第4話 一人部屋。それぞれに2人。
これは僕の過去の話だ。
本当に小さかった頃。幼稚園くらいからだ。僕は体が弱かった。物心が付いてなかったってだけで、実際は生まれた時からなのかも。
1週間に何度も体調を崩すから、あんまり幼稚園にも行けなかった。たまに行っても、園で熱を出して帰ることも少なくなかった。同じ歳の子達からも気を使われたのか、遊びに誘われたり、なんなら話し掛けられることもほとんどなかった。
そんな中、1人だけだ。僕が具合を悪くして寝てる間、迎えを待ってる短い時間にも話しかけてきた子がいた。
「ねーねー。ひなたくんってさ、よーちえん、たのしい?」
これが僕と
その時は答えられなかったんだけど、次に会った時も同じ質問をしてきたんだ。
「ううん…。」
僕は友達もいないし、外で遊ぶことも出来ないし、楽しみなんて何も無かった。それだけじゃない。横になる僕に両親がいつも言っていた。
『ごめんね。』
って。2人のせいじゃないのに。
それを聞いた華陽はこう言った。
「だよねー。」
僕はちょっと泣きそうだった。ただでさえ辛い生活を送っていたのに、知らない女の子にさえ、バカにされてる気がして。
「あのね、みんなとあそぶのがたのしいの。でね、せんせいともはなして、ともだちいっぱいで。」
幼稚園児は純粋な分、切り口も鋭い。
でも、この言葉の意味は別に僕を貶めるものじゃなかった。
「だからね?わたしとおはなししよ?」
「え?」
「いつもひとりでいるんだもん。たのしくないよね?だから、おはなししよ?」
その日からだった。少し、幼稚園に行くのが楽しみになった。話すことなんて、大したことじゃなかった。僕がいない時の出来事を教えてくれたり、好きなご飯とか、お気に入りの絵本の話とかだった。それでも、華陽が僕の唯一の話し相手で、華陽と話してる間だけが心から笑える時間だった。
ただ、こんな関係が続くことはない。当然だ。
男女の溝は歳を追うごとに深くなる。小学生に上がる時、幼稚園の時代の付き合いは「子供っぽさ」の象徴として捨てられる。そんな事、誰にでも心当たりがあるだろう。
一応、僕と華陽の関係はそんなにあっさり終わりはしなかった。でも、そのまま続いたりもしなかった。
機会があれば話も弾むし、避けたりすることは無い。でも、毎日一緒にいたりもしない。よくある幼馴染の距離感だ。
でも、僕にとっては華陽が特別な存在なのは変わらなかった。恩人みたいなものだったのかもしれない。愛とか恋とかはよく分からないんだけど、ただ、華陽と話す時だけは心があの時に帰ってる感じがした。素直でいられたし、そのことへの感謝があった。少なくとも、今みたいな執着心はその頃は無かった。
それが変わったのは、中学に上がった後のことだ。華陽が熱で寝込んでいた時期があった。僕は恩返しとばかりに見舞いに行った。
初めは幼稚園の頃とおなじ。
「体育のサッカーで
「へー、すごいんだね。」
みたいな会話だったり、
「今日宿題忘れててさぁ…。すんごい怒られちゃって昼ご飯食べる時間なかった…。」
「…ほんとに宿題忘れただけ?」
「…宿題忘れた身分で居眠りしてました。」
「それは、
とかね。
そのうち、学校の話を聞く度に華陽がほんの少し悲しそうな顔をするのが分かるようになった。学校に行きたくても行けない華陽の前で、学校に行きたくない僕が、学校生活を語るのは滑稽だと気付いた。
そこから始まった。僕の1人芝居が。
一回目はマジックだった。コインが手を貫通して、ステッキを消して、最後にハットからトランプが出る。そんな予定だった。
「こちらをご覧ください。今の今まで被っていたこの帽子。種も仕掛けもございません。」
「うん。何も入ってないね。」
あ、一応言っておくと、この頃の華陽は弱ってたのもあってツッコミの自覚足りてないから。お笑いに厳しいそこの君!許してあげてね?
この頃の華陽は突然マジック始めても拍手してたんだから。
「それがこの杖で叩くと…。」
「叩くと〜?」
「ポンッと…あれ?」
練習した手順で、帽子の二重底を開けようとするも上手くいかない。
「うーん。おかしいなぁ〜。」
ショーマンの自覚があるから口調は冷静に装ってるけど、めちゃくちゃ慌ててる僕。
動揺を隠しながら帽子をブンブンと振ると…
「うわあっ!」
二重底が開き、仕込んでいたトランプがバサバサと落ちてきた。ここで、天才的閃き!失敗を段取りに変える神の一手。
「あちゃ〜上手くいかなかったよ…。」
どう?この言葉で、ハプニングに見せ掛けた演出という体になるんじゃないの?華陽から見たら、帽子からトランプが出てきたに違いないんだし。
「おぉ〜。」
目論見通り、華陽はぱちぱちと手を叩いてくれた。僕はぺこりとお辞儀をして、1度部屋を出る。
その後、部屋に入ってきた僕に華陽が言った。
「あれって、本当は失敗してた?」
「あ、バレてた?」
「うん。ほんとに焦ってる時の顔してたからね。」
こんなやり取りで僕らは笑いあった。
あの時見た笑顔を、僕は死ぬまで忘れないと思う。
これが、僕らの原点。というより、僕の初恋。
それに、あの時の華陽の純粋さだよ。分かる?だって、一通り終わったあとで『失敗してたんじゃないの?』って聞いてくるんだよ?
それが今じゃ…
「お帰りなさいませ。お嬢様。上着をお預かりします。」
「…新手の追い剥ぎ?巧妙な手口で私のコートを奪い取ろうとしてる?」
これだからね?
「『これだからね?』って?」
「いや、元気になって良かったって。」
「…あー、また昔のこと思い出してるの?」
「そうそう。」
「寝込んでる私の方が可愛いって?」
「そんなわけないでしょ?華陽は笑ってる時が1番可愛いよ。」
「…そう?ありがと。」
元気の無い華陽を見るのなんてあの時だけで十分。
と、そんなことより…
「お嬢様、こちらへ。」
「これ、どうしたの?」
「ダンボールで高さを盛った後、ちゃぶ台を乗せて、ネットで調べたままにテーブルクロスで見た目を取り繕ったタイプのディナーテーブル。」
「…。」
「こら!クロスを捲るんじゃないの。」
「ごめんごめん。」
華陽の手を引いて、テーブルまで誘導。その後で、華陽が座りやすいように椅子を引いてあげる。
「それでは、お茶をお持ちするので、少々お待ちを。」
「うむ、苦しゅうない。」
…華陽って適応力高すぎない?僕の部屋に入ると片眼鏡の幼馴染(執事服ver)が居たってのに、大した反応もなしだよ?
まぁ、僕の普段の行いが悪いんだろうけど…。
「よく分かってるじゃん。」
「…それでは、一度失礼します。」
部屋を出て、ダイニングへ降りる。用意しておいたティーセットを持って部屋へ戻った。
「お待たせしました。」
「今日の茶葉は?」
「アッサムのミルクティーになっています。茶菓子にはマカロンとクッキーを用意しました。」
「褒めて遣わす。」
「さっきから、なんで和風なのさ。」
「私の想像力の限界だよ。」
テーブル(ハリボテ)にティーカップと茶菓子をセットする。ティーポットにはまだ、2杯分程の紅茶が残っている。
「この、スタンド?どうしたの?」
「アフタヌーンティーセットってやつだっけ?普通に食器棚の奥から見付けたから、これを見て今日のを思いついたんだよね。」
「へー。確かに、陽向のお母さんって結構オシャレな趣味多いよね。」
「例えば?」
「美容液とか、手作りしてなかった?」
「あれは、2ヶ月くらいで飽きてたよ。多分これも、買ったは良いけどそんなに使ってないんじゃない?」
「ふーん。」
そう言いながら華陽は、カップを手に取り、ミルクティーを飲み始めた。
「んー。おいしっ。」
「それはそれは。恐悦至極にございます。」
「執事から爺やに転職した?」
「いや、僕の執事イメージの限界が近付いて来ただけ。」
「ほらね?そうなるでしょ?」
「それに、もう疲れてきたんだよね。この服、首元が結構苦しくてさぁ。」
「ほら、じゃあ一緒に座ろ?」
「…お言葉に甘えて。」
僕は普段使いのマグカップに紅茶とミルクを注ぐ。対面に椅子を置くことは出来ず、90°の角度で座った。
…2人でお茶会。それには、少し手狭な部屋だ。
「その服、どうしたの?」
「これね?驚いて欲しいんだけど…」
「えぇっ!?そんな、ほぼ犯罪じゃない!」
「いや、早い!それに、勝手に犯罪者にしないでっ!?」
「あぁ、ごめんごめん。」
「これ、僕が作ったんだよ。」
「えっ?すごっ。」
おっ。これは素のリアクション。どれくらい素かかって言うと、元鈴木食料工業くらい。
「それ、味の『素』ね?」
「よく分かったね。」
「昨日やってたクイズ番組でしょ?」
「そうそう。」
置いてあるカップからはまだ湯気が立ち上っている。
華陽はクッキーに手を伸ばした。
「これも、手作り?」
「わかる?」
「出来がお粗末だからね。」
「そんなっ…。僕の週末の努力が…。」
「冗談。ちゃんと美味しいよ。」
「愛が籠ってるからね。」
「はいはい。」
僕も、手元のマグカップに手を付ける…が、猫舌の僕には熱すぎてまたテーブルに戻した。
…大人しくマカロンでも食べておこう。
「マカロンはお父さんのお土産だから、僕の手作りじゃないよ。」
「それじゃ安心して食べれるね。」
「ホワイッ!?」
「いつから英語圏の人間になったのよ。」
「A long time ago in a galaxy far, far away…」
「『遠い昔、遥か彼方の銀河系』でどうやって英語を学ぶのよ。」
「ほら、 『May the Force be with you.』とか?」
「それじゃ、銀河系じゃなくて映画館ね。」
「僕、吹き替えでしか見た事ないけどね。」
「じゃあ今の会話なに?」
「そりゃ、時間の無駄?」
「まぁ、いつものことかもね…。」
そんなふうに思われてたの!?悲しい。悲しくて悲しくて震えちゃう…。まるでチワワ。
「悲しくて震えてないからね?チワワは。」
「あ、そうなの?」
「逆に、チワワが何をそんなに毎日悲しんでるの?」
「うーん。少子高齢化問題の深刻化とか?」
「陽向より賢いじゃん。」
「失礼な!僕は震えなくても体温調整できるよ!」
「語るに落ちるってやつね。」
「おあとがよろしいようで。」
湯気が収まったマグカップから紅茶を1口。もったりとしたミルクの濃厚な口触りと、アッサムの鮮烈な香りが広がった。
「これ、美味しいね。」
「うん。物が良いんでしょうね。」
「えっ?」
「ん?」
何やら酷いことを言われた気がする。
「…紅茶とかコーヒーって、昔は全然好きじゃなかったのに。いつの間にか飲めるようになってるよね。」
「そうかもね。大人になってるってことじゃない?」
「…そうだね。」
食べられなかった野菜がいつの間にか好きになってたこと。どうにも好きになれなかった相手と、なんだかんだ友達になってたこと。体の弱かった僕が、普通に過ごせるようになったこと。それは全部、大人になったってことなんだろう。
「でも、変わらないこともあるよね。」
「例えば?」
「華陽と一緒にいること、とか?」
「…私が居ないと、陽向がまた塞ぎ込んじゃうでしょ?」
「…ははっ。そうかも。」
もう1杯。そう思って手を伸ばしたティーポットには、もう1滴のお茶も残っていなかった。
外には夜の帳が降り、星が瞬いている。
「んーっ。そろそろ、帰ろうかな。」
立ち上がった華陽が、いつものように伸びをした。
「うん。気をつけてね。」
「すぐ隣じゃん。」
「それは、そうだけどね。」
ドアを開け、華陽は去っていった。
テーブルに残ったのは、空のカップとクッキーの欠片だけ。
「…片付けよ。」
一人、ただ寝るだけ。そんな部屋にしては、少し広すぎる。
【とある一人部屋での記録】
家に帰った後、私は呟いた。
「おかえりって、初めて言われたかも…。」
自分の部屋で、ベッドに座り込む。お尻に感じる感触は、あそことは違う。
「…ちょっと固いよね。」
少し、昔を思い出した。幼稚園のこと。
「『幼稚園楽しい?』だもんね。もうちょっと言葉選んで欲しかったなぁ〜。あの頃の私。」
自分でも少し笑っちゃうくらい、失礼な初対面。
あれからこんなに仲良くなるなんて…
「いや、思ってたかも。」
仲良くなりたくて、声を掛けたから。
別に、陽向個人が気になってた訳じゃない。あの頃は、皆と仲がいい事が偉いことだと思ってた。
「あの頃は、静かだったもんね。陽向。」
私が『好きな食べ物は?』って聞くと、『え…えっと、あの、お肉とか?』みたいな感じ。つまんない子だと思ってた。でも、しばらくすると、どんどん話してくれるようになった。
「『人魚姫ってなんでクロールしないの?』とか言ってたよね。確か。」
『尻尾だけで泳ぐより、手も使った方が速く泳げるよ!』とか言って、私は人魚姫の映画が大好きだったから、ちょっと怒って『そんなの可愛くない!』って言ってた。
小学校に入学する頃には、陽向の体も丈夫になってきた。激しい運動とかは出来なかったけど、毎日学校には来てた。クラスが一緒だったのは、最後だけだったけど。
小学校も高学年になってくると、異性と仲が良いだけでからかわれちゃうから、学校ではあんまり話さなくなってた。
でも、塾に行ってたから、その時は学校の分もたくさん話してたと思う。
そして、中学校に上がった後。陽向と私は同じ学校に入学して、それからはクラスも一緒。学校でも、そんなにベッタリって訳じゃないけど、タイミングが合えば一緒に話せるようになった。
私はそれが凄く嬉しかった。
でも、私は体調を崩してしまう。
それで、陽向が私の部屋に毎日のように見舞いに来るようになった。
「私の部屋に来といて、『ようこそ。私のショーへ。』だもんね。」
今思い出しても、少し笑える。
それに、その後の段取りもガタガタだった。
『何も持ってません。』って言いながら見せられた指の間から、コインが見えてた。ステッキだって、縮めて袖に入れるのが見えてたし、最後のトランプマジックなんて、ほぼ失敗だった。
「でも、嬉しかったなぁ。」
ただ熱が下がらないだけだったけど、当時の私は『このまま死んじゃうの?』なんて言ってた。お医者さんは『思春期でホルモンバランスが乱れてるから、それに伴って起こる症状。』って言ってたのに。
そこでお見舞いが始まった。一日目は、プリントを持ってきただけ。陽向が部屋に入って来た時、私は泣いてた。陽向は私を見て、何かを言おうとして、でもそのまま帰っちゃった。私はそれを見て、もっと泣いちゃった。
でも次の日から色んな話をしてくれた。陽向は多分、私を笑わせようと思ってたんだと思う。泣いてる私を見た後から、必死で考えたんだと思う。陽向の友達の話。学校での陽向の話。あとは、委員会の話。
それで、陽向が同じ委員会の江ノ宮さんの話ばっかりするから、私がちょっと怒っちゃって。それ以来、陽向は学校の話をするのを止めた。ちょっと勘違いさせちゃった。
子供っぽかったって、反省してる。
それから始まったのが、陽向のショー。マジックから始まって、歌とか漫談とか寸劇とか、いつも私には思い付かないことをいっぱいやってくれてる。
「それも、全部私のために…。」
私だけを笑わせるための、私にしか伝わらないような話をいっぱい盛り込んだ、そんなショー。
もう、私の事どれだけ好きなの?って感じ。
あんなことをしなくても、もう泣いたりしないのに。
そんな事しなくても、私は…
「…ううん。」
明日を楽しみに、私は部屋の明かりを消した。
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