にじのコロッケ

なりた供物

-

幼少期の頃、お母さんがたまに揚げてくれた、2時のコロッケが、この世で一番好きな食べ物だった。

油を少しケチりながら揚げた影響でやや硬い部分があったり、時には玉ねぎやひき肉が入ってなかったりしたけれど、それでも美味しかった。


子どもの頃は貧乏だった。お父さんは3歳の頃に家を出て行ったらしく、いわゆるシングルマザーの家庭だった。時にはお母さんが残業で帰ってこなかったり、冬は寒さを凌ぐのがやっとだったり、大変な事はたくさんあった。けれど、そのお母さんが頑張って時間を割いて作ってくれた食事の、全てが好きだった。

具なしコンソメスープ、もやし炒め、麦ごはん、そしてコロッケ。この話をしたら同級生に馬鹿にされたけど、ちゃんと4品を丁寧に丁寧に作ってくれたのに、なんで馬鹿にされたのかがよくわからない。とにかく、心の底から美味しかった。この先どれだけ高級なご飯を食べようと、このご飯を超える事は絶対にないと、確信できるくらいの美味しさだった。


中学に入って、私が新聞配達をするようになってからは、ほんの少しだけ生活に余裕ができた。だけど、お母さんはずっと無理をして仕事に行っているようだった。なので私は、病院に行ったほうが良いと言ったのだが、私に経済的負担をかけたくない、と言って断られてしまった。


中3の夏休み、とうとう母が倒れた。

受験勉強どころではなかった。気が気ではなかった。

現実は残酷で、母親の病魔は相当進行しており、もう延命治療しかできないと言われてしまった。なので、最期は家で看取ることにした。親戚はみんな遠い所に住んでいたし、それぞれの事情があったので、私一人で看取る事にした。

もうほとんど喋らなくなってしまったお母さんが、なんとか言葉を絞り出すように話した。


「コロッケが食べたい。」


母親は突拍子もない事を言うタイプではあったが、ここまで唐突に言われたのは初めてだった。

しかし、これを逃したらお母さんはもう二度とコロッケを食べられないかもしれない。最期のコロッケが市販のものなのもなんか嫌だったので、わたしは、右も左もわからなかったけれど、一生懸命コロッケを作った。


幼少期から貯めていた十円玉貯金を切り崩して、具材を買った。作り方なんてわからなかった。けれど、他人のレシピ通りに作りたくはなかった。くだらないプライドだ。だけれど、どんな失敗作になっちゃっても…


お母さんのあの味を再現したかった。


試食をした。到底お母さんの味とは似ても似つかないほどの駄作だった。自分が情けなくて涙が止まらなかった。けれどその涙を必死に見せないようにして、私はお母さんにコロッケを渡した。


「サクッ。」


油を少しケチりながら揚げた影響でしなしなしてしまっていた。コロッケの具材は全部知っていたはずなのに、無意識にじゃがいも以外の素材を使っていなかった。


「これ、うちの母の味にそっくり。」

この言葉が、お母さんの最期の言葉だった。


私は今でもコロッケを揚げる。それはあの時の2時のコロッケとは程遠い出来だけど、それでもずっと、あの味を求めて揚げ続けている。それはきっと、あの世に行ってしまった母親も同じだろう。2時になったら、あるはずのない匂いがしてくるから。きっと今でも、母親はコロッケを作り続けている。


虹の上で、2時のコロッケを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

にじのコロッケ なりた供物 @naritakumotsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る