう。
ハーフコースは、前菜とメイン、それからデザートというシンプルな構成。
前菜は「タラのブランダードのカナッペ」と「ビスク」、「季節のサラダ」だった。
「、、、美味しいな」
甲殻類のスープであるビスクを飲みながら、驚嘆する。
レベルが高い。
決して創造的な料理ではないが、基本に忠実である。
特にビスクに関しては、、、
「ねぇ、京香、どう?」
「うん、ビスクは甲殻類からどれだけ旨味を抽出するかが美味しさにつながるんだけど、もっと大事なのは、玉ねぎ・人参・セロリだ」
「玉ねぎ?」
「ああ、シェフによっては入れないこともあるが、これはしっかりとそれら香味野菜の味が出てる。大事なのはカットの方法だ」
「切り方ってこと?そんなので味が変わるの?」
「変わる。イタリア料理にもソフリットっていう、その3種の野菜を使った旨味のベースがあるんだが、適当に切ると水っぽくなって、料理の輪郭がぼやける。これは違う。しっかりと野菜の繊維を潰さないように、1切り1切り、丁寧に切られている。フードプロセッサーじゃない」
「それって大変なんじゃ?」
「ああ、この人数分作るとなると、おそらく学生の多くがこの作業をしているんじゃないか?だが、それにしてもレベルが高い」
また一口、スープを飲む。
炒めた海老の香ばしさ、それだけだと口の中を上滑りしていく。
きっちりとその背後に香味野菜のベースがあるから、料理の屋台骨がしっかりしている。
「もうひと手間、少し変えれば星付きで出てもおかしくない」
それが素直な感想だった。
結局メインの「仙台牛の赤ワイン煮込み」も、同様のクオリティであった。
「ねぇ、京香、怒ってる?」
「あ?なんで?」
「わかってるでしょ、、、私が京香にもう1度料理してほしいって思ってたってこと」
そう思ってたから、その可能性がある手紙を捨てられなかった。
「あーーーー、別に?そりゃニートよりは料理の世界に戻った方がいいと思うのは当たり前だ」
「それもあるけど、、、」
「それに、お前は別に無理強いしなかったろ?それだけで十分だ」
「、、、ありがとう」
「だが、お前はまだ何か隠している気がするがな」
「やっぱり分かる?」
「分かるに決まってんだろ。お前は4月に仙台に来た。だがこうして本当に会いに来たのは12月。何かあったと思う方が普通だ。普段は俺の家の周りでうろうろしてるだけなのに」
その一言に、紫雨音がナイフを落とす。
慌てて周りにぺこぺこ謝りながら、
「知ってたの!?」
「知ってるし、お前こえぇよ。たまに玄関のノブに弁当置いてってたろ?夏場でも構わず」
「、、、、、、、、。」
「どこの誰が置いたかもわかんねぇ弁当食うか?」
「ちゃ、ちゃんと手紙書いたじゃん!」
「名前が書いてねぇんだよ、名前が、おっちょこちょいヒロインかお前」
「あ、、、、、、、、、、」
「まぁ、筆跡で分かるけど」
「筆跡で分かる方が気持ち悪いんですけど!!!」
いつの間にか2人とも声が大きくなっていたのか、店員が咳払いをして、
「ご歓談中のところ申し訳ございません。シェフがご挨拶したいと」
来た、と思った。
俺たちは食事をしに来たわけではない。
俺は背筋を伸ばして、奴を待った。
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