第43話 女王リンリエッタ

 リンリエッタの戴冠式は、盛大に執り行われた。


 彼女の顔は広い。彼女はクライット公爵家の令嬢である時から、社交場以外にも多くの場所に顔を出していたからだ。父、クライット公爵が存命の間、彼女の名で多くの寄付がなされた背景もある。


 クライット公爵家は、非常に貴族らしく慈善活動にも積極的であった。王都でクライット公爵家の名を知らぬ者はいない。それと同じく、リンリエッタの名前も有名であった。


 新しい女王の姿を見る為に、多くの民が王都に集まる。そんな中、リンリエッタが城のバルコニーに出ると、大きな歓声に包まれた。


 金糸がふんだんに使われた白のドレスは、リンリエッタの全身を余すことなく包みこむ。シンプルなオフショルダーの代わりに、胸元には豪奢なネックレスが輝く。膝から下が広がるパゴダスリーブは、何層にも重なり、リンリエッタが手を振る度に一緒に揺れた。


 真紅のマントは地を這い、リンリエッタの身を包む。マントには金糸の蝶が彼女の即位を盛大に祝う。


 女王の仕立て屋、カイン・ダインバル最初の作であった。


 王都が新たなる女王の誕生に浮かれている頃、城の中では数人の若い男がリンリエッタの前で、並んで立っていた。


「女王陛下。お好きな者をお選び下さい」

「これは何の遊びかしら?」


 玉座に座るリンリエッタは、目の前に広がる光景に満面の笑みを見せる。宰相以下十数名の貴族と、その子息。リンリエッタはそれが示す意味を知っている。


 黙る宰相を押しのけ、貴族の男が先陣を切った。


「ご世継ぎが居ない今、女王陛下の一刻も早い婚姻が望まれますゆえ。お忙しい陛下に代わり、候補者を選出させて頂きました」

「皆せっかちだこと。私に一度相談していれば、そのような無駄な時間は省けたでしょうに」


 リンリエッタは目を三日月の如く細め、手元の扇を口元に当てた。


「その前に、私からも皆に差し上げたいものがあるの」


 リンリエッタは扇を閉じると、隣に控える侍女に手渡す。そして、両手を叩いた。リンリエッタの合図を受けて、宮殿に仕える侍女が、グラスを持って現れる。中には薄く朱に染まりし液体。人数分用意されたそれは、一人一人に配られた。


 ワインを水で薄めたような液体からは、ふわりと薔薇の香りが鼻腔を擽(くすぐ)る。


「陛下、これは?」


 一人の貴族が首を傾げた。皆、グラスを持ちながら、互いに顔を見合わせている。しかし、宰相だけは違っていた。どこか色を失った顔は強張り、手は小さく震えグラスの中の液体が波打つ。


「これは私からの、皆への挨拶の代わりです。戦の前は皆、杯(さかずき)を交わすと言うでしょう?」


 リンリエッタは侍女から最後のグラスを受け取った。そして、皆の前に掲げる。


「なるほど、これから長い治世を共に戦おうということですかな。これは一興」


 ある貴族が豪快に笑い、リンリエッタに向けて杯を掲げた。それに倣い、皆戸惑いながらもそのグラスを掲げる。しかし、宰相だけは身体を震わせ、グラスを揺らしていた。


「どうしました、宰相」


 皆の視線が宰相に集中する。宰相が身体を震わせながらリンリエッタを見ると、彼女は不思議そうに首を傾げた。


「私の出す杯(さかずき)なんて受け取れないかしら?」

「そ、そのようなこと……。して、この中身は何でございましょうか?」

「貴方の良く知っているものよ」


 リンリエッタの唇は綺麗な弧を描く。彼女の笑顔に、宰相が頬を引きつらせた。


 宰相を余所に、別の貴族が声を上げる。彼はリーデン侯爵といつも競い合っている男だった。これを機に、あわよくば宰相の座を奪おうというのだ。


「陛下の治世に、乾杯」


 男はリンリエッタの前で杯を仰いだ。その声に続く様に、一人、また一人と杯を仰ぐ。


「皆の忠誠に」


 リンリエッタは笑顔で、自身の杯を傾けた。しかし、宰相だけはわなわなと身体を震わせて、一向に杯の中の液体を波打せるばかり。


「宰相、どうしました?」

「わ、私は今日腹の調子がよろしくなく……」


 宰相の声が尻すぼみに小さくなる。周りの者達は騒めいた。リンリエッタの杯を拒否するということは、リンリエッタに歯向かうも同じ。宰相の席を他に譲る行為と同意である。貴族にとって、リンリエッタからの杯は、腹の一つや二つ下してでも、飲むべきものであった。


「宰相は私の杯を拒否するのね」


 リンリエッタの声が広い部屋に響く。それは冬が戻ってきたと思う程に冷ややかであった。


「そのような訳では」

「では、そのくらい飲めるでしょう?」


 アクアマリンの瞳が宰相を見つめる。その場にいた全ての者が固唾を飲んで見守った。宰相の視線は何度もリンリエッタの顔とグラスを行き来する。頬は痙攣(けいれん)し、誰もが異常であると感じていた。


「さあ、宰相。調子が悪いのであれば一口で構わないわ。このままでは皆の士気が下がってしまうわ。こういう時、貴方が率先して行うべきでしょう?」


 リンリエッタが宰相を笑顔で追い詰めた。宰相は虚ろな目で、杯を口元に近づける。ふわりと薫る薔薇。頬の痙攣(けいれん)が酷くなる。それでもリンリエッタは「よし」とは言わなかった。


 口に付けるか付けないかのところで、宰相は杯を床へと叩きつけ、叫び声を上げた。高い音を立てて、グラスは粉々に割れ、液体と共に四方に飛び散る。


「女王は! 死病と偽って皆を殺すつもりだ! この液体は死病の薬! 皆ここで死ぬんだ!」


 宰相は喚き散らす。その場にいた全員が誰かと顔を見合わせた。


「死病の薬って、これのことかしら?」


 リンリエッタは侍女から小さな瓶を受け取る。人差し指と親指でつまんで見せた。小さな瓶には赤く染まりし液体。


「皆死ぬ。私以外皆死ぬんだ」


 宰相だけは、虚ろな目でぶつぶつとうわごとを呟いていた。


「誰か、宰相を拘束して」


 リンリエッタの命令に、兵が動く。二人掛かりで押さえられて尚、宰相はうわごとを呟き続けた。


「皆、よく聞いて頂戴。ある者がこの薬を使って、王族殺しを企てました。この薬をほんの少しでも飲めば、たちまち高熱を出して、身体中に斑点が現れる」


 部屋が騒めく、驚き、飲んだ液体を吐き出そうと嗚咽を繰り返す者まで出た。その騒ぎを鎮めるように、リンリエッタが両手を叩く。


「静まりなさい」


 リンリエッタの言葉に、皆が口を閉ざし、佇んだ。広間は絶望の色に染まる。


「それでは、まるで死病ではありませんか」


 佇む貴族の中の一人が呟いた。その声にリンリエッタは頷く。


「ええ、そうね。この薬なら死病に模して人を殺せる」

「で、では春乞の宴の……」

「そう、あれは仕組まれたものだったわ。貴方にね。宰相。この薬の特徴は薔薇の香りがすることなの。それを知っているのはこの薬を知っている者だけ」


 騒めきは貴族だけではなく、控える兵や侍女にまで広がった。


「国王も、皆殺されたのです」

「違う! 私は殺してなどいない!」


 宰相が叫んだ。ガタガタと身体を揺らしたが、二人の兵が強く押さえた。顔を床に擦り付けて尚、宰相は暴れる。リンリエッタは玉座から立ち上がり、彼を見下ろした。


「では、この薬を飲んで無実を証明する? 貴方の部下は口を割ったわ。地下の部屋のことも、全部」


 リンリエッタが捕らえた部下の名を出せば、宰相が力なく項垂れる。彼女の指示の元、宰相は牢屋へと連行された。これから先、長い取り調べを受けることになる。


 証拠隠滅を防ぐため、共にいた息子二人も拘束された。二人は父の所業をなにも知らない。事の顛末を知り、呆然と父の背中を見ているばかりだ。


「皆、安心して頂戴。あれは薔薇のお茶を薄めた物よ。死に至るものではありません。貴方達を殺めても私には得などないもの」


 リンリエッタは再び玉座へと腰を下ろす。皆が、彼女の言葉に安堵の表情を見せる。


「そうだわ。皆に紹介したい人がいるのよ。これから言葉を交える機会も増えるでしょうし」


 リンリエッタに呼ばれて貴族達の前に現れたのは、使用人と同じような格好をした男であった。

 

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