第3話 高校2年生


 高2の夏。

 俺は結花とまた真鶴にやってきた。


 生活が極めて不規則な救急救命医のおじさんの家で、おさんどんをしてまともなものを食べさせてあげる替わりに泊まらせてもらうという、Win-Winの関係なのだ。

 例年、一週間、俺たちは海が近いという生活を楽しむことができる。


 おじさんは、俺の母さんの弟。

 そもそもは、その弟の健康を気遣った母さんの企みだった。普段は、病院で取る出前だけが命綱って生活だからね。人の命を救いながら、自分が早死したら始まらないよって。

 あと……。

 今だからわかるけど、母さん、夏休みに俺がずっと家にいるのがうるさかったんだろうね。つまりは厄介払いってことだ。

 これ、Win-Win-Winだよ。


 でもって、母さんと結花の母さんは友達だ。

 その結花の母さんのちょっとした入院がきっかけで、一人っ子の結花もここに来るようになった。ま、これも身も蓋もない言い方をすれば、厄介払いのうちだな。

 きっと母さんたちは、食事会したり温泉入ったりして共に羽根を伸ばしているに違いない。

 俺としては家事労働が結花と分業できるし、退屈はしないし、結花も海は好きだからWin-Win-Win-Win-Winだ。


 で……。

 俺、一緒に泥だらけになって遊んだ幼馴染の結花が、近頃は眩しくてしかたない。

 一緒に秘密基地を作ったり沢蟹を掴まえていた、ゴボウみたいな足してた幼名馴染みのダチが、いつのまにか可愛いを通り越して、日々美しくなっている。水着姿なんか、まともに見られない。

 女子の変化って、なんなんだろうね?

 俺なんか、あの頃から大して変わっていないと思うのに。


 ただ、真鶴合宿も今年が最後になる。

 なぜなら、泊まらせてくれていた救急救命医のおじさんが、ついに相手を見つけることができて結婚する予定なのだ。

 そうなると、さすがに俺も、新婚家庭に一週間も押しかけるほどデリカシーがなくはない。ただでさえ、来年は受験勉強で来れないし、そうなると俺も2年後には大学生になって、もう甘えられる歳ではなくなってしまう。

 高2の今だって、ぎりぎりだと思っているんだ。

 ともかく、最後の機会なら、悔いのないように楽しもう。迫る受験を考えれば、この開放感ともしばらくお別れだしね。


 それに、実は、今年こそって思っていることがある。

 中2の年に結花とここに来たときに、偶然2人っきりで打ち上げ花火を見た。

 あれは本当にきれいだった。そして、俺は初めて結花を異性として意識した。つまり……、いい雰囲気だったんだよ。

 でも、それ以来、一度もその花火を見れていない。

 ネットで調べても、そもそもどこのお祭りで上がった花火かすらわからないんだから決め手がない。

 だから、今年こそ。

 今年こそ、同じ打ち上げ花火が見れたら、俺、結花のファーストキスを奪うって決めてる。



 で、まあ、俺の決意はともかく。

 最初にここに来たときの結花は全然お料理なんかできなかったけど、今は任せられる。

 俺たちの成長とともに、ここでの生活も毎年充実していってたんだよ。


 俺は、おじさんの家に預けてある釣具を確認する。

 小学生の時は「サビキ釣り」しかできなかったけど、中学生の時に俺は「投げサビキ釣り」を覚えた。

 これで手に入る魚が、スーパーの鮮魚売り場で見る魚の大きさにグレードアップした。今年は「フカセ釣り」にチャレンジする。これで、いつもの鯖と鯵だけでなく、より美味しい鯛やメジナなどの白身の魚が釣れるはずだ。


 ともかく、おじさんちが海に近いってのはいいよ。

 釣りの場所取りも海水浴も早朝の空いているときに済ませて、人が集まる頃合いにはさっさと撤収できるからね。

 それに、結花と涼しい海辺を散歩するだけでも、とても気持ちがいいんだ。



 と、夢は膨らんでいたのに……。

 一週間は瞬く間に過ぎてしまった。

 花火も見られなかった。

 フカセ釣りで、メジナや鯛も釣れなかった。

 つまり、僕と結花の間もなにも進まなかった。


 で、舌打ちしたいような気分を抑えつけて、もう帰るって日ではあったけど、早朝の散歩で狭い砂浜に一番乗りして……。

 なにかを取り戻せると思うほど、虫のいい考えも持ってはいなかったんだけど。

 目敏い結花が、いきなりなにかを見つけた。

 興味を惹かれたものにぱたぱたと駆け寄って行くのを見ると、「ゆっきー」と呼んでいた幼馴染の頃のままって気がするよ。


 結花が拾い上げるのを見たら、恐ろしいほどきれいな巻き貝の貝殻。こんなきれいなの、見たことがない。


https://kakuyomu.jp/users/komirin/news/16817330668078000811


「きれい」

 そう呟いて、結花は繊細で薄くて脆そうにすら見える貝殻を、大切そうに抱え込んだ。

 あまりに美しいものだから、飛び上がって喜ぶみたいなのは違う気がしたんだろうね。

 ああ、「ゆっきー」から「結花」に戻ってしまったな。


 それにしても、一体なんという名前の貝なんだろう?

 持たせてもらったら、軽くて見た目よりさらに脆そうな感じだ。

 おじさんちに持ち帰ったら調べてみよう。


 で……。

 俺たちにとって、それがとんでもない爆弾になるとは思いもしなかったんだ。


 きっかけは些細なことだった。

 拾った貝殻がどんな名前の貝のものなのか、俺は図鑑で調べようとしていた。

 だけど、どうしてもわからなくて、俺、結花の呼ぶ声に空返事をしてページを繰っていた。

 1回目を見ても見つからず、念のために2回目を。

 だって、もう午後には電車で帰らなきゃだから、今のうちにって思ったんだよ。

 ネットでも調べはつくだろうけど、専門書があるならそれに越したことはないしね。

 ま、さすがにおじさんは医者だけあって、こういった科学系の本はたくさんあったんだ。



 そこに響き渡る結花の悲鳴。

 さすがに俺、結花の声のした台所へ走ったよ。


 ああ、やらかしたなー。

 結花、そうめんを茹でてた。

 まぁ、これは俺が悪い。

 麺類を茹でるとき、鍋を傾けるのとざるの柄を持つの、分業することになってた。おそらくは、俺が呼ばれても行かなかったから、そうめんを茹で過ぎちゃうっていうんで、結花は一か八かの勝負に出た。

 流しに置いただけの丸いざるに、鍋の中身を傾けたんだ。

 で、その勝負に負けて、ざるはひっくり返って、そうめんは流しが飲み込んでいく。

 リカバリしようにもそうめんには熱くて触れないし、蛇口を捻って水を出せばそうめんはさらに流れていってしまう。そうなると、なんかひどく汚い感じがする。流し自体はきれいなんだけど、生ゴミポケットにみんな流れ込んじゃうからね。


 結花、思いっきり涙目。

 俺も、反応ができない。

 テーブルに置かれた冷たいつゆと薬味が虚しい。


「流しそうめんで、流れそうめん……」

 よせばいいのに、俺の口からデリカシーのない一言。

 ま、正直、ちょっと上手いこと言ったつもりもあったよ。食べる予定の食事が流れたって意味まであるからね。

 雰囲気が少しでも和めば、なんてことも考えてた。


 でも……。

「なによっ!?

 好きで流したわけじゃないっ!」

「えっ、あ、それはわかっている」

「ずっと、『手伝って』って呼んでいたのにっ!」

「いや、貝の名前を調べちゃおうと思って……」

「それって、そこまで急がなきゃいけないことなの?」

「えっ、いや、まぁ、わかったほうが気持ちがすっきりすると言うか……」

 あ、俺、地雷を踏んだかな。

 フォローしないと拗れるな、これ。


「事故だろ?

 そうめんは残念だけど、仕方ないよ」

「じゃあ、なんで私がわざと流したみたいに言うのっ!?」

「そんなこと言ってないっ!」

 さすがに俺、否定した。

 そんなこと、言ったつもりはないぞ!


「流そうめんって言ったじゃないっ!

 流してはないよ、私っ!」

「……あ。

 そういう意味じゃないっ。

 それ、一般的な単語を言っただけで、そういう意味じゃ……」

「一般的な単語だとしても、今、ここでそれを言ったのはなぜっ!?」

 くっ、これは俺の失言だな。

 それにしても、いつになくとんがるな、結花。


「あの……、結花が貝の名前知りたいだろうと思って……」

「私のせいだと?」

「そんなことは言ってないっ」

 ……くっ、悪かったな。自己弁護だよ。


「どーせ、わからないくせに」

 この追い打ちで俺、かちんときた。

「わかるさっ!」

「ネットで聞けば、誰かが教えてくれるもんね」

「自力で調べられるよ!」

「……さあ、どうだか」



 ここまでやりあって……。

 どうにもこうにも、いつもの結花じゃない。

 目をすがめるようにして結化を観察して、俺、気がついた。

 結花、さり気なさを装って、右手をずっと隠している。


「結花、右手出して。

 やけどしているだろ?

 すぐに冷やさないと……」

「やだ。

 大丈夫」

「大丈夫じゃないっ!」

 俺、抵抗する結花の右手首を強引に掴んで確認した。


 親指、人差し指、中指の真ん中から先が真っ赤だ。

 でも、白くはなっていない。

 まだ、水疱もできていない。爪にも異常はない。

 これなら、傷跡は残らない。ただ、ぴりぴりと相当に痛いはずだ。

 二度未満のやけどってとこだろうな。


 なんたって、ここにはそういう判断をするための本が山のようにあるからね。

 この家に来だしてから、暇つぶしに相当の量の医学書を俺は読んでいる。当然、理解できていない内容が多いのは自覚しているよ。

 それでも、まぁ、この判断に間違いはないと思う。


 おそらくは結花、倒れたざるを反射的に起こそうとしたんだ。で、熱くて悲鳴をあげた。でも、お湯に手を突っ込んだりはしていない。そうだったら、爪の周り、手の甲側にもやけどしていないとおかしいからね。

 ただ、ものすごい勢いで湯気が上がっていたから、見間違えてより広く火傷しちゃったってのはあるだろうな。


 俺、無言で蛇口をひねって、結花の手を水流に浸す。

 流しにこぼれたそうめんが生ゴミポケットに流れ込み、昇っていた湯気も消える。

 ここで初めて結花の顔が痛みに歪んだ。


 ここでようやく、俺、気がついたよ。

 結花がパニクって、とんがっていた理由に。

 家主の俺のおじさんは救急救命医だから、火傷したなんて病院に駆け込んだら思いっきり迷惑をかけることになる。

 おじさんが、留守宅の監督不行届きで、病院内で責められる可能性だってあるだろう。

 だから結花、病院には行かないって決めたんだ。


 で、決めたはいいけど、痛いし不安だし、そもそも俺に隠さなきゃでパニックになった。俺にバレたら即病院だからね。

 で、俺が怒って結花から目を逸らしたら、やけどがバレなくて済む。

 そのあたりまでもごちゃごちゃ考えたに違いない。で、その考えがブレーキを解除して、勢いのままとんがった。


 それだけじゃない。

 結花、蛇や沢蟹は触れても、怪我とかの写真は怖くて見れない人だからね。頑として医学書は開かなかったんだ。だから、俺ほど外傷に対する知識はない。

 それもまた、パニックの大きな原因だろうさ。




「結花。

 呼ばれてすぐ行かなかったのは、俺が悪い。それは謝るよ。

 呼ばれたら、行くようにするよ。それでも行かなかったら、無理な賭けをするより俺を蹴飛ばしに来い」

 なんかさ、俺、結花の考えていることが推測できたら、素直に謝れたんだ。

「それから、もう絶対に怪我とか隠しちゃ駄目だからな」

 さらに、そう注文を増やす。

 

「ばかぁ……」

 そうつぶやくと、結花、俺の胸の中で泣き出した。

 その顔を俺、強引に起こす。

 ゆっきーが泣くのに俺、何回付き合ってきたと思っているんだ。俺はその涙にはほだされないんだぞ。


「それはそれとして……。

 あの貝の名前、絶対に調べてやる。ネットは使わない。誰かにも聞かない。自力だけで、どこかの貝類の図鑑から見つけ出してやる。

 だから、『どーせ、わからないくせに』って言ったのだけは取り消せ」

「なんで、そこ?」

 びっくりしたのか、涙が止まったみたい。まぁ、まだ目は涙で満ちているんだけどね。


「俺、結花の前では、どんなことでも負けたくないんだよ」

 半分照れながらも、視線を逸らさずに俺は言ったよ。


「蛇が怖いくせに」

 俺の胸の中で、上目遣いに言う結花。

「やかましいっ!」

 結花の言葉に照れ隠しができたの、ちょっとありがたい。


 俺、結花を見下ろして笑ってみせた。

 まったくもう、いつの間にかこんなに俺より小さくなっちまってさ。態度の大きさは変わらないくせに。


 そう思っていたら……。

 不意に結花の顔が近づいてきて、その唇が俺のそれに触れた。俺、全身が固まって、まったく動けなくなった。

「心配してくれてありがと。

 花火、ついに見られなかったけど、これがあのときの続き。

 貝の名前、待ってる。

 そのときに、また続き」

 そう言って笑う。


 この泥棒め。

 俺と同じこと考えていたのか。

 俺の初めてを奪いやがったな。

 次は、俺が奪い返してやるんだからな。

 俺はそう決心していた。



あとがき

このまま、なんていかないんだろーなー。

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