第7話 暑い一日

 この日は朝から暑く、午後を過ぎた辺りで気温も上昇し、茹だる様な太陽の陽射しが、容赦なく降り注いでいた…。

 その暑さは体力どころか、気力にもダメージを与える…。

 お昼を過ぎ、最も気温が高くなる時間帯に、とある公園のベンチに一人の若い男性が、グッタリとしながら座っていた。

 唯一大きな木の陰で、暑い太陽の陽射しを遮っているベンチ。

 そのベンチを独占している彼は、唯ボーッと空を眺めていた。

 高い空には雲が流れ、一筋の飛行機雲が、白い線を描いていた。

 数羽の群れの鳥が羽ばたき、あっという間に小さくなっていく。

 公園にはワンパクな子供達が、この暑さを屁でもないかの様に、声を上げて遊んでいた。

 それを横目に見る彼が、ポツリと呟く…。

「チッ…うるさいな、人が感傷にふけてるってのに、わいわいキャッキャと楽しそうにしやがって…。何の悩みも無い奴らは良いよな…。こっちは切迫詰まって、苦しんでるのに…。はぁ〜、世の中理不尽ばかりだ…」

 虫の居所が悪いのか、無邪気に遊ぶ子供達に、悪態をつく。

 彼が、悪態をつきたくなったのは、別に暑いからだけではなかった。

 朝起きた時は未だ希望に満ち溢れ、やる気も有ったのに、今は無い…。

 いつもより早く起きて身支度を整え、大きな封書を鞄に入れ、ビシッとキメたスーツ姿で、意気揚々とアパートを出る。

 何本かの電車を乗り継ぎ向かった先は、就職希望先の最終面接を行う企業の本社だ。

 気合を入れて面接に臨む為、1時間も早く着き、本社近くの公園で、面接のシュミレーションをしていた。

 今、自分の思いつくだけのパターンをシュミレーションし終え、“よしっ!”と心の中で、気合いを入れるポーズをし、公園を後にする。

 面接の30分前に受付を済まし、他の最終面接に来ていた者達と、用意された部屋で待つ事になっていた。

 既に面接開始の時間だった筈なのに、誰一人として呼び出される事なく、2時間近く経とうとしていた…。

 苛つき始める者、緊張していく者、うつらうつらと舟を漕ぐ者、スマフォや本を見始める者、隣の者と小声で会話に花を咲かせる者など、それぞれ違うパターンで時を待つ。

 彼も自分の番号が呼ばれる迄、頭の中で面接のシュミレーションを繰り返していた。

 これ迄、何社も受けてきたのだが全て落ちてしまい、この会社も駄目なら自分のやりたい職業に就く事は、諦めるしか無いと、気合いを入れて臨んでいた。

 待たされる事に腹を立てて、数人が文句を言いながら出てゆく。

 余りにも遅い開始時間に対し、フラストレーションが溜まり、限界が近い彼もそうすべきか悩んだのだが、気合いを入れて此処迄我慢したのだから、最後迄粘ってやろうと留まる事にした。

 我慢の甲斐があり、ようやく呼ばれて面接室へと向かう。

 数名同時の面接。

 そこへ、何人もの面接官が入ってきた。

 彼の横に座った女性は、緊張しているのか小刻みに震え、青白くなっている…。

 大丈夫なのかと声を掛けようとした時

「おい!そこのお前!今から面接が始まると言うのに、何やる気の無い顔をしてるんだ!」

 と、女性を指差し、怒鳴る面接官。

 ビクッと体を縮め

「い…いえ…そ、そんな事は…」

 何とか勇気を振り絞り、違うと伝えただけなのに

「口答えするのか!?貴様、自分は偉いとでも思ってるのか!?」

 と、また言い掛かりをつけてきた…。

 完全に萎縮した女性は、涙を流しながらも

「い、いいえ…決してその様な事は…」

 と、必死に弁明をしようとしているのに

「また口答えするのか!お前は何様なんだ!?何処迄もふざけた奴なんだな!」

 そう言われた瞬間、抑えていた吐き気に勝てず

「うぅっ…オェエェ…」

 遂には嘔吐してしまう…。

「汚ったねぇな!何ゲロ吐いてんだよ!良い大人のする事じゃねーだろうが!」

 その言葉に、彼は切れてしまう。

 座っていた椅子を面接官に向け、蹴りつける。

 椅子は面接官の机にぶつかり、大きな音を立てた。

 一瞬室内は静まり、椅子から転げ落ちる面接官。

「ッ!おいっ!何してくれてんだ!」

 椅子を蹴りつけた彼に向かって怒鳴る面接官。

 その面接官に

「良い大人がだと!?どっちがだ!決まった時間も守れないアンタ等に、そんな事言われたくはない!良い大人なら、時間を守れよ!遅れたら、遅れてすいませんくらいの謝罪をするのが当たり前何じゃないのかよ!唯でさえ長い事待ってる間に、緊張し過ぎて辛い彼女に対して、心配も気遣いも出来ないのかよ!ふざけてるのはそっちだろうが!違うか!?」

 声を荒げる彼。

「なっ!この野郎ー!言わせておけば…。ただで済むと思うなよ〜!お前みたいなクソガキなど、誰が採用するかあー!帰れ!」

 彼の言動に切れる面接官。

「言われなくても帰るさ!それにこんなクズな社員の居る会社なんて、こっちから願い下げだ!アンタの下で働くと思うだけで、胸クソ悪くて吐き気がするよ!」

 そう啖呵を切って、面接会場を出る彼。

 少し離れたエレベーター迄向かってると、後ろから

「ありがとう…」

 と、声を掛けられる。

 振り返ってみると、緊張の余り、吐き戻した女性が居た。

「私の為に、文句を言ってくれてありがとう…。でもその所為で、貴方が落とされてしまって、何て言って謝ればいいのか…」

 未だ顔色が悪いのに、自分の所為だと思っている為か、彼女の青白さが増していく…。

 それを理解した彼は

「何言ってるの、貴女は気にしなくていいから。逆にさ、今の時点で、こんな会社だと知る事が出来て良かったよ。これも全て貴女のおかげ。僕こそありがとう、助かったよ」

 少しでも彼女の心が軽くなればと、感謝を述べた。

 すると、涙を溢れさせながら

「本当にごめんなさい、そしてありがとう…。そう言ってくれた貴方のおかげで、私も少し気が楽になれました。ありがとうございます…」

「本当に気にしないで下さい。…所で、貴女も帰るのですか?」

「うぅん、私は自分が吐いた物を片付けなくちゃいけないから、道具を取りに出てきたの。この後また戻るわ…」

「…そっかぁ…戻るんだね。未だ顔色良くないみたいだから、余り無理しないでね。僕はエレベーターも来たから、そろそろ行くよ。それじゃまた何処かで…」

 そう言ってエレベーターに乗り、彼女と別れた。

 受け付けに、入社用のカードと面接番号札を返し、足早に会社を出る。

 余りにも腹が立っていたからか、気持ちを落ち着かせる為にもと、何駅かを歩く事にした。

 その途中、ふと目に入った公園に、フラフラと立ち寄ってしまう。

 気を鎮める為に歩いた迄は良かったのだが、段々と気温は上がり、その上、これが最後だと臨んだ面接を自ら破棄した事で、やってしまった事を嘆き始めていた。

 これ以上歩くのは無理だと、体と心が回復する迄、唯一木の陰のあるベンチに座るのだった。

(今更ながら、後悔してもしょうがないよな…。でも、あんな非常識な奴が働いてるだなんて、経営陣も非常識だろうし、もし受かったとしてそのまま働いていたら、過労死する程働かされたり、毎日罵倒され続けていただろうなぁ…。情けないけどそう思う事にして、別を探さなきゃだよな…。あっそう言えば、彼女や他の人達は、あのまま面接受けたのかな?…唯でさえ嫌な空気だったのに、それを更に悪くしちゃったの…皆んなには、悪い事したよな…)

 そう思いながら今後の事を考えると、不安と焦りでいっぱいになる彼…。

 心だけでも回復したいのに、この暑さと、騒がしい子供達のはしゃぐ声に、遂苛立ちを感じてしまったのだ。

 その苛立ちをポロッと小声で呟いた時

「今日はとても暑いねぇ…」

 と、一人の老人が話し掛けてきた。

「休んでるとこ悪いが、この公園で木陰のあるベンチは此処だけ何だ。すまないが、私にも休ませて貰えないだろうか?」

 声のする方を見ると、そこには、綺麗な身なりのお爺さんが立っていた。

 背は低いものの、端正な顔立ちの優しそうな雰囲気を持つ老人だった。

 手には大きな荷物を2つ持ち、額には少し汗をかいていた。

 この暑い中、そんな大きな荷物を2つも持っているのは大変だろうと、慌てて自分の荷物を片付ける。

「あっすみません、僕一人で占領しちゃて…。直ぐ退きますから…」

 慌てて荷物を片付けていると

「申し訳ないねぇ…。おや、少し涼しくて良い風が吹いてきたね…」

「そうみたいですね…」

「どうだろう、君さへ良ければ、この年寄りの話しに付き合ってくれないかな?この風も、未だ吹いててくれそうだしね…」

「はぁ…」

 正直な話し、見ず知らずの者の話しなど、誰が聞きたいのだ?と、思う彼。

「すみません、僕ちょっと予定がありまして…」

 体よく断ろうとしたが

「おや、そうなのかい?とてもそう見えなかったが…。でも君が言うのなら、そうなんだろうね…。すまないね、引き留めてしまって…」

 少し寂しそうな表情をする老人。

「あちゃ〜…それじゃこれは無駄になっちゃったなぁ〜…」

 いつの間にかベンチにシートを敷き、2人分のお茶とお菓子の用意をしていた。

 確かにカチャカチャと音はしていたのだが、断る言葉を考えながら片付けをしていたからか、老人のとる行動を見ていなかった。

 大きな荷物だとは思っていたが、まさか荷物の中に、ガラスのコップに冷たいお茶と美味しそうなお菓子、それとお菓子の受け皿に、氷が入った小さなクーラーボックス迄用意し、それを一人で運んで来た事を知る。

 流石にそれを知ってしまった彼は

「こんな暑い中、見ず知らずの者の為に、此処迄用意しているのに、断れませんよ…。分かりました、少し…ほんの少しだけでも良ければ、お爺さんのお話し聞かせて下さい。それでも構いませんか?」

 と、承諾するのだった。

「本当かい!?この年寄りの相手をしてくれるのかい?」

「えぇ、少しだけでも宜しければ…」

「いやいや嬉しいものだ。それでも全然構わないよ、是非お願いしたい。少しでも話し相手になってくれて嬉しいなぁ〜、ありがとう…」

 感謝の言葉を述べるその顔は、とても優しく綺麗な笑顔だった…。

 その笑顔に彼は、将来自分もこう有りたいと憧れる感じで、心を奪われてしまう。

 この老人の様に相手を気遣い、優しく綺麗な笑顔で笑える、そんな歳の取り方をしたいと言う憧れを…。

 その後直ぐ、少し邪な気持ちを含めての承諾に、自分を恥じるのだった。

 彼が抱いた邪な気持ちとは、老人が用意した冷えたお茶と、とても美味しそうに香るお菓子に釣られていた事なのだ。

 気合いを入れて面接に臨む為、眠気に襲われない様にと朝食を抜き、朝からまともに何も口にしていなかったのだ。

 その上この暑さで喉はカラカラ…。

 カラン…と音を立てるガラスのコップには、冷えたお茶が透き通って入っている。

 今の彼には所持金に余裕は無く、アルバイトの給料日迄の数日間、残り僅かな所持金でやりくりしなければいけない…。

 更に言えば、家に帰っても碌なモノは無く、老人の用意したお茶とお菓子の誘惑に負けただけだった。

 そんな下心で、素敵に笑う老人の話し相手をしてはいけないと、恥じたのだった…。

 未来の自分の為にも、下心だけで話し相手をしては駄目だと思い、先ずは下心を持っていた事を謝罪してから、きちんと話を聞こうと思った彼。

「あの…すみません、僕…」

「おやどうしたんだい?さっき立ち上がってから、ずっと立ったままで…。ほらほら座って座って、はいこのお茶でも飲んでおくれよ」

 と、冷えたお茶を渡される。

 言われるまま、一口お茶を飲み

「あ、あの…僕…」

「ん?またどうしたんだい?…あっ、このお茶苦手だったかな…。もしそうなら、とても悪い事したねぇ…申し訳ないね…」

 シュンとする老人に、慌てて

「いえ違います!違います!お、お茶、とても美味しいです!僕このお茶好きです!」

 と、ゴクゴク飲み干すのだ。

「そうか、それは良かった…。君の好きなお茶で良かったよ、ささっもう一杯」

 余程嬉しかったのだろうか、終始ニコニコしている老人。

「あっそうそう、このお菓子も好きなだけ食べておくれよ。だと思うから…。ささっ遠慮はしないで、食べて食べて」

 急かされるままお菓子を手に取り、パクッと一口…。

(エッ!?何これ!?メッチャ美味しいんだけれど!?ヤバい!止まらない!)

 本当はきちんと謝りたかったのに、余りにも美味し過ぎて手が止まらない。

 夢中で食べる彼に

「良かった、やはりだったみたいだね。まだいっぱい有るから、遠慮なく沢山食べておくれよ?」

「もぐもぐ…ふぁい…」

 口いっぱいにお菓子を頬張りながら、返事をする彼。

「ふふふっなぁ…」

 老人の呟きに“?”となるのだが、口が満たされる幸福感に酔いしれる彼。

「食べながらで良いから、私の話を聞いてくれるかな?君の時間の許す限りで良いから…」

 此処迄のもてなしをされたのだから、最早断る気など無かった彼は

「………」

 無言で頷くのだった。

「ありがとう…。それじゃ、何から話そうかな…。そうだね、私の若い頃の話しから始めようか…」

 そして、優しい表情をした老人は、自分の過去を話し始めるのだった…。

 それも、とても楽しそうに…。

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