第44話 女王の仕立て屋

 リンリエッタが数人の使用人を連れて来たのは、宰相達も良く知っている。その内の一人に、彼女のドレスを作る仕立て屋がいることもだ。


「彼はカイン・ダインバル。私の夫です」

「皆様、カイン・ダインバルと申します。至らぬこともあるかと思いますが、色々とご教授ください」


 カインはリンリエッタの座る玉座の隣に立つと、無表情のままに挨拶をする。


 呆気にとられた貴族達は、ぽかんと大口を開けて彼を見つめた。


 カインが腰を折り挨拶をしようとすると、リンリエッタがそれを制す。リンリエッタがカインに、王配は貴族よりも身分が上であることを、この数日何度説いても低姿勢が直らないのだ。


 頭を下げることが許されなかったカインは、少しばかり居心地が悪そうに肩を揺らした。


「陛下、ご冗談を」


 宰相にとって代わったように、貴族の一人が声を上げて笑う。すると、合わせるように他の貴族達も頷きながら笑い声を上げた。


「陛下はご冗談がお上手だ」

「この場を和ませる為にこの様なことまでなさるとは、さすが陛下」


 彼らは何度も頷き合いながら、乾いた笑い声を上げ続けた。カインが数度瞳を瞬かせると、リンリエッタの方に視線を投げる。


「あら。私、冗談は嫌いなの」


 リンリエッタの凛とした声が響く。ピタリと笑い声の嵐が止んだ。


「陛下、恐れながら、王位継承権を持つ者の婚姻は、貴族院の承認が必要です」

「残念だけれど、私は生まれてこのかた王位継承権を頂いたことはないわ。貴方達が一番存じているでしょう?」


 王族の庶子には王位継承権は与えられない。リンリエッタの父、クライット公爵は国王の公妾リエーネが生んだ息子であった。その娘である彼女には、生まれた時から王位継承権は与えられてはいない。


 今回は、王族の血を守る為の特例での即位だ。王位継承権が与えられることなく戴冠式が行われた。


 リンリエッタは戴冠式までの間はただの一般市民である。本人達の意思と、家長の承認、そして、神の元での誓約がなされれば、婚姻が認められる。


「陛下、それを『はい、そうですか』と認めるわけが有りません」

「あら、貴方達は神に背こうと言うのね?」


 グルーシナ王国が信仰する神は、離婚も重婚も認めてはいない。


 貴族らは奥歯を噛み締める。小心者の貴族は青い顔をして次の身の振り方を考え始めた。


「どこぞの村の出の男の血が、王家の中に流れる事が如何程のことかお分かりですか!」


 ある貴族は顔を真っ赤にして怒鳴る。唾が飛んで来そうな勢いに、カインは小さく眉を寄せた。


「あら、私の祖母は平民よ。もう既に流れているじゃない」

「これ以上平民の血で薄めようと仰るのですか!」

「馬鹿ね。貴方達の血を混ぜたとしても、王家の血は薄まるのよ」


 リンリエッタは小さくため息を吐く。その様子に、男の頭に血がのぼる。


「この様な者の血が混じった赤子など、王位継承権が認められるわけがない!」

「国王の子供なら、不貞を理由に王位継承権を認めないことも可能でしょう。けれど、次代の王は、私から生まれるの。私の腹から生まれる子は、必ず王家の血を引く。目の色も髪の色も顔形で疑う必要もない。産声を上げたその瞬間から、王位継承権を持つのよ」


 話は終わりと言わんばかりに、リンリエッタは立ち上がる。貴族達は、困惑を隠しきれていなかった。周りの様子を伺いながら、膝をつき形ばかりの礼をする。


「もしも、この婚姻に異議を唱えるものが居るのならば、いつでも仰って。異端審問所でゆっくりお話をしましょう」


 リンリエッタが口角を上げる。貴族達は、顔を青くして、頭を深々と下げた。異端審問所など連れていかれた日には、一族が路頭に迷うどころでは無い。最悪の場合、晒し首になってもおかしくはなかった。


 そんな折、冷たい空気をかき消すかのように、慌てながら宮殿に仕える男が広間に入ってくる。


「陛下、どうかもう一度バルコニーへ。国民達が押し寄せております」

「ええ、このお話しが終わったら行きます」


 リンリエッタは男に笑顔で答える。貴族達を前にした時とは違う、優しい笑顔だ。


 宮殿の周りには、多くの人が押し寄せていた。それは宮殿を守る兵だけではどうにもならない数になっている。リンリエッタの姿を一目見ようと、皆必死だ。


「それがその……」


 男は言いだし難そうにリンリエッタを見上げる。リンリエッタは言葉を催促するように、首を傾げた。男は目の端で呆然としている貴族達をとらえるとゆっくりと息を吐き出した。


「カイン王配殿下とご一緒に出て欲しいのです」


 それは、まだこの広間の者しか知らぬ筈の名前。


「な、なぜ……」


 貴族達からは狼狽の声が上がる。


「リンリエッタ女王陛下万歳!」


 それは、国民達の声。彼女の即位を喜ぶ者達の声だ。確かに、その中に別の名前を呼ぶ声がある。


「カイン王配殿下、万歳!」


 それは、リンリエッタが懇意にしている孤児達の仕業であった。孤児達は、街の者達に宰相の企みとカインの活躍を話して回ったのだ。国民達は、宰相から国を守ったカインを一目見ようと、宮殿へ押し寄せたのだった。


 貴族達は取り繕うように笑う。


「異議など有りますまい」

「神に認められた婚姻は、絶対でございます」


 あちらこちらからポツリポツリと賛成の声が上がる。小さな声は大きくなり、やがて増えていく。男は彼等をきつく睨んだが、効果はあまり無かった。皆、己が一番に可愛い。


 男に擦り寄る方が旨味があると考え男の言葉に賛同した。しかし、女王に擦り寄る方が良いと感じた貴族達は、いとも容易く手のひらを返す。リンリエッタはそんな彼等を見て微笑むばかりであった。


 カインとリンリエッタは、バルコニーに向かうため、城の中を歩く。夫婦となっても、立ち位置は変わらない。リンリエッタが前で、カインが後ろだ。


「どこもかしこも古いわよね。この城。我が家の方が綺麗だわ」

「歴代の国王が住まう、歴史ある建物ですから」


 リンリエッタは城の内装に不満顔だ。彼女と同じ年のクライット公爵家の屋敷と比べては可哀想だと、カインはため息を吐く。


 前を歩いていたリンリエッタが、突然立ち止まりくるりと後ろを向いた。


「ねえ、カイン。この後の予定を憶えていて?」

「舞踏会……ですね」

「そう。とうとう練習の成果を出す時よ」


 リンリエッタは目を細めて笑った。兼ねてより、カインはダンスの練習に力を入れて来たのだ。入れざるを得ない状況であったとも言える。宮殿の舞踏会で女王が誰とも踊らない等ということがあっていいわけが無い。ならば、相手は王配となったカインの務めだ。


 カインはゆっくりと深呼吸を繰り返す。


「どうしたの?」

「緊張して参りました」


 カインは今までの練習を思い出していた。リンリエッタの足を踏んだ回数は数知れず。彼女は勲章の様に足の痣を皆に見せて回った。


 しかもカインは、平民の出だ。舞踏会どころか、社交場など出たこともない。記憶にある夜会は、たった一つ。クライット公爵邸で開催された夜会のみ。それを思い出しただけでも目が回る。カインにとってはそれくらい別の世界のことであった。


 カインは胸に手を当てると、大きく息を吐き出す。


「カイン、緊張しない方法が一つあるわ。それを特別に教えてあげましょうか?」


 リンリエッタはカインに向き直り、笑みを深くした。


「ぜひ、教えて下さい」


 カインはリンリエッタの言葉に対し、真剣に頷いた。


「とっても簡単よ。そのペリドットに私だけを映していれば良いの」


 二つのペリドットにはリンリエッタが映る。


「ようやく貴方は、作ったドレスが一番輝くところを見れるのよ。他を見ては駄目。それなら緊張しないでしょう?」

「そうでした。今日、初めて貴女が一番輝く姿を見ることができる」


 カインはリンリエッタの隣に並ぶ。彼を見上げる顔は朱に染まっていた。


「愛しています。リンリエッタ」


 満月の昇る夜、月の女王リンリエッタは、愛するペリドットの中で踊った。




 fin.

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公爵令嬢は仕立て屋の献身的な愛に翻弄される たちばな立花 @tachi87rk

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