第43話『罪科は焼け残る⑤』

 資料室でしばらく調べ物のフリをした後、私は速やかに馬車で現場へと出発した。

 このヴィーラという女性もまた多忙な悪魔祓いである。いつ急な任務が入ってしまうか分からない。その前にとっとと今回の依頼を片付けてしまおうという計画だ。


「ずいぶん早かったな、娘よ」

「え、ええ! 司書さんが事前に目ぼしい資料をまとめてくださっていたので!」


 それは嘘ではない。

 悪魔絡みの事件が発生すると、資料室では誰の依頼がなくとも過去の類例をピックアップしてまとめておくのだそうだ。

 実際【弔いの焔】について尋ねてみたら、即座に悪魔の詳細資料をどっさり出してくれた。それを私は適当に掻い摘んで斜め読みして、こうして馬車に乗り込んだわけだ。


「そうか。今回も見事な解決を期待しているぞ」

「い、いや~。今回は狼さんの活躍が期待されてるわけですし? 私はあくまで立ち合いというか……?」


 私が冷や汗をかきながら白狼とやりとりしているのを、ヴィーラは興味深げに眺めている。


「メリル様って悪魔とも仲がいいんだね」

「ま、まあ……そうですね」

「教会に怒られたりしないの?」

「我は『珍しい犬』という扱いだそうだ。黙認されているというわけだな」


 へぇー、とヴィーラは唸った。

 それから、どこか意味深な笑みを浮かべて、


「その子って人間を食べたりしちゃわないの?」


 不穏な問いを放ってきた。

 私はごくりと唾を飲んで白狼を見下ろす。そう、こいつは悪魔だ。もしかしたら今までに何人か食い殺している可能性も――


「ふん、馬鹿馬鹿しい。好き好んで人間を敵に回す理由がどこにある」

「ふぅん。食べたことないんだ?」

「人間に手を出せば貴様ら悪魔祓いが出張ってくるだろう。それが分からぬほど我は愚かではない」


 私は少しほっとした。

 ただでさえ悪魔を身近に置いておくのは怖いのに、これで白狼に人喰いの前科があったらますます恐ろしくなるところだった。


 そのとき、ヴィーラが白狼の顔を覗き込んで、こう言った。


「――食べてみたら、美味しいかもしれないよ?」


 冗談めかした口調だったが、その目にはどこかただならぬ光が宿っていた。

 ぞくりと私の背筋が寒くなる。

 が、白狼は余裕綽々といった様子で溜息をついた。


「我を試しているのか? 生憎だが、そんな安い挑発には乗らんぞ」

「ふーん……そっか、いい子なんだね」


 感心したようにそう言うと、ヴィーラは白狼の頭を撫でた。

 白狼はあまり愉快ではなかったようで、二度ほど撫でられたところで逃げた。


 事件現場――郊外の廃墓地が近づくにつれ、日は徐々に落ちていく。


「おー。あそこかな?」


 地平線にオレンジ色の日が落ちかけたころ、窓の外を眺めていたヴィーラがそう言った。

 見れば、教会のシンボルである翼をあしらった旗がゆらめいている。現場保全をしている聖騎士たちのキャンプだ。


 既に私が来るという情報が伝わっているのだろう。

 こちらの馬車を認めると、キャンプからわらわらと隊員が出てきて、出迎えの整列を始めた。


「このたびは調査にご助力くださりありがとうございます! メリル・クライン様!」


 私が馬車から一歩踏み出すと、ほとんど怒号といっていいほどの声量で彼らが叫んだ。熱意は伝わるが、ちょっとびっくりしたのでもうちょっと抑えて欲しかった。


「お、お役に立てれば幸いです……」

「こーら。声でかすぎ。メリル様が驚いちゃってるよ」


 と、私に続いて馬車を降りてきたヴィーラが聖騎士たちに言う。

 聖騎士たちは「おおっ」とどよめいて、


「メリル様だけでなくヴィーラ様まで! どうなさったのですか!?」

「見学してるの。メリル様のお仕事に興味あったから」


 悪魔祓い二名もの来訪に色めき立つ聖騎士たち。

 おかげで、私についてくる白狼の存在を気にする者はほぼいなかった。


「では、早速現場に案内いたします」


 聖騎士の一人が先導し、廃墓地へと向かう。

 古びた墓石が並ぶ陰気な場所が見えてきたころ、風に乗って厭な臭いが漂ってきた。


(う、これって……)


 私が顔を顰めると、聖騎士が申し訳なさそうに頭を下げた。


「申し訳ありません。蠅などが付かぬよう布で覆ってはいるのですが、いかんせん冷やすための氷などがなく……。既に多少の腐敗が始まっている状況です」


 墓の手前には見張りの騎士が立っていたが、彼らは口と鼻を重ねた布で覆っていた。近くにいるとかなりの臭気なのだろう。

 私はちらと足元の白狼を見下ろす。人間ですら辛いのだから、嗅覚の優れた彼にとっては遥かに辛いかと思うが、


「……もう少し、近寄るぞ」


 妙なことに、白狼は嫌がる素振りも見せなかった。

 聖騎士に聞こえぬよう小声でそう呟き、廃墓地への歩みを進める。


「うげっ……」


 そうして踏み入った廃墓地には、布で覆われた『何か』がたくさん転がっていた。

 赤黒いシミが滲み、周囲をぶんぶんと無数の蠅が飛び交い、とんでもない悪臭を放つ『何か』は――


「これが今回発見されたもの……ですよね?」


 バラバラ死体とは言わない。

 死体と口に出してしまうと生々しさが倍増してしまうからだ。


「はい。人間の四肢と内蔵です。おそらく死体を解体したものかと」


 こちらが配慮したのに、先導役の聖騎士はあっさり死体と明言した。


「不気味なのは、四肢や内臓はあるのに頭部が一つも見当たらないことです。あまり想像したくないですが、犯人は頭部だけ手元に残していたりするのかもしれません」

「推測はそのあたりにしておきましょう。これから調べますので」

「はっ。申し訳ありません」


 棚に生首が揃えられている光景を想像して、私は聖騎士の言葉に待ったをかけた。これ以上は私にとって刺激が強すぎる。

 私は白狼に目配せをしてから、聖騎士に指示する。


「すみません。少し離れていてもらえますか? 集中して調べたいので」

「了解しました」


 先導役の聖騎士が見張りを連れ、やや離れたところに引いていく。

 現場には私と白狼、ヴィーラのみとなった。


「どうですか? 狼さん」


 白狼は腐敗臭にも怯まず、布ごしにバラバラ死体を嗅いでいる。墓中を駆け回って、放置された死体の欠片を次から次へと。悪魔のくせに仕事熱心なものだ。


「……鼻が曲がるな」


 やがてそう呟いた白狼は、すたすたと私の足元に戻ってくる。


「ダメだ。ここまで腐敗していては我の鼻でも臭跡を追えん」

「あっ、そうですか……」


 私は正直、落胆よりも安堵が大きかった。

 手柄にできないのは残念として、殺人犯と対峙する必要がなくなったのは大きい。もしかしたら犯人の潜伏場所にたくさんの生首が並んでいるかもしれないし、そんなもの見てしまったら一生のトラウマになるかもしれないし。

 そう考えると、私にとっては迷宮入りというこの展開がベストだったのかもしれない。被害者たちには申し訳ないが。


「そっか。悪魔さんでもダメだったんだ。じゃ、聖騎士さんに伝えてくるね」


 白狼の報告を聞いたヴィーラが、離れて待機していた聖騎士たちを呼びに行く。

 さて、これで後は聖都に帰るだけだ。任務失敗ということになるから、母がまた間髪入れずに新しい任務を持ってくるかもしれないが、そこは白狼のせいにしてごまかそう――


「娘よ。嗅げなかったというのは嘘だ」


 そこで白狼が私に告げた。


「え?」

を迂闊に刺激してはまずいと思ったのでな。まず貴様に報告すべきと判断した」

「ど、どういうことですか……?」


 忌々しそうな表情で白狼は言う。


「――犯人はあのヴィーラという女だ」

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