第5話:全てを失った日

「はぁ? 何が無実だよ? 嘘を吐くんじゃねぇーよ!! このクズ男が!!」


 バスケ部男子の一人がそう主張し、周りも同調するように罵声を浴びせる。

 苔ノ橋剛は必死に弁解しようと試みるのだが——。


「このデブ男が、リリカちゃんを襲っていたんですよ!!」

「そうだ、この気持ち悪い男が俺たちのリリカちゃんを!!」

「リリカちゃんに最低なことをしたんです!! マジで最悪ですよ!」


 圧倒的な多数派の意見で、掻き消されてしまうのである。

 この世界は、少数派の意見は通らず、断罪される運命を今までも辿ってきた。

 それと同様に、苔ノ橋の話に耳を傾ける者は現れない。

 そう本気で思っていると——。


「とりあえず……苔ノ橋くんを離してあげてください」


 鳥城彩花は救いの手を差し伸べてくれた。

 でも、最低な男だと思い込む男共は怪訝な眼差しを向けて。


「はぁ? 鳥城先生は、コイツの肩を持つんですか?」

「あくまでも教師として、私は苔ノ橋くんを信じたいんです!」


 信じてくれる人が現れた。

 その嬉しさで、苔ノ橋剛は少しだけ救われた気がした。


「私は知っていますから。苔ノ橋くんがとっても優しい人だってこと。私が重たい荷物を持っていたら、それを手伝ってくれたり、花瓶の花に水やりをしてくれたり、一人残って黒板を消してくれたり……先生はしっかりと見てますから!」


「先生……ありがとうございます。僕のことを信じてくれて」


 自分の話を信じてくれる。それも、大の大人がだ。

 これで形勢逆転の機会が窺えるはずだ。


「何を騙されているんですか!! コイツを信じちゃいけませんよ! コイツは、リリカちゃんを襲おうとしていた。それが事実なんですよ!!」


 声を荒げる男子生徒に対して、鳥城彩香は怜悧な瞳を向けて。


「誰かそれを見たという人はいるんですか?」


「扉を開いたとき、このデカブツがリリカちゃんを押し倒していたんです!! それにリリカちゃんは泣いて助けを求めていたんですよ! これ以上の議論は無駄でしょう!!」


「もしも、それが全部嘘だったらどうしますか?」


 鳥城彩花の発言に、部屋の中が静まりかえった。


「嘘……? 何を言ってるんですか? 頭おかしいんじゃないですか?」


「苔ノ橋くんは、非力な男子生徒です。無理に女の子を押し倒す真似をしないはずです。そうですよね……? 苔ノ橋くん」


 自分を信じてくれる存在に出会った。

 それが嬉しくて、苔ノ橋は首を必死に縦に振った。


「苔ノ橋くんがとある男子生徒たちからイジメられているという噂もお聞きしています。その男子生徒と西方リリカさんが仲がいいことも」


 鳥城彩花は担任の教師として、苔ノ橋剛の味方だった。

 風の噂で苔ノ橋がイジメ被害を受けていると聞き、本人に何度も確認しているのだ。

 と言えども、苔ノ橋剛本人は毎回笑って誤魔化すだけなのだが……。


「せ、先生……ひ、酷いッ!! つまり……それって、あ、あたしが……あたしが……剛くんをハメたって言ってるんですか……?」


 泣きじゃくっていただけの西方リリカも、我慢の限界に達したのだろう。

 このままでは、裏の顔がバレてしまうと判断したのだろうか。

 彼女も鳥城彩花の発言には黙っていられず、遂にその口火を切ったのである。


「西方リリカさん。残念ですが……私の目は誤魔化せませんよ?」

「——————ちっ!! このクソ女が……」


 悔しげに西方リリカは舌打ちを鳴らし、歯をギシギシ噛む。


「ちょっと待ってください。先生の言い分は分かりました。では、どうして俺たちはコイツが女子更衣室に入る瞬間を見ていないんですかね〜? 女子更衣室は、この体育館の中にある。でも、俺たちが見たのは、リリカちゃんだけなんですよねぇ〜」


 これってつまり、と男子バスケ部員の奴等は偉そうな口調で。


「更衣室のロッカーに潜伏していたか、もしくは窓から進入した。そう考えるのが当然じゃないですかぁ〜? 何もやましいことがなければ、普通に更衣室に入っていたはず。そうじゃないですか……?」


「そ、それは……」


 男子バスケ部員の方々は、苔ノ橋剛が更衣室に入るところを見ていない。

 二人仲良く同じ部屋の中に入っていくなら、誰もがその仲良しの可能性を考慮するかもしれない。でも、苔ノ橋剛が更衣室に入った場所は——。


「おいおい……これはどういう状況なんだぁ〜? オレたちも混ぜろよぉ〜」


 廃進広大とその一味の連中が現れた。

 今も、動画を回しており、ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべている。

 そんな彼の元に、西方リリカは飛びつくように駆け出して。


「広大くん❤︎ た、助けて❤︎ あ、あたし……あの巨体に……あの巨体に……」


 廃進広大がここに来ると、最初から決められていたのだろうか。

 西方リリカは、この事件のあらましを的確に説明した。

 自分は被害者で、あの巨体が加害者であることをネチネチと。


(こんなタイミングよく現れるはずがない!!)

(もしかして……コイツらはずっと待っていたんじゃないか?)

(この事態になることを……こんな状況になることを既に……)


「なるほどな……大体の話は分かったよ。でも、その件ならオレたちが解決できるぜ」


 廃進広大は得意げな表情を浮かべて。


「実は、さっきまでオレたちもこの近くで動画撮影してたんだわ。もしもこの豚野郎が窓から侵入していたら、その姿が撮れているかもしれねぇーな」


 その日——。


『……苔ノ橋くん。あなたは最低な人間ですね。こんな生徒だったなんて思ってもいませんでした。今後はもう一生関わらないでください。あなたの顔を見るだけで吐き気がする。もう私にとって、あなたはただの犯罪者ですよ』


 苔ノ橋剛は全てを失った。

 今まで、彼の存在は、理不尽にイジメられる可哀想な男子生徒。

 一部の生徒たちからは同情され、心配する声も上がっていたのだ。


『…………剛くんは、ちょっとだけ魔が差しちゃっただけだよね? あたしは……あたしはまだ剛くんと幼馴染み同士の関係でずっといたい!! だから、警察沙汰にすることだけはやめてください。剛くんがいい人だって知ってるから』


 でも——この日、苔ノ橋の人生は大きく変わってしまったのだ。


『ねぇ、バチャ豚❤︎ アンタはあたしに感謝しなさいよ❤︎ 本当だったら、警察沙汰で、アンタは地獄へ落ちてるはずだったのよぉ〜。でも、慈悲深い女神様みたいなあたしのおかげで、アンタは首一枚繋がったわけ。どういうことか分かるわよねぇ〜? アンタはこれからもこの先も、ずっとあたしの奴隷ってこと❤︎』


 絶対に手が届かない大好きで大好きで仕方がない高嶺の花の幼馴染みを、自分のものにしようと思い、魔の手を伸ばしてしまった最低最悪な強姦魔だと。


『ただ……もしもですよ。もしも、苔ノ橋くんが自分の罪を償うことができるとしたら……私はまたもう一度あなたを信じたいです。だから、苔ノ橋くん。自分の罪を償い、また優しい人間になってください。何度罪を重ねても、人は必ず生まれ変われると先生は信じていますから』


◇◆◇◆◇◆


 苔ノ橋剛が冤罪を被り、一定期間の謹慎処分を喰らった日。

 計画が順調に進んだ廃進広大一味は、祝杯を上げていた。


「最高だったよな。あの豚の最後は、ぎゃははははっはははっははあ」

「マジであれは名演技すぎるだろ。てか、マジで投稿した動画の伸びエグすぎ!! 決定的な瞬間を撮影してて……豚の人生マジで終わりじゃん」

「この動画……SNSでも拡散されまくって……最高なんだけどッ!!」


 廃進広大一味のアジトは、街の中心地にあるマンションの一室。

 元々会員制バーを経営していたらしく、設備は今でも全て整っている。

 酒でもタバコでも女遊びでも何でもやりたい放題の空間。

 取り巻き集団のひとりが不動産持ち家系なのである。

 で、この場所を好きに使っていいと言われているのだ。


 下っ端の一味連中がバカ騒ぎする中——。

 廃進広大と西方リリカは、静かに祝杯を上げていた。


「ったく……アイツらはまだことの重大性を認識していねぇ〜な」

「どういうこと?」

「豚だよ、豚。アイツが謹慎になっただろ? そしたら、次の動画に使うネタがねぇーだろうが。それをアイツらは全然理解していねぇーんだよ」


 動画コンテンツに必要なことは、ネタである。

 ただ平凡な日常を撮影しては何の面白味もない。

 非日常を撮影することが大切なのである。


 だからこそ、苔ノ橋剛、通称『バチャ豚』のドッキリ企画は、人気を博していた。だが、苔ノ橋剛は謹慎処分を食らい、使い物にならないのだ。


「あ、それなら、あたし……もっと良い標的を考えたんだよねぇ〜」


 西方リリカは嬉々とした声で言い。


「鳥城彩花ってのはどうかな? 次の標的はさ」

「…………お前も物好きだな。どうして先生なんだよ?」

「う〜んとね、何かムカついちゃったんだよねぇ〜。それに、あたしよりも可愛い女があの学園には必要ないのよ。一番可愛いのは、西方リリカ。ただ一人で十分なわけ」


 それに、と明るい茶髪の持ち主である女子高生は口を歪めて。


「あの女……あのままにしてたら、あたしたちの秘密を全部知っちゃいそうな気がするんだよねぇ〜。だからさ、早めにアイツ消しちゃおうよ。ていうか、あたしに歯向かう奴等は、全員消す。そうじゃないと、あたしの気が治らないの!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る