第35話 アデルの提案2
カラカラと笑うと、アデルは人差し指に加えて親指を突き出した。
「リンリエッタは女王となり、カイン、お前さんはリンリエッタの愛人となる。儂はこれを勧めようぞ。適当な貴族の男と結婚し、子供の一人も産めば開放されるじゃろう。きーっと、貴族達が政治も何もかもしてくれる。お前さん達は、その後はずーっと一緒にいても誰も文句言うまいよ」
それは、アデルが過去愛する人、リエーネと共に生きる為に選択した道であった。
言葉通り、アデルは王妃との子供を一人作ると、執務以外はリエーネの住む水晶宮に住み着く。神に認められた妻では無かったが、リエーネと暮らした時はアデルにとって何よりの幸せであった。
アデルの提案は、優しい様でいて酷く突き放した提案でもある。リンリエッタに女王としての役割の殆どを放棄せよと言っているのだ。
アデルの言葉を聞いて、リンリエッタの肩が僅(わず)かに震えた。顔がくしゃりと歪む。リンリエッタは力なく頭を横に振った。
「そうかそうか。リンリエッタは嫌かのう? どうじゃ、カイン。お前さんは」
縋(すが)るようなリンリエッタの視線を受けて、カインは目を細める。リンリエッタは何か言いたげに口を開いたが、すぐ唇を強く結んだ。長い睫毛が震える様を、カインはただ眺めた。
「言葉にせねば誰も分からんよ」
諭すようなアデルの声がカインを撫でる。悪戯を怒られた子供のように、ばつの悪そうな顔でアデルに向き直る。
「水晶翁。以前の私でしたら、リンリエッタ様のお側にいることができるのならばと、この提案に頷いていたでしょう」
カインは淡々と言葉を紡ぐ。まるで、他人事ように。それは、口を開くカインよりも、リンリエッタの方が苦しそうな程だ。今にも耳を塞いでしまいそうな程に、リンリエッタの顔は歪んでいた。
リンリエッタの手を何度も放した代償は大きい。ほんの数日前、共に歩むと約束したにも関わらず、リンリエッタは、カインがまた逃げるのではないかと疑っているのだ。カインは己の愚かさを叱咤(しった)した。自身の行動が今、一番苦しい所に立つリンリエッタを更に苦しめている。カインはそのことを、許せないでいた。
「ですが、翁。欲が出てきてしまったのです。リンリエッタ様の隣にいたい。誰かに肩を抱かれる姿を見たくないと」
アデルはただ己の髯(ひげ)を撫でる。僅(わず)かに口角が上がったが、髯(ひげ)に隠れてリンリエッタとカインには見て取れなかった。
「カイン……」
リンリエッタの瞳に涙が溜まる。アクアマリンの瞳の中で、無表情のままのカインが溺れていった。
「リンリエッタ様。私はインバルという小さな村に生まれたただの仕立て屋でございます。私の血は貴女の隣には相応しくない。それでも、貴女の隣に立ちたいと願ってしまった」
リンリエッタは小さく頭を横に振る。金の髪が彼女の動きに合わせて左右に揺れた。
「私は、ずっと隣に立って欲しいって願っていたわ」
リンリエッタの冷えきった手が、カインの弱々しく頰に触れる。その手を、カインが優しく握りしめた。
アデルは一人笑う。まるで祭りを前にした時のような笑い声であった。
「仕方ない。ならば、最後の選択肢じゃ。儂はこの選択肢を使えなんだ。じゃが、今のお前さんらなら、確実に有効な手段じゃろうて」
アデルは口角を上げると、三本の指を開いて見せた。しかし、アデルが三つめの選択肢を口にする前に、別の声が遮る。
「――婚姻の儀を上げなさい。リンリエッタ」
「お……とうさま」
開いた扉には、侍女の肩を借りて立つ、クライット公爵の姿があった。リンリエッタは信じられないという風に口をあんぐりと開ける。カインも目を見開いたまま、石の様に固まった。
「随分とお寝坊さんじゃの」
アデルが片眉を上げて、数日の時を経て目覚めたクライット公爵を揶揄(やゆ)する。
「父上、お久しぶりです」
掠れた声が、静かな部屋を駆け抜ける。リンリエッタは小さく肩を震わせた。
「リンリエッタ。随分と迷惑をかけたね」
「お父様っ」
クライット公爵が痩せこけた頬を緩める。リンリエッタはクライット公爵の元まで駆けた。
「お父様、お父様、お父様」
リンリエッタはクライット公爵を強く抱きしめる。知らない内に肉の減った身体に、リンリエッタは苦しそうに顔を歪めた。
「すまなかったね」
クライット公爵の手が、ゆっくりとリンリエッタの頭を、肩を、背中を撫でる。リンリエッタは胸に顔を押し付けた。
「もう、目が覚めないと思ったのよ」
「悲しませてしまったね」
「お母様なんて、毎日泣いていたのよ」
「エリーゼにも申し訳ないことをした」
クライット公爵の弱々しい声が、リンリエッタを包む。リンリエッタは、父の弱っている顔を見ることができず、彼の胸に顔を埋めたまま、瞼を落とした。
「リンリエッタ。そろそろ座らせてやりなさい。罰とはいえ、ずっと立たせておくのは可哀想じゃよ」
アデルが笑う。リンリエッタは慌てて顔を上げた。
「ごめんなさいっ。そんなつもりじゃなかったの」
クライット公爵は弱々しく頭を横に振った。リンリエッタが椅子へと促すと、カインがすぐさまクライット公爵を支える。二人は暫し静かに見つめ合った。そこに甘い空気は一切ない。クライット公爵は何も言わずに、カインに体重を預けた。
リンリエッタはそんな二人の様子を心配そうに見つめながら、クライット公爵の背に手を添わせた。
「折角良い所で儂の言葉を奪いおって」
アデルの隣にクライット公爵が座る。似ている二人を見比べながら、リンリエッタは頬を緩ませた。
「父上、そろそろ続きを」
「そうじゃった、そうじゃった」
アデルは両手を合わせる。小さな音が手から飛び出た。しかし、クライット公爵はまたもや、アデルの言葉を奪う。
「リンリエッタ、君は王位継承権を持っていない。それは知っているね」
「ええ、勿論よ」
リンリエッタにとって、王位継承権を持たないことは、物心ついた頃から何度も聞かされている事実。耳にたこが出来なかったのがおかしい位には、毎日の様に耳にしていた。
言葉を奪われたアデルは不機嫌そうに唇を尖らせたが、クライット公爵に花を持たせるつもりなのだろう。大人しく聞き役に回っている。
「王位継承権を持つ者の婚姻は、貴族院の承認が必要なのも知っているね?」
「ええ、我が国の常識だわ」
「それ以外の貴族や平民はどうやって婚姻が認められるかは知っているかい?」
「勿論。両家の家長の承認と、神の前での誓約。でしょう?」
試験のような質問に、リンリエッタが答える。試験にしては常識過ぎる。この国の者なら誰もが知っている常識であった。
「君は女王になるそうだね。しかし、今、王位継承権は与えられていない。つまり、今君は私の承認さえ得られれば、婚姻が結べる」
「でも、女王になった後に反対されたらどうするの?」
「リンリエッタ。神への誓約は絶対だよ。反対なんてしたら、神の冒涜に当たるだろう」
神の導きを間違いだと訴えるということは、神に反することになる。それは、この国を出るに等しい行為だった。リンリエッタは父親の言葉を聞き、喉を鳴らす。無理を通せばやれないことはないのだ。
「さあ、紙と筆も持ってきなさい。それを持って、教会に行くんだ。そうすれば、教会は嫌だとは言わない」
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