第38話 変化

 それから数ヶ月の時を経て、リンリエッタは女王となる予定だ。しかし、裏を返せばこの数ヶ月もの間、彼女はただのクライット公爵家令嬢リンリエッタであった。


 戴冠式の準備が整うまで、本人の提案によりアデル三世が玉座に座ることとなる。一時的に執務の場は水晶宮へと移された。死病のせいで宮殿が未だ整備の整っていない為だ。表向きはリンリエッタの即位は秘匿とされた。しかし、人の口に戸は立てられない。それは貴族の間で広まり、一般市民にも実(まこと)しやかに広がった。


 その間、リンリエッタは暇な一日をただ過ごしていた訳ではない。彼女は今まで以上に社交に勤しんだ。ある時はお茶会に顔を出し、またある時は夜会で世間話に興じた。


 豪華なドレスを着て出歩き、人々の前に顔を出す。宰相らは、座れる筈の無い玉座に座るという事実に彼女が浮かれているのだと考えた。


 リンリエッタは道化のように華やかな衣装に身を包む。遠い春を思わせるドレスには、南の地より取り寄せた花を飾る。


「幸運だとでも思っておるのだろう。お飾りの女王だと気づいた時にはもう遅い」


 宰相は、花瓶に飾られた薔薇を手の中で握り潰す。ハラハラと落ちた花びらを見て、ほくそ笑んだ。


 己の手の内で転がる姿というのは楽しいもの。リンリエッタの様子を事細かく報告させた宰相は、上機嫌であった。しかし、男がもたらした情報はそれだけではない。男は宰相に、恐る恐る声を掛ける。


「旦那様。他にもご報告したい話がございます」

「なんだ。今はそんな気分ではない」

「それが、リンリエッタ様に関してでございまして」


 歯切れの悪い男に宰相が苛立つ。八つ当たりのように頭を失った薔薇の葉を引き抜いた。


「早く申せ」

「はい。それが……クライット公爵家に勤めるカインという仕立て屋と、秘密裏に婚姻の儀を挙げるらしいと」


 男の言葉に、宰相は言葉にもならない叫び声をあげる。


「何を申す。あの女は女王になるんだぞ? そんな勝手が許されるわけがない!」

「しかし、リンリエッタ様はまだクライット公爵家の令嬢。婚姻の制限は家長の承諾のみ。その承諾も既に降りていると」


 宰相の唇が怒りでわなわなと震えた。部屋には、床に散らばる赤と緑の薔薇であったものだけが残された。





 リンリエッタが道化を演じている間、カインは誰よりも忙しい日々を過ごしていた。王配になるからにはと、始まったのは礼儀作法とダンスの練習だ。カインはダンスの練習に頭を悩ませていた。空いた時間にリンリエッタに付き合って貰えば、彼女の足を踏む。リンリエッタの足は気づけば痣だらけになっていた。


 そして、カインが中心となって婚姻の儀を進めていく。殆どはカインの旧知の友、ジェイの助けを得ることとなったのだが、それがまた大変であった。


 子供の頃から知っているカインが、リンリエッタと結婚すると言うのだ。ジェイでなくても驚くだろう。事情を聞いたジェイは無事に済むまでの間、禁酒を宣言することとなった。酔って口を滑らせたでは済まされないからだ。


 空いた時間はドレスを縫い上げた。クライット公爵が倒れてから作りためたドレスを上手く活用しながら、彼はリンリエッタの目を楽しませる。くっきりと浮かんだ隈は取れなくなっていった。


「カイン、今日は早く眠ってね?」

「はい、この袖を縫い付けたら今日は休みます」


 リンリエッタはいつもの特等席で、不満そうに唇を尖らせた。それでもカインは手を止めようとはしない。


 ひと針ひと針丁寧に縫い合わせていく手を、彼女は頬を緩め見つめた。


「魔法みたいね」

「そのような大層なものではございません」

「貴方の頭の中覗いてみたいわ。どんなことを考えながら作っているの? その仏頂面の下でどんな風にこのドレスが浮かび上がっているのか気になるわ」

「……どんなこと、ですか」


 カインはドレスを縫う手を止め、宙を見つめた。リンリエッタは彼の横顔を期待の目で見つめる。カインは考え込むよう眉根を寄せて、小さく唸った。リンリエッタは何度も長い睫毛を瞬かせながら、静かに待つ。


 幾ばくか時が流れ、リンリエッタが痺れを切らして声を掛けようとした時だ。カインは、思いついたように「あっ」と小さく声をあげると、リンリエッタに視線を向けた。


「貴女のことを」


 カインが目を細め、僅(わず)かに口角を上げる。リンリエッタはアクアマリンが溢れ落ちそうな程、目を大きく見開いた。それと同時に彼女の頬が朱に染まる。


 リンリエッタは逃げるように顔を背けた。しかし、カインは意味も分からず首を傾げる。


「いかがなさいましたか?」

「何でもありません」

「しかし、少し顔が赤いようです。熱があるのでは?」


 リンリエッタは何度も手の甲を頬に当てる。しかし、普段の白さにはなかなか戻らない。カインは手にしていた針と生地を置くと、リンリエッタの元へと駆け寄った。


 カインは暫し躊躇(ためら)った後、そっとリンリエッタの額に手のひらを当てる。


「熱い。医者を呼びましょうか?」


 カインの真剣な眼差しに、リンリエッタは瞳を右往左往させる。


「……大丈夫よ。直(じき)に収まるわ」

「しかし……」

「いいのよ。貴方はさっさと袖を縫い付けてしまいなさい」


 リンリエッタはフイッとカインから顔を背けた。いつもなら、その段階でカインが折れる。しかし、今日は違っていた。


「いいえ、部屋にお連れします」


 有無を言わさない態度で、カインは椅子に座るリンリエッタをそのまま横抱きにする。


「カインッ!」


 この五年、カインに抱き上げられたことは一度だってない。驚いたリンリエッタは目を白黒させながらも、彼の腕の中で借りてきた猫の如く大人しくする他無かった。


 カインはリンリエッタの訴えなど気にも止めず、長い廊下を真っ直ぐに歩く。観念した彼女は黙って腕の中におさまった。


 リンリエッタの部屋に着く頃には、彼女の頬の熱も治まっており、カインの首を傾げさせた。


「だから言ったじゃない。大丈夫だって」

「大事が有ってからでは遅すぎます。お休み下さい」


 カインは子供にするように、リンリエッタの頭を優しく撫でる。そして、普段見せない笑顔を惜しげもなく出した。彼はリンリエッタの返事も聞かずに、彼女の部屋を後にする。後ろ髪引かれる様子もなしに。


「もう……」


 恨めしそうに閉じる扉を見つめながら、リンリエッタは呟いた。彼女の部屋には、その小さな呟きと、布団を被る大きな音だけが響いた。

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