第4話:無実の罪
黒板を爪で引っ掻いたような甲高い女性特有の叫び声。
耳を突き刺すような大声に思わず塞ぎたくなるほどだ。
「リリカ……? どういうこと……? ぼ、僕はな、何も……」
突然の事態に状況を飲み込めず、苔ノ橋剛は慌ててしまう。
だが、そんな彼を置いてけぼりにして、西方リリカは口元を歪めて。
「や、やめてッ!! やめて……やめてッ!! 酷いことはしないでぇ!!」
昔から歌唱力があり、クラス会の発表でお姫様役を勝ち取ってきた西方リリカ。そんな彼女の姿を見て、どれだけ恋い焦がれてきたことか。どれだけ彼女に叶わぬ恋慕の情を抱いてきたことか。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああ」
だが、もう可憐な幼馴染みの姿はどこにもなかった。
腰に回った長い両足が苔ノ橋剛に巻き付き、彼女から離れることができない。
身動きが取れない苔ノ橋は、西方リリカに覆いかぶさる形になってしまう。
その状態だからこそ、彼女の声がハッキリと聞こえてくる。
「ねぇ、豚。アンタは一生——あたしのおもちゃだから❤︎」
西方リリカと苔ノ橋剛の関係は、単純な幼馴染み同士ではない。
女王様と奴隷。お姫様と従者。強者と弱者。騙してきた者と騙された者。
そんな言葉がふさわしいほどに、彼等の関係は歪なものだったのだ。
「今までも。そしてこれからもアンタは死ぬまでずっとあたしのもの❤︎」
一回の悲鳴だけでは、誰も来なかった。
されど、ダメ押しの二回目と女性の苦しそうな声が聞こえれば、勝手に生徒たちが集まってくる。野次馬精神に感化された者たちは、更衣室——それも女子バスケ部専用の乙女の花園へと繋がる扉を開いてしまうのである。
彼等の瞳に映るのは——。
荒い息を吐く太めの男子生徒と、押し倒された可憐な女子生徒。
こんな状況に遭遇すれば、何が起きているのかは一目瞭然。
けれど、安易な行動を取って、二人の邪魔をしようとは思わなかったようだ。
「何があったんだ?」
男子バスケ部の誰かの声に呼応して、ベンチの上に押し倒されたままの西方リリカは救いの声を上げるのだ。先程まで一切涙を見せず、逆に人様を陥れることを企てていた悪女の癖に。今だけは純情な乙女振った表情で——。
「……た、助けて……誰でもいいから……あたしを助けてぇ……」
美少女の涙ぐむ表情と掠れた声さえあれば、脳が筋肉で構成されている愚かな者たちはお互いの顔を見合わせて覚悟を決めてしまうのである。
この可憐な少女を救えるのは自分たちだけだと。
一驚の瞳を浮かべていた数秒前とは違う。
野獣のような瞳を浮かべ、着々と歩みを進めてくるのだ。
ここで悪漢を張り倒し、あわよくば美少女の心さえも奪ってやろうと。
私利私欲に塗れ、事実を精査する脳を持たない者たちは——。
「えっ……? ちょ、ちょっと待って!! ち、ちがっ……」
口の端を歪めたままに、苔ノ橋は無罪を主張する。
でも、そんな言葉など通用しない。
彼等には、政治家たちが宣う選挙演説と同じに聞こえてしまうのだろう。
「何が違うだ!!」
「ぼ、ぼ、ぼ……僕の話を聞いてくれ。僕は本当に何も——」
「お前みたいなクズの話なんて、誰も聞かねぇーよ。見れば誰だって分かるからな。誰が本当に悪いかなんて……誰だって分かるんだよ!!」
男の子ならば誰もが一度は憧れた戦隊モノのヒーロー。
歳を重ねるたびに現実を知り、絶対になれるはずがない。
そう結論を下していたものの、彼等の奥底には正義の心があるようだ。
「この野郎ッ!! リリカちゃんに何てことをしやがるんだよッ!!」
男子バスケ部の間でも、超絶美少女西方リリカの話題は持ちきりだったのだろう。彼女に儚い恋心を抱いた男子生徒は多いようである。だからこそ、彼等は軽蔑の瞳を浮かべて、襲いかかってくるのである。
誰か一人が動き出せば、他の全員が伴う形で動き出す。
結句、体育会系の男たち——それも五人の男たちに床に張り倒されてしまうと、全く身動きが取れなくなる。首を押さえつけられ、呼吸もできなくなる。
それでも必死に苔ノ橋は訴えかける。
「……違う……違う……違うんだ……ぼ、僕は……ち、ちが……」
だが、誰一人として聞く耳を持ってくれない。
あらぬ疑いをかけられてしまえば、残るはどちらを信じるか問題になる。
苔ノ橋剛のような見た目も悪い人間が、絶対的美少女——西方リリカに勝てるはずがない。
もう既に彼女の周りには生徒たちが集まり、「もう安心していいからね」や「怖かったよね。でももう泣かなくていいんだよ」と優しい声をかけられている。信頼度の問題だ。どちらが信頼に値すべき人間なのかと。
(……か、完全に終わった。僕の味方なんて……ど、どこにもいない……)
(誰も僕の話を聞いてくれる人なんて……いない……)
(どうすれば……どうすれば信じてもらえるんだ……?)
「——これは一体どういう騒ぎですか? 誰か説明できる人はいますか?」
苔ノ橋の前に現れたのは、担任の女教師——
某有名な私立大学出身で、在学中はミスコンで優勝した経験がある美人さん。
教師らしからぬ巨峰の持ち主で、ブラウスのボタンが今にも弾け飛びそうだ。
その魅惑的なボディを理由に、男子たちからは絶大な支持を受けている。
「先生……お、お願いします。ぼ、僕を助けてください……僕は無実です」
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