第3話 私は妖精。妖精なのです。

 一晩じっくりと考えたわけだが。


「……夢じゃ、ない」


 世界が見える。朝が来た証であり、リリアンヌがメガネを掛けたという証拠でもあり、美少女がメガネを掛けているということでもあり、メガネを掛けた美少女がそこにいるということでもある。


 素晴らしい。実に素晴らしい。


「本当に、きれい……」


 いい、朝日だ。素晴らしい朝だ。感動で涙も出るだろう。


 まあ、涙を流しているのは俺じゃなくてリリアンヌで、俺はおそらくもう一生涙を流すことはない。


 やっぱり、少し寂しい。今までできていたことができなくなるのは、ちょっと寂しい。


 いやいや、そんなことで落ち込んでいる場合じゃない。俺にはやることがあるんだ。


「おはようございます、お嬢様」

「おはよう、タマラ」


 タマラ。昨日も見かけた女性だ。おそらくはリリアンヌ専属のメイドだと、思う。


 しかし、美人だ。黒髪黒目の知的な、メガネのよく似合いそうな美人だ。

 

 この人にはどんなメガネが似合うだろうか。うーん、悩みどころ悩みどころ。


「それでは、お召し物を」

「まって、タマラ。今日は、自分でやってみたいの」


 ……俺は悪くない。俺は悪くないんだ。


 だって、目が閉じられないんだ。昨日だって仕方がなかったんだ。


「ですが」

「いいの、やってみたいの」


 ……健気な子だ。本当にリリアンヌは良い子だ。


 そんな良い子のあんな姿を……。


 いや、俺は悪くない。だって、俺はメガネで、メガネは瞬きができないし、目を閉じることもできないんだ。


 仕方ない、仕方ない。どうしようもないんだ。


「できたわ。どう、タマラ?」

「はい。お上手でございますよ」

「ありがとう」

「ですが、もう少し、ここをこうしたほうが」


 タマラはリリアンヌが一人で着替えをしているとき、終始心配そうな顔をしていた。たぶん、今まではタマラがいろいろと手伝っていたんだろう。目の悪いリリアンヌをいろいろな面で支え続けていたのだろう。


「ごめんなさい、タマラ。迷惑をかけてしまって」

「いいえ、お気になさらないでください」


 いい関係だ。リリアンヌは自分の立場や身分に胡坐をかかずちゃんと使用人であるタマラに気遣いができてお礼もしっかりと言えている。タマラもタマラで、そんなリリアンヌを心から慕っているのがよくわかるぐらいに、その表情も声音もとても優しい。


 実に、実にいい。そんな美少女のメガネになれて俺は本当に幸せだ。


「うう、ううう……」

「!」

「どうなさいましたか、お嬢様?」


 幸せで泣きそうだ。いや、メガネになる前なら泣いていただろう。


 もどかしい。涙が流せないのが本当にもどかしい。


「今、誰か泣いていませんでしたか?」

「いいえ」

「そう、でも、確かに泣き声が……」


 まずいまずい。うっかり泣き声を漏らしてしまった。


 慎重にいかなくては。嫌われてはまずい。下手をしたら捨てられる可能性だってある。


 気持ち悪がられてはダメだ。慎重に、どうにかして気に入られなくては。


 しかし、どうやったら気に入られるんだ? 


 やはり、ここは、女の子が好きそうな設定で行くしか。


 女の子が好きな設定。


「では、お嬢様。朝食の準備ができておりますので」

「ありがとう。ちょっとお散歩をしてから行きますね」

「あまり遅くなりませんように」

「はぁい」


 ……チャンスだ。一人になった。


 これで怪しまれずに声を掛けられる。


「ああ、きれい。こんなに、こんなに朝日がきれいだったなんて……」


 庭に出た。いい庭だ。手入れが良く行き届いていて、庭木や花が朝日に生き生きと輝いている。生まれて初めてはっきりと庭を見たリリアンヌ以外もきっと感動するぐらいにきれいだ。


 事実、俺は感動している。


 いや、感動してる場合じゃない。


 今、今この時だ。


「……リリアンヌ」

「! だ、誰!?」


 俺は一晩考えた。どうにか気持ち悪がられずにリリアンヌに受け入れられるにはどうしたらいいのかを必死に考えた。


 そして、たどり着いた。


「私は、メガネの妖精、だ」


 女の子はマスコットとかフェアリーとか妖精とかそういうかわいい物が好きだ。ならば、それになればいい。


「メガネの、妖精?」

「そうだ。メガネの妖精だ」

「メガネの、妖精……」


 ……どうだ、うまく行ってくれ。捨てないでくれ、嫌わないでくれ。


 頼む。頼むよ……。


「もしかして、昨日の、叫び声も」

「ああ、そうだ。驚かせてすまなかった。久しぶりに、その、目覚めることができて嬉しかったのだ」


 嬉しかった。そう、嬉しかったのは事実だ。美少女のメガネになれて嬉しかったのは本当だ。


 ただ、それ以外は嘘。俺は嘘をつくことにした。


 設定はこうだ。


 俺はメガネの妖精で、長い間さ迷っていた。起きているのか寝ているのかわからない朦朧とした状態で、世界をさ迷っていた。


 そんな時、この魔法のメガネを見つけた。消えてしまいそうだった俺は何とかこのメガネに宿ることで命をつなぐことができた。


 ということにした。


「長い間さ迷い続けていた。だが、このメガネのおかげで目覚めることができた。ありがとう、リリアンヌ。キミのおかげで死なずに済んだ」


 いや、一回死んでいるけれど、それは今は関係ない。


「しかし、まだ本調子ではない。いろいろとキミの助けが必要なんだ」

「私の、助け?」

「そう、キミの助けだ。私はキミがいないと世界を見ることができない。メガネだからね」


 そう、メガネだからね。


 ……なんていい響きなんだ。


「あ、あの、私は何をすれば」

「そ、そうだな。……俺は、いや、私は長い間眠っているような状態だった。どれぐらい長いかと言うと、その、えっと、えー……」


 えーっと。


「そう、そうだ。世界のことがわからなくなるぐらい、だ。だから、俺、じゃなくて私は、この世界のことをいろいろと知りたい」

「世界の、こと」

「そう、世界のこと」


 どうだ、乗ってくれ。乗ってくれよ。俺の話に。


「……私も、知りたい」


 ……よし!


「私も世界を知りたい」

「そ、そうか」


 どうやら、どうやらうまく行きそうだ。


「つまり、私の願いを」

「はい。喜んでお手伝いします。いいえ、させてください」


 よし、やった。うまく行った。嫌われずにすんだ。これで、捨てられることもない。


 ない、はずだよな?

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