第4話 ニラと水仙は間違うな④

『俺はリゾットに入るっ!離れらんないから、しっかりやってくれ!!』

『『ベーネ!!!』』


ランチタイムの怒涛だった。

懐かしい、オリーブオイルの色合い、水のゆだる音、ニンニクの香り。

これは夢だ。

あそこはもう俺の戦場いくさばではない。


副料理長が叫ぶ。

『クソども!!回すぞ回すぞ回すぞ』

『アクアパッツァは大丈夫か!?1人食うペース早ぇ!』

『豚のエサ作ってんじゃねぇぞ!人間様のお食事を作ってんだ!!』


俺はリゾットだけは、自分で作るのが拘りだった。

それは東京に戻って、自分の店を持っても変わらなかった。


副料理長の体育会系の声など、もう聞こえていない。

指先に伝わるソースの粘度、立ち上る香りの変化、すべてに集中する。

完璧なタイミングというものが存在するとして、そこからいかに誤差を少なくするか。


そんなとき、1つの言葉が膨らむ。


『私ね、おじやが大好物だから、リゾットも好きなの』

『だけどね、本場で食べたらあれ、すっごくお米が固いのね、知らなかったわ』


ランチタイムの客の1人、白髪を揃えた夫婦の、その妻がそう話していた。

それを思い出したとき、いや、ずっと頭の中にあったその言葉に手がとまりかけた、その瞬間。


『だぁめじゃないかぁ♡キョーカ・タカラ。いけない、いけないよ』


が厨房に現れた。

スタッフの手が止まる。


はダメだって、散々言ったじゃないか、分かるよね?』


くどい香水の匂いが、腕に、首に、鼻にまとわりつく。


『君の強みは、君の弱みだ。まるでそれぞれの花が1つの香りしか持てないように』


リゾットは、どんどん完成系から崩れていく。

すでに芳醇な匂いのトップは去っていってしまった。


『いいかい、次はないよ。キョーカ・タカラ。君はわかっているはずだ、僕に頼るしかないって。ふふ、ふふ、はははっははははははっ♡』


まるで焦げ付いたチーズが固まるように、その男の言葉は澱となって心に満ちていく。


項垂れた俺に、少なからず動揺したスタッフたちが再度静まった。

その時、


あの時の食器が割れた音は、今でも何かの警鐘のように頭に響いている。


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