第8話 ニラと水仙は間違うな⑧
坊主頭の男が、キッチンに去った後だった。
「ねぇ瑠花ちゃん、本当にカッコいい男ってどんな人だと思う?」
「ええー、それはねぇ、マウさんみたいな、優しく包み込んでくれる人」
わたしはマウさんの膝の上でその温もりに浸っていた。
「それは大変嬉しいけどね、僕は違う意見なんだ」
タバコを吸うからと、膝の上から降ろされてしまった。
何か心がぽっかりと空いてしまったように寂しい。
マウさんは、お店の中でも構わず、タバコに火をつけた。
鉄を伸ばしたような、青い煙が立ち上る。
「昔ね、僕には好きなミュージシャンがいたんだ」
マウさんはその煙を見ながら語りだす。
わたしはテーブルに肘をつき、両手に顎を乗せてその話を聞いた。
みんなが知っている、カリスマ的なミュージシャンだったんだけど、彼があるインタビューで言ったんだ。
お金がたくさん欲しいって。
それでマウさんは幻滅したの?
いやそうじゃない。お金があれば、周りの大人たちのいいなりになって、世に出したくもない音楽を出さずにすむ。自分の作りたいものを、最高のクオリティーで出せるって。そのためにお金が必要なんだって。
あー。魂を売らない、的なね。かっこいいね。それがかっこいい男の条件?
ううん。僕はそれを聞いてファンをやめちゃったんだ。
僕はね、確かにそれも一理あると思うし、かっこいいと思うんだ。
でも、違う。
料理もポピュラー音楽も、芸術じゃない。もっと身近で、素晴らしい幸せをくれるもの。
例え己の積み上げてきた、人生といっても過言じゃない誇りを曲げてでも、喜んでもらうために仕事をする。誰かを幸せにするために、自分を変えてでも、与えられた条件で全力を出す。それがかっこいい男なんだ。
ふーん。それもかっこいいけど、わたしは最初のミュージシャンの方が男らしくて好きだな。
瑠花ちゃんはまだ若いからね。ほら、そこから厨房見てごらん。ばれない様にね。
わたしは話の繋がりがよく分からなかったが、マウさんの言うことを理解したくて、影からキッチンを覗いた。
坊主頭の男が、さっきまでの汚い格好はどこへ、きっちりとエプロンをしてフライパンを睨んでいた。
そして何かをぶつぶつと呟いている。
「、、、焦げ、、、、、だ。通常よりも、、、、、、その方があいつには、、、、、ただ、、、、、、いけない、、、ワインは、、、、、塩分も、、、、、、、、あとは煮詰めを、、、、、、、、、、」
その背中から目が離せなかった。
なぜだろう。
正直、このお店に連れてこられてから、その男にはまるで興味がなかった。
唯一、ネックレスだけは可愛くて欲しいやつだったから気になったけど、わたしはわたしの味方になってくれそうなマウさんといかに一緒にいれるかだけを考えていた。
でも、なんだろう、この気持ち。
分かる。
あの料理は、確かにわたしのために作られている感じがする。
その真剣さ、姿勢。
マウさんの膝から降ろされて空いた心の空洞が、温かみで埋まっていく感じ。
料理をする人を、わたしはこれまであまり見てこなかった。
母は作らない。逃げた父も、もちろん今の義父も。
両親と梨花はいつも外食だ。
わたしは食べるときはコンビニごはん。
料理って、あんなに真剣に、鬼気迫るように作るものだっけ、、、。
どこの誰かも知らない、わたしの、ために、、、?
「よし、できた」
その声にびくっと跳ね上がって、わたしはマウさんのところに戻った。
少しだけ、涙が出たような気がしたのは、気のせいだ。
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